Jリーグが仕掛ける“行きたくなる体験” スタジアムに人が集まる秘密

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2025年09月29日 09:50  ITmedia ビジネスオンライン

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新しいJリーグの楽しみ方

 2026年のサッカーW杯まで1年を切った。日本代表には欧州のトップリーグでプレーする選手も多く、本大会での躍進に対する期待も高い。一方で、有力選手の海外移籍が増えたことで、Jリーグ人気の低下を懸念する声もある。しかし、観客動員数は過去最高を記録している。


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 2024年シーズンは、年間総入場者数が1254万265人を記録し、最多だった2019年(1104万3003人)を大幅に上回った。2025年シーズンの入場者数も、9月現在で前年比109%と好調を維持している。


 60クラブ(J1〜J3まで)合計の売上高は1725億円に達し、過去最高を記録。入場料収入は前期比121%、スポンサー収入は同109%となり、50クラブが増収となった。売上高50億円以上のクラブも前年の9から13に増加するなど、収益面も向上している。


 なぜ、これほど多くの人々がスタジアムに足を運ぶのか。背景には、環境の変化とデータ分析に基づく戦略的なマーケティング施策があった。


●クラブ数の増加と新スタジアム効果


 入場者数・売上高ともに過去最高を記録した要因について、Jリーグ事業マーケティング本部長の鈴木章吾氏は「複数の要因が組み合わさった結果だ」と分析する。


 要因のひとつが、2024年からJ1のクラブ数が18から20に増えたことだ。試合数が増えたことで、集客力の高い試合も増加。1試合の平均入場者数も、J1で107%、J2で111%、J3で112%と全カテゴリーで前年を上回った。


 次に、新スタジアムの開業効果が挙げられる。2024年は広島、長崎、金沢で新スタジアムがオープンした。


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 サンフレッチェ広島が本拠地とする「エディオンピースウイング広島」では19試合中18試合でチケットが完売し、1試合当たりの平均入場者数は前年比159%となった。


 V・ファーレン長崎の「PEACE STADIUM Connected by SoftBank」は、2024年の開催が4試合だけだが同263%、ツエーゲン金沢の「金沢ゴーゴーカレースタジアム」は同129%に伸長した。


 筆者も広島、長崎のスタジアムで試合を観戦したが、いずれも大勢の観客でにぎわっていた。特に広島は、周辺の観光施設や飲食店への波及効果も大きいことがうかがえた。


 新スタジアム効果は、来場者の満足度向上にも表れている。観戦前後の体験やスタジアムの設備・サービスに関する評価スコアが上昇するなど、ファン・サポーターに価値の高い観戦体験を提供できているようだ。


●「関心を耕す」マーケティング


 これまでの観客動員数を振り返ると、一時的に落ち込んだ時期もあったが、全体としては成長を続けていた。しかし、リーグの調査によると「Jリーグに対する関心度」は、微減傾向から横ばいで推移していたという。コア層は定着していたが、新規層やライト層の来場は伸び悩んでいた。さらに、2020年からはコロナ禍の影響で入場者数が激減した。


 転機となったのは、2022年3月にチェアマンに野々村芳和氏が就任したことだ。「1年でも早く2019年を超えよう」という目標を掲げ、マーケティング戦略の見直しに着手した。


 その核となったのが、露出戦略の強化だ。後ほど詳しく紹介するが、各地域で地元クラブの存在感を高める活動に注力した。鈴木氏は「集客は獲得する行為だが、関心を高めるのは耕す行為」と語るが、この「耕す」活動が成長の基盤となった。


 2023年シーズンは2019年比で99.7%と、目標には届かなかったが、翌年の大幅増につながる成果を築いた。その要因について、鈴木氏は「リーグとクラブが一体となり、新規・ライト層の獲得に注力できた」と分析する。来場数だけでなく関心度でも改善を示し、この関心度向上のタイミングと試合数の増加や新スタジアムの開業が重なったことで、相乗効果を生み出した。


 具体的な戦略として、2021年度から導入した顧客起点マーケティングのフレームワーク「9segsR」による戦略的ターゲティングがある。5層の顧客ピラミッドに関心度の要素を追加し、スタジアム観戦回数や経験、Jリーグの認知度などを基準に9層に分類した。


 2024年シーズンは、Jリーグを知っているが来場経験がない「認知・未利用層」を重点セグメントとして設定。年に1〜2回来場するライト層ファンへ転換することに注力した。


 調査では高関心層が前年の16.7%から18.0%に、スタジアム観戦層も7.9%から9.3%に増加。特に関東以外の地域での関心度向上が顕著で、ローカル露出戦略の効果がデータでも裏付けられた。


 重点ターゲットとした認知・未利用層の規模は横ばいで推移しており、新規の認知拡大と既存層からの転換が同時に進んでいることを示している。


●ローカル露出向上で地域密着を強化


 露出戦略の具体的な取り組みとして、日本サッカー協会とJリーグが連携し、2023年4月からサッカー番組「KICK OFF!」の放送がスタート。2024年4月には、32地域・47都道府県に放送地域を拡大した。


 「露出の増加がすぐに来場に結びつくわけではないが、続けることで各地域で地元クラブの存在感が高まった」と鈴木氏は手応えを語る。実際に、全60クラブのうち、46クラブでリーグ戦の1試合平均入場者数が2023年を上回り、うち16クラブが史上最多を記録した。


 さらに「注力試合」を定め、年間の試合の中でも特に集中して集客に取り組む施策も始めた。従来のJリーグではこうした発想が乏しかったため、各クラブに通常より多い入場者数を目標とする試合の設定を依頼した。


 夏休みやゴールデンウィークを中心に、花火大会やスタジアムグルメのイベント、アーティストの来場など、サッカー以外の魅力も含めて訴求し、リーグ側も費用を一部負担した上で、ローカルメディアと連携した情報発信もしている。


 また、首都圏では国立競技場で開催される試合を特別ブランド化した「THE国立DAY」を実施。2024年はリーグ戦13試合を開催し、合計65万4165人を動員した。これはリーグ戦総入場者数の5%を占める規模だ。鈴木氏は「国立競技場は世界的に見てもアクセスの利便性が高い。初観戦のきっかけとして絶好の場」と位置付ける。


 注力試合を設定し、集客にこだわることで満員のスタジアムを体感してもらい、初めて来た人やライト層が「もう1回行きたい」「誰かを誘って行きたい」という次の行動につなげてもらうことが狙いだ。


●大規模な招待施策で新規層を取り込み


 注力試合と連携して実施しているのが、リーグ主導の大規模な招待施策だ。無料での招待だが、単なるバラマキではない。JリーグIDの登録を必須とし、クラブの顧客資産として残るデータを取得している。


 招待は売り上げの向上にもつながっており、入場者数と入場料収入は比例して増加。再来場率は、1年以内で20〜30%、2年以内まで広げると30〜40%に達する。キリンホールディングスや野村総合研究所などでマーケティングに従事してきた鈴木氏は「他業界なら数%で合格点とされるリピート率を大きく上回っている」と評価する。


 また、新規層がスタジアムに来るきっかけづくりとして、外部の有力なIPホルダーとのコラボレーションも強化している。2024年は「ちいかわ」、2025年は「サンリオ」とのコラボを実施。来場を後押しする効果を生んでいる。


 それぞれの施策は、単独で効果を発揮するのではなく、複層的に絡み合うことで成果を生み出している。露出増加により関心が向上し、注力試合の設定で満員体験を提供。招待施策とIPコラボで新規層の心理的ハードルを下げ、リピート率の高さが持続的成長につながる循環を生み出した。


●JリーグIDが可能にした統合マーケティング


 マーケティング戦略を支える基盤となるのが「JリーグID」だ。チケットやグッズの購入など、さまざまなサービスを利用できる仕組みで、登録者数は2017年の48万人から2025年7月時点で480万人まで拡大。月間アクティブ率も約25%と高水準を維持している。


 アクティブ率は、単なるページ閲覧ではなく、チケットやグッズ購入、試合への来場、アプリでのチェックインといった「実際の行動」を基準に算出。年1回以上のアクティブ率も約50%と、利用率の高さがうかがえる。


 全60クラブには、JリーグIDを基軸としたマーケティングデータベースを提供し、メール配信やアプリのプッシュ通知機能も含めた包括的なツールを用意。


 独自性の高いオープン化により、クラブが独自に開発したアプリやサービスでもJリーグIDの認証が使用でき、そこでの利用履歴もマーケティングデータベースに蓄積される仕組みを構築している。


 J1を中心とした12クラブでは、さらに高度なマーケティングオートメーションを導入。「特定のアクションをした人に送るオファー」などの細かなシナリオ設定が可能で、データを蓄積して施策を実行し、効果を検証するPDCAサイクルが完結する環境を整えている。


 これらの仕組みを支えるため「クラブサポート本部」を設置し、メンバーが各自2〜3クラブを担当。マーケティング部とクラブ、テレビ局とクラブの橋渡しなど、多岐にわたるサポートを提供している。


 「クラブ独自でマーケティングツールを持つケースが多い他のプロスポーツと比べ、リーグ主導でここまでやるのは国内外でもほぼない」と鈴木氏は説明する。


 クラブ間での成功事例の共有も活発だ。競技上ではライバルとなるが、「Jリーグ全体を盛り上げていこう」という思いで一致している。年に数回の勉強会や交流会など、ツールだけでなく、事例の水平展開もできていることが入場者数増加の土台になっているようだ。


●2026年から「シーズン移行」を実施


 2025年シーズンも、入場者数は前年比109%で推移するなど好調を維持。鈴木氏は「露出戦略と注力試合の効果が2年目により大きくなっている」と分析する。


 この勢いを持続したまま、Jリーグは大きな変革期を迎える。2026年から予定するシーズン移行だ。2026年1〜6月に約半年間の特別大会をはさみ、8月から年をまたぐ「8月開幕、5月閉幕」のいわゆる「秋春制」となる。


 過去最高の状態でシーズン移行に臨めそうだが、最大の課題は認知の拡大だ。これまでの春開幕・年末終了に慣れ親しんだファンや一般層に対し、カレンダーの変更を認知してもらう必要がある。開幕や終盤戦の時期も変わるため、打ち出す施策の内容やタイミングにも工夫が求められる。


 一方で、シーズン移行は移籍市場も拡大する可能性がある。秋春制を採用する欧州では、新シーズン前の夏の移籍市場は規模が大きい。移行後はJリーグのオフシーズンも欧州クラブが積極的に補強資金を投じる時期と重なるため、適正な移籍金を得やすくなると期待される。クラブにとっても大きな収益源となる。


 選手の海外移籍が増えることでリーグの人気低下を懸念する声もあるが、鈴木氏は「適正な移籍金を獲得できれば、次の戦力投資に活用できる。選手の流動性が高まることはチャンス」と前向きに捉えている。


●10年後の目標に向けた戦略


 Jリーグは、シーズン移行が決定した際に10年後の目標を掲げている。「クラブの経営規模を1.5倍から2倍にすること」「アジア・世界で勝つこと」「日本代表メンバーにJリーグ選手が食い込むこと」の3つだ。


 目標の達成に向けて、鈴木氏はマーケティング戦略を集客向上にとどまらない取り組みと位置付ける。「Jリーグ全体の価値向上を目指している。世界のサッカー界における立ち位置や存在感を変えていきたい」と語る。


 足元の課題も明確だ。現在のスタジアム収容率は、全体で約5割にとどまっており、まだ倍にできる余地がある。招待施策も売り上げが比例して増えているか常に検証し、収容率と入場者数、入場料収入のバランスを注視していく姿勢を示す。


 他のプロスポーツを見ても、Bリーグは2024〜25シーズンに過去最高の484万5109人を動員し、プロ野球も2024年は2600万人余りと5年ぶりに過去最多を更新するなど好調だ。


 AIやデジタルが進化する時代だからこそ、リアルな体験価値の重要性が増していることがうかがえる。人口減少という避けられない課題があるからこそ、データ分析による最適な施策の展開と、リーグ全体でのブランド価値向上が不可欠だろう。


 サッカー界の世界最高峰とされるプレミアリーグ(イングランド)の売上高は2022〜23年シーズンで約1兆1500億円といわれている。1990年代はJリーグとほぼ同等だったが、今や7倍以上の差がついた。


 しかし、日本代表が「W杯優勝」を目標に掲げるまで成長したように、Jリーグもデータとリアル体験の融合により新たな成長ステージに向かっている。Jリーグの発展と成長はまだ道半ばだ。


(カワブチカズキ)



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