富雄丸山古墳から出土したき龍文鏡=28日午後、奈良県橿原市 奈良市教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所は30日、同市の富雄丸山古墳(4世紀後半)で出土した銅鏡3枚について、いずれも製作から副葬までに長い年月が経過し、最も古いものは副葬までに最大400年かかっていたことが分かったと発表した。
銅鏡は2024年2月、古墳内の木棺の中から出土。き龍文鏡、画像鏡、三角縁神獣鏡の三つで、いずれも直径20センチ前後と大型だった。
市教委などによると、鏡の文様や断面の形状から、き龍文鏡は紀元前1世紀末〜1世紀初頭、画像鏡は2世紀末〜3世紀前半、三角縁神獣鏡は3世紀中ごろに中国で製作されたと推定される。年代が最も古いき龍文鏡は製作から副葬まで最大で400年かかったことになり、どのような経緯で中国から被葬者に渡ったか注目されるという。
市教委の柴原聡一郎学芸員は「さまざまな時代に製作された銅鏡が重複することなく集積しているのは珍しい」と指摘。「き龍文鏡はウズベキスタンやロシア南西部でも出土している。当時の日本列島が古代ユーラシアにおける広域交流の一端に組み込まれていたことを物語っている」と話した。
3枚の銅鏡は8月1〜17日、同研究所付属博物館(同県橿原市)で一般向けに初公開される。