対馬丸事件の慰霊祭で、犠牲者に黙とうをささげる参列者ら=22日午前、那覇市 太平洋戦争中、沖縄から長崎に向かった学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、学童ら1400人以上が犠牲となった事件から22日で81年を迎えた。那覇市内で慰霊祭が開かれ、生存者や遺族らが犠牲者の冥福を祈った。
慰霊祭には約300人が参列し、黙とうをささげた。生存者で対馬丸記念会理事長の高良政勝さん(85)は「私たちがなすべきことは、犠牲となられた方々の無念を忘れず、戦争の悲惨さと命の大切さを語り継ぐことだ」と述べた。
生存者で語り部として活動している照屋恒さん(85)も参列し、犠牲になった母と姉の冥福を祈った。戦後80年を迎え、生存者が少なくなる中で「どう継承していくかが大きな問題。できる間は語り部を続けたい」と話した。
1944年8月22日夜、対馬丸は鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で魚雷攻撃を受け沈没。同会によると、乗船していた国民学校の児童や一般疎開者ら約1800人のうち、少なくとも784人の学童を含む1484人が犠牲となった。
当時、生存者や遺族には厳重なかん口令が敷かれ、被害の詳細は明らかにされなかった。