
わたしたちにとって身近な存在である果物。日本の代表的な果物の産地である3つの県が奇しくも2025年に150周年を迎えようとしているのをご存じでしょうか。農産物評論サークル「花マル農園」に所属する果物マニアのはたんきょー(@hatankyo1)さんのツイートが大きな話題となり、多くの方から「150年前になにがあったの!?」「150年前の人たちありがとう」などという声が寄せられています。
【動画】積み上がるリンゴリンゴリンゴ…狂気のパズルゲーム「ぷよりんご」
今年150周年を迎えるのは、青森県のリンゴ、山形県のサクランボと西洋ナシ、そして岡山県の桃とブドウです。偶然の一致にも見えますが、そこにははっきりとした理由がありました。
150年前の1875年(明治8年)にいったい何があったのでしょうか。明治の時代になり、政府は殖産興業政策の一環として、海外から果物の苗を導入しました。殖産興業とは西洋列強に対抗するために当時の政府が掲げた、国家の近代化を目指すための産業育成政策のことです。
日本におけるリンゴ栽培は、1871年(明治4年)にアメリカから苗木を購入し、東京の青山官園に75種類のリンゴの木を植えたことが始まりとされています。
|
|
一般社団法人青森県りんご対策協議会によると、青森県で栽培が始まったのはその少し後。1875年春に当時の内務省勧業寮(殖産興業の担当部署)から3本の苗木が配布され、県庁構内に栽植されたことで、リンゴ栽培が始まったそうです。
それでは、サクランボはどうでしょうか。こちらも明治時代に入ってから導入が進みました。リンゴと同じく、1875年に内務省勧業寮が全国に苗木を配布した際、山形県にも苗木3本が配布されました。この時、西洋ナシも同時に山形県に導入され、現在に至っています。
最後に岡山です。1875年、時を同じくして岡山県勧業試験場に「天津水蜜桃」「上海水蜜桃」が導入されました。これらの桃は、日本政府団に加わって産業調査を行った衣笠豪谷氏が清(現在の中国)から持ち帰ったものとされています。
また、この年に山内善男氏と大森熊太郎氏が現在の岡山市北区で官林の払い下げを受け、果樹園を拓きました。これが岡山県におけるブドウ栽培のきっかけとなりました。
なお、山内善男氏は1886年(明治19年)に、現在も岡山県の名産である「マスカット・オブ・アレキサンドリア」の栽培を開始。現在の岡山=マスカットのイメージを築き上げた人物でもあります。
|
|
それまでの生活が大きく変わった明治という時代。西洋列強に追いつけ追い越せと、海外から新技術を導入しました。その流れのなかで、国策として様々な果物もまた導入されていました。導入した果物の苗木を育成が終わり、日本各地に配布されたのが、ちょうど150年前、この明治8年という年だったのです。おいしい果物を食べるとき、150年前の人たちに思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
なお、今回のツイートが話題となったはたんきょーさんが所属する農産物評論サークル「花マル農園」は様々な果物の評論同人誌を作っています。通販サイトもあるので、ぜひ覗いてみてはいかがでしょうか。
(まいどなニュース特約・少年B)
|
|