
■『今こそ女子プロレス!』vol.29
東京女子プロレス 上原わかな 前編
「何も響くものがない。プロレス舐めないでください」
2022年5月からYouTubeで配信された『夢プロレス−dream on the ring−』。プロレス未経験の女性4人が、夢を叶えるためにリングに挑むという企画の中盤、ゲストコーチとして登場したアジャコングは、彼女たちの練習を見て、容赦なくそう言い放った。
エルボーの練習が始まる。彼女たちは大声を張り上げながらアジャにエルボーを打ち込むが、涙が止まらない。「殴っている自分たちが泣けてくるってどういうこと? 人を倒すって、それだけ大変なことなんですよ。見せかけだけじゃ倒せない」――アジャは諭すように語りかけた。
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その時、涙を流していたひとりが、現在、東京女子プロレスに所属する上原わかなだ。アイドルとしての活動や得意の大食いを活かして活躍してきた彼女は、『夢プロレス』で総合1位を獲得したことをきっかけに、プロレスラーとして生きる道を選んだ。
「アジャさんにエルボーをしても、ビクともしなくて......。芸能の仕事をやってきたけど、今までの自分は人に何も伝えられていなかったんだと思いました。それが悔しくて泣いてしまったんです」
あれから3年。上原はキャリアを重ね、確かな成長を見せている。9月20日には、上福ゆきとのタッグ「OberEats」でプリンセスタッグ王座に挑戦が決定。メディアにも多く取り上げられ、順風満帆なキャリアを歩んでいるように見える。だが、その胸には今でもアジャの言葉がよぎる。「何も響くものがない」――。
「人に何かを伝えるって、本当に難しい。でもだからこそプロレスは面白いし、その面白さをもっと伝えたいと思っています」
泣きながら放ったエルボーから始まったプロレス人生。上原わかなは今、"伝える力"を追い求めている。
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【学生時代は嫌がらせを受けるも屈せず】
プロレス以外ではグラビアやバラエティー、大食いなどが主な活動の上原に、「ご飯を食べながら取材させていただけませんか?」とお願いすると、快諾してくれた。新宿の雑居ビルに姿を現した彼女は、場の空気から浮き上がるような華やかさを纏い、にこやかに「よろしくお願いします」と頭を下げる。
私が興奮気味に「『夢プロレス』の時から応援していました」「アジャ選手とのシングルは泣けた」「太ももの太さばかりフィーチャーされて憤りを感じる」と矢継ぎ早に言うと、上原は少し困ったように、けれど嬉しそうに笑い、「優しいんですね」と控えめに答えた。
1996年、上原は神奈川県海老名市に生まれた。父と母は研究者同士で、研究所で出会い結婚。父はやがて大学教授に、母は専業主婦となった。3歳上の姉は銀行員。親族も堅実な職業に就く人が多く、上原も幼い頃から厳しく育てられた。
2歳でピアノを始め、バレエ、水泳、英会話......と習いごと漬けの日々。だが、それは両親に押しつけられたものではない。本人が自ら望んでやりたがったのだ。根っからの負けず嫌いで、タイムが数値で出る水泳にはとくに夢中になった。週7回プールに通ったこともある。
そんな負けず嫌いの彼女だが、デビュー1年目は控室で泣かなかった日はなかったという。
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「とにかく人に負けたくないし、自分にも負けたくない。プロレスの試合後も、どんなに先輩に褒められても、『もっとあの技、こうやって掛けられたのに』とか、納得できないと悔しくて」
中学受験を経て、中高一貫の東京農業大学第一高等学校中等部に進学。偏差値70前後の難関校に合格したのは、算数と理科という得意分野を武器にしたからだ。夢中になったらストイックに突き進む。そんな気質は、この頃から一貫している。
小学生時代は、男の子と木登りをしてスカートを破って帰るような活発な子。女の子らしい遊びにはほとんど興味を示さなかった。しかし中学に入ってテレビが解禁され、ブラウン管のなかで歌って踊るアイドルに衝撃を受ける。"可愛い女の子"への憧れが芽生えた。
ももいろクローバーZのコピーグループを結成し、文化祭でダンスを披露。先輩や後輩からサインや写真を求められるほどの人気者となった。そんな華やかさの裏で、嫌がらせを受けることもあった。
中高6年間、チアリーディング部に所属。スクールカースト上位が集まる部活だけに、選抜入りをめぐる争いは苛烈で、お弁当を食べている時に仲間に囲まれ、罵詈雑言を浴びせられたのだ。
それでも彼女は屈しなかった。根っからの負けず嫌いゆえに、選抜入りを果たすため体操教室にも通い始める。そして高校3年の時、団体で全国3位という結果を手にした。
【コロナ禍で芸能界の仕事が激減。『夢プロレス』に望みをかける】
芸能界への憧れは募るばかりだった。高校2年の時、『CanCam』(小学館)の新世代モデルオーディションに応募し、2万1608人の中からセミファイナリスト100名に選出される。翌年には映画のオーディションで映画関係者に声をかけられ、芸能活動をスタートした。
理系の大学に進学したものの、芸能への思いは断ち切れなかった。上京したいが、両親に打ち明ければ必ず反対される。そう悟っていた彼女は、水面下で準備を進める。ビールの売り子や撮影会で180万円を貯め、ひとりで物件を決め、あとは親のサインをもらうだけという段階にまでこぎつけたのだ。
書類を渡された両親は、反対するよりも先に呆れ果てたという。一度決めたらテコでも動かない。そんな娘の性格を、誰よりも理解していたからだ。
2018年、上原はアイドルユニット「Advance Arc Harmony」でメジャーデビューを果たす。ファン投票でセンターに選ばれるほどの人気を得たが、その裏側で浴びたのは厳しい言葉だった。
「痩せたらソロデビューさせてあげる」
そのひと言にすがるように、彼女は食事を断ち、毎日10kmを走り込んだ。体重は53kgから38kgまで落ちる。ステージでは笑顔を見せながら、実際にはフラフラな状態の日もあった。努力家で負けず嫌いな性格は、芸能界という環境ではしばしば"自分を削ること"に直結したのだ。
2019年5月、Advance Arc Harmonyを卒業。同年8月、『有吉ゼミ』(日本テレビ系)の「第2のギャル曽根オーディション」で地上波に初出演を果たした。きっかけは、プロフィールの特技欄に何気なく書いた「大食い」だった。
「人より少し食べられるくらい」という感覚だったが、オーディションではカレー2kgをぺろり。思い返せば、母親と焼肉の食べ放題に行き、ふたりで100人前を平らげたこともある。意外な特技を、ここでようやく自覚した。
「やっとスタート地点に立てた」。そう思った矢先、コロナ禍で仕事は激減。メディア出演の機会は半分以下に落ち込み、長い停滞期が続いた。
そんな折に巡ってきたのが、2022年5月から始まった『夢プロレス−dream on the ring−』だった。当初、上原の夢はあくまで「食にまつわる仕事を増やすこと」。プロレスラーになろうとは微塵も考えていなかった。芸能界での飛躍を目指して挑戦した企画にすぎなかったのだ。
しかし、物語は思わぬ方向へ転がっていく。単独首位を走って迎えた10月14日、新宿FACEでの最終審査。東京女子プロレスの選手とのエキシビションマッチに臨み、憧れの中島翔子と対戦するも、結果は2位。総合では同率1位だったが、上原は泣き崩れた。
「(最終審査で1位になった)凛咲子さんの試合は本当に面白かったので、納得できる部分はありました。でも『もっとできるって期待しているからこの点数』と言われたのが、どうしても悔しくて。そこは平等に評価してほしかったんです」
だが、この「2位」が決定打となった。負けず嫌いに火がついた上原は、同年11月27日の東京女子プロレス後楽園ホール大会に姿を現し、本格参戦を表明する。もし最終審査で1位を獲っていたら、プロレスを続けていなかったかもしれない。「そう考えると、2位でよかったのかも」と笑う。
最終審査に敗れたその悔し涙は、上原わかなをリングへと突き動かした。不器用でも、努力を積み重ねて駆け上がる3年間が、ここから始まる。
(後編:上原わかなはアンチからの脅迫も受け止めて リングで誰かに響く「生き様」見せる>>)
【プロフィール】
◆上原わかな(うえはら・わかな)
1996年5月13日、神奈川県海老名市生まれ。幼少期から水泳やチアリーディングに打ち込み、高校時代にはチアで全国3位を経験。2018年にアイドルユニット「Advance Arc Harmony」でメジャーデビュー。得意の大食いを武器に『有吉ゼミ』などに出演し、注目を集める。2022年、YouTube企画『夢プロレス−dream on the ring−』に挑戦し、総合1位を獲得したことをきっかけにプロレスラーを志す。2023年1月4日、東京女子プロレス後楽園ホール大会でデビュー。2023年「ねくじぇねトーナメント」優勝。2025年には上福ゆきとのタッグ「OberEats」を結成し、プリンセスタッグ王座に挑戦するなど飛躍を続けている。163cm、48kg。X:@wakana_uehara