作品の説明をする原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣さん=4日、埼玉県東松山市 画家の丸木位里、俊夫妻(故人)が被爆者の惨状を描いた「原爆の図」。被爆80年となる今年も、夫妻が残した「原爆の図丸木美術館」(埼玉県東松山市)には多くの人が訪れ、さまざまな思いを巡らせている。学芸員の岡村幸宣さん(51)は「核の時代に生きる地球上の誰もが、自分に起き得る未来だと想像できる絵。等身大で語り掛けてくる歴史の記憶に触れる体験をしてほしい」と語る。
原爆の図は全15点の連作で、長崎原爆資料館(長崎市)にある1点を除く14点が同美術館に展示されている。丸木夫妻は、原爆投下後の広島で救援活動に従事し、そこで見た光景や後に聞き取った証言などを基に30年以上にわたって原爆にまつわる絵を描き続けた。被爆者の姿だけでなく、当時広島にいた捕虜の米兵や朝鮮人の被害、1954年の米国の水爆実験で被ばくした漁船「第五福竜丸」も取り上げている。
7月上旬、同美術館を訪れると、岡村さんが来館者の前で第1部「幽霊」の解説をしていた。原爆投下後は報道が規制され、被爆地以外には被害の全容が伝わっていなかった。「被害が忘れ去られることを危惧した夫妻は、原爆を描いて人々に伝えることを考えるようになりました」。展示室に静かな声が響く。
熱線や爆風で着物は燃え落ち、やけどでただれた皮膚を引きずってさまよう人々。やがて力尽き、倒れて折り重なる姿が描かれている。絵には丸木夫妻による短い解説が添えられ、絵と言葉が合わさって一つの作品となっている。
来館者は解説と絵を交互に眺めたり、絵の前にたたずんだりしながら、80年前の出来事に思いをはせているようだった。
初めて訪れたという仙台市の30代女性は「すぐに言葉にできない。家に帰って絵の印象を何度も思い返したい。原爆の図を直接見ることができるこの場所が在り続けることに意味を感じる」と言葉を選ぶように語った。
学芸員として20年以上、原爆の図に向き合ってきた岡村さん。「作者がいなくなっても原爆の図の物語は続いている。災害や戦争のある時代に生きる私たちが、絵の持つ意味を読み直していかなければならない」と力を込めた。
老朽化した同美術館は9月29日から休館し、改修工事に入る。展示室の温湿度管理や建物の耐震化を進め、開館60周年となる2027年5月ごろに再オープンする予定だ。17年から寄付を募り約3億5000万円が集まったが、あと1億〜2億円は必要といい、今後も呼び掛けていくという。