
思わずドキッとするタイトルの本がある。『母親になって後悔してる』という一冊だ。イスラエルの社会学者オルナ・ドーナト氏の著書で、世界各国で刊行されて話題となり、日本でも2022年に翻訳出版された。
産んだこと、後悔してる
ドーナト氏の本に心を揺さぶられたNHK記者の高橋歩唯さん(36)とディレクターの依田真由美さん(37)が国内で取材を開始。『クローズアップ現代』などで放送すると大きな反響を呼び、その後に『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』にまとめて2024年10月に出版した。
この2冊の本が火つけ役となり、「自分もそうだ!」「後悔しているって言ってもいいの?」など、それまで言葉にできなかった母親としてのモヤモヤをSNSやブログなどで発信する人が増えている。中には自分の苦悩や後悔をびっしりと書き込む人も!
「後悔するほど、一体何が母親たちを苦しめているのか」知りたくなって独自取材を行った。呼びかけに応えてくれた30代から50代まで4人の母親と父親1人のリアルな声を、全5回に分けてお届けしたい。
「お腹を取りたかった」明かした本音
「私には子どもの存在自体がプレッシャーで。母親という仕事が向いていない。適応障害状態なんだと思います」
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淡々とした口調で子育てについて話すカオリさん(仮名=31)。清楚でまじめな雰囲気のカオリさんは、建築関係の仕事をする夫と26歳で結婚。27歳で長女を、30歳で次女を産んで、2児の母になった。
「妊娠中は他人に身体を貸しているみたいで、すっごく(お腹を)取りたかったんですよね。ホントに気持ち悪くて、もう二度と貸したくない」
カオリさんは看護師をしている。育児の知識は十分あったが、子育ての大変さは想像を超えていたという。
「産んでからも、自分が料理しているときに、子どもに話しかけられるとイラついて、子どもに手を上げちゃったり……。お菓子ちょうだいとか、抱っこしてとか、本当に子どもらしい欲求なんですけど、なぜかカッとなってしまって。
下の子は我が強くて、私の姿が見えないと激しく泣いて後を追いかけてくるので、トイレに行くときもイヤホンして爆音で好きなアーティストの音楽をかけてます」
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長女は聞き分けがよく比較的育てやすかったが、次女は「寝ない子」で、カオリさんは出産直後から睡眠不足が続いた。あまりに寝ないので、リビングにべビーサークルを置いて生後4、5か月の次女を1人で寝かせ、数時間おきにミルクをあげにいったそうだ。
何よりつらかったのは、自分の時間が持てないこと。乳幼児を育てる親なら誰もが通る道とはいえ、カオリさんは息が詰まるような毎日にうまく適応できなかったという。
「もともとゲームが好きで結構、没頭したいタイプなんですよ。上は1人で遊べる子だったので、私がゲームしていても話しかけてこなかったけど、2人目が生まれてからは、ゲームはもちろん、自分のことは全部後回しだし。
いちばんダメージがあったのは、推しのライブに行けなくなったことですね。子どもを産む前は昼公演、夜公演あったら、どっちも行っていたけど、泣く泣くあきらめて。そういうことの蓄積で、心がすり減っていったんだと思います」
「いのちの電話」でもらった言葉
そして、生後半年を過ぎるころには、カオリさんは深刻な育児ノイローゼ状態になってしまう─。
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「起きるのもつらいし、常に眠いし、食欲もないし、毎日の家事も回らないし。うつ状態だったんでしょうね。『死にたい』とばっかり考えてしまって。なんか、死に方をいろいろ調べたんですよ。
でも、確実に死ねるかわからないし、死んでも何のメリットもないし、家族だって私に消えてほしいと思っているわけではない。そんなふうにぐちゃぐちゃ考えていました」
夫も妻の不調に気づいて話を聞いてくれたが、愚痴を言ってもスッキリしなかった。
悩んだ末にカオリさんが頼ったのは「いのちの電話」だ。自分の状況を説明して、「本当は保健師に相談したり病院に行ったほうがいいと思うけど、一歩が踏み出せない」と打ち明けると、受話器の向こうで年配らしき女性が優しくこう言ってくれた。
「ここに電話をかけてきたことが一歩ですよ。それができたなら、他のこともできるから自信を持ってくださいね」
その言葉に「すごく救われた」というカオリさん。地元の保健所に電話をすると、すぐ保健師が自宅に来てくれた。子どもへの虐待の可能性を考慮したのではないかという。
保健師に精神科への受診をすすめられ、病院で薬を処方してもらうようになると、カッとしたりイライラすることはだいぶ減った。
通院するときは、近くに住む実母が娘たちを預かってくれるようにもなった。それならば、もっと早く相談すればいいのにと思うが、なかなか打ち明けられない理由があったという。
「母も医療職で、子ども3人を育てながら仕事もバリバリやってた人だから、育児ノイローゼになったとは言いづらくて(笑)。それに母は昔からうつ病とか精神疾患系に否定的で、気合が足りないからこんな病気になるとか言っていたし。病院に行くときに初めて話しました。母はいろいろ言いたそうだったけど、のみ込んでくれた感じでしたね」
私が母親でゴメン罪悪感の正体
不思議なのは、そもそもカオリさんは「子どもが苦手」「母親業が向いてない」と自覚しているのに、2人も産んだことだ。理由を聞くと、カオリさんは夫のためだと即答する。
「夫が子どもを欲しがったんです。4人家族っていうのが彼の理想だったから。今もそうですけど、彼を『大好き!』という気持ちがすごく強かったので、彼が想像している人生を叶えてあげたくて。
それに夫はとても家庭向きな人で、まあ、彼がいるから大丈夫だと思っていたんですけど、『主たる育児者が母親になる』ことへの想像力が欠けていたんですね。夫の育休は5日間だったかなぁ。普段も早く帰りたいけど周りの理解を得るのが大変みたいです」
夫に「いのちの電話」にかけたことを伝えるとひどく驚かれ、カオリさんが1人になれる時間を時々つくってくれるようになった。
取材前日の日曜日も、カオリさんはメンタルが落ちてしまい、夫に頼んで「丸1日、2階の部屋にひきこもっていた」と言うが、なぜか表情は曇ったままだ。
「やっぱり罪悪感があるんですよ。夫1人に子どもたちの面倒を見させちゃって申し訳ないとか。夫は私に『罪悪感を持ったら怒るよ。君がやるべきことは精いっぱい休むこと』と言ってくれるけど、『ママどこに行ったの?』『ママがいい!』みたいな感じで泣かれると、私もつらいんですよね」
でも、夫自身が「罪悪感を持たないで」と言っているのだから、もっと甘えればいいのではないか。そう投げかけてみると、カオリさんはしばらく考えて、こう答える。
「好きな漫画の影響か、自分の中に理想の母親像がぼんやりとあるんです。いいお母さんは、優しく、穏やかで、何かを要求したらすぐ応えてくれるみたいな。
それに比べて自分はなんてダメな母親なんだろう、遊んであげられなくてゴメン、私が母親でゴメンって。もうひとりの自分が、自分を責めているみたいな状態ですね。育児を選んだのは自分なんだから、ちゃんとやりなさいよって」
思わず「まじめなんですね」と嘆息すると、カオリさんも「ほんと、まじめとはよく言われます。でも、それ以外の生き方はたぶんできないんで」と控えめに笑った。
幸いなことに、カオリさんの育児環境は恵まれている。両方の実家が近いため、何かあってもサポートを受けやすい。カオリさんの気分がすぐれず、出前や惣菜の食事が続いても、夫は文句を言わないし、話も聞いてくれる。
「客観的に見てすごく恵まれていると思います。それなのに、なぜ私は苦しんでいるんだろうって。恵まれていると思えば思うほど、悩んでいることに罪悪感を持ってしまうんです。難しいですよね」
押しつけられる理想の母親像
そんなふうに苦しんでいる最中に、Xでタイトルを目にしたのが、『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』だ。カオリさんは興味を持ち、すぐに読んでみたという。
著者の1人であるNHKディレクターの依田さんは、カオリさんのように罪悪感に苦しむ母親はたくさんいると話す。そして、母親たちが罪悪感を持ってしまう背景をこう考察する。
「社会が感じている母親像って結構、画一化されていますよね。母親は子どものことを一番に考えて、自己犠牲的で、おいしいごはんを作って、いつもニコニコ笑顔で迎える聖母みたいな感じで。周りの人も、理想像からちょっと外れた母親に対して、『もっと母親らしくしなさい』と言ったりする。
じゃあ、母親らしくって、何なんでしょうね。子どもの保護者は母親だけではないはずなのに、なぜか母親だけに理想像が押しつけられている。そういった社会の圧力みたいなものが、多くの母親たちを苦しめているのだと感じましたね」
では、カオリさんは本を読んで、どう感じたのだろうか。
「読みながら1章から泣いちゃって……。それまで孤独感が強かったんです。周りの友達は楽しんで育児している子が多いので、私は間違った母親だと思っていたから。それが、私みたいな気持ちで育児をしている人は他にもいるんだと知って、すごくびっくりしたし、共感もしました」
本を読む前から、「後悔している」という自覚はあったのかと聞くと、カオリさんは小さく頷いた。
「たぶん、無意識にそう思ってはいたんですけど、言葉にしたらダメだなと思っていて。母親と後悔。このワードを並べていいんだと思いました。別に後悔していると言うのは自由だし、子育てを放棄しなきゃいいだけですよね。
本を読むと皆さん、環境も年代も違うけど、育児をやり抜いている。だから、私も今を耐えよう。耐えるためにどうしたらいいか考えよう。そう思ったら、なんかちょっと楽になったんです」
やり直せるなら産まない?
本に登場する母親たちは、それぞれのやり方で自分らしさを取り戻して、次のステップに進んでいる。カオリさんも夫や母に子どもを預けたり一時保育を利用して、できる範囲で、やりたいことをやるようになった。
「ロックフェスも好きなんですけど、夫の帰りが遅い日だと、トリまでいられなくて。この間はCreepyNutsと星野源を見逃したんですよ。ほんとつらかった!あと何年かして、子どもも一緒に楽しめるようになったら、もっと楽しいでしょうね」
看護師の仕事も再開した。朝が早いので母に子どもを預かってもらい、週に1回健診会場に出向く。「毎回違う会場で、一緒に働く人も違うので面白いですよ」と言って、カオリさんは笑顔を浮かべる。
他にもカウンセリングを受けて自分を深掘りしたり、ブログ系サイトに自分の気持ちを書き留めたり。夫婦で話す時間も月に1度設けるようにした。お互いへの不満や改善点を話し合うのだが、夫の観察力にはいつも驚くそうだ。
「この1か月の間、君はこういうことで落ち込んでいたけど、このときは元気だったよねとか客観的に覚えているので、すごいなこの人って。パートナーが彼でなかったら、私はとっくのとうに死んでいたと思います。
君は自分の生き方が好きでしょ?別に親で子どもの人生がすべて決まるわけじゃないし、自由に生きている親の姿を見て学べ、くらいの気持ちでいたらいいんじゃない。そんなふうにも言ってくれて、とても救われました」
もし、結婚当初に戻れるとしたら、子どもを産まない道を選ぶかという質問をぶつけると、カオリさんは「難しいですよね……」と言って考え込んだ。
「産みたくないと思う自分もいるし、夫が子どもたちとわちゃわちゃ遊ぶ姿を見ていると幸せだな〜と思うので、産まなきゃよかったとは断言しづらいですね」
子どもたちを「かわいい」と思うこともないのかと重ねて聞くと、「何ミリかは……」と言って、言葉を探す。
「上の子は私が服を着替えたりすると、『ママかわいい』とか言ってくれるので、ああ、かわいいなと思いますよ。下の子が1人で遊んでいる背中を見ていると、かわいい生き物だなと。でも、無理にかわいいと思う必要はないのかなとも思います。
たまたまこの家に生まれて、たまたま一緒に暮らしている同居人くらいの距離感で生きられたらいいのかな。中学生くらいになったら家のこともある程度はやってほしいし、家事は母親だけの仕事じゃない、みんなの責任だよと伝えていきたいですね。今は低年齢だから手がかかるのは仕方ない。ここは踏ん張りどころだよなと日々、自分に言い聞かせながらやっています」
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次回は、夫の海外赴任で自分のキャリアを中断し専業主婦になった2児の母親の話をお伝えする。
取材・文/萩原絹代
はぎわら・きぬよ 大学卒業後、週刊誌記者を経て、フリーライターに。社会問題などをテーマに雑誌に寄稿。集英社オンラインにてルポ「ひきこもりからの脱出」を連載中。著書に『死ぬまで一人』(講談社)がある