
隠しておきたかった過去
「今になって、過去が問題化するとは思わなかった」そう言うのはマサコさん(40歳)だ。彼女には「人には隠しておきたい過去」がある。20代前半の数年間、風俗で働いていたという。
「親の借金です。父親が、昔世話になった人の連帯保証人になったんだけどその人が逃げてしまって。父はショックのあまり病気になり、母とは離婚。当時、私は大学生で退学も考えましたが、せっかく入ったのだからと辞めずに生き残れる道を探ったんです。行き着く先は風俗しかなくて」
大学に通いながら、必死に風俗で働いた。頑張ったかいがあって3年で借金は完済。父は涙を流して「ありがとう」と言い、そのまま亡くなった。
「父の人生、何だったんだろうと思いました。弟と妹も私が頑張って学費を出し、大学まで行かせた。でも二人は感謝なんかしてくれなかった。恥ずかしい姉だと思っている。母もどこか私を疎んじていたので、20代半ばから家族とはいっさい、接触していません」
仕事先で知り合った男性と付き合うことに
その後は昼間の仕事に転職。美容関係の企業での営業職は彼女に合っていたようで、頻繁に出張しながらキャリアを築いてきた。就職時、彼女は正直に風俗で働いていた過去を社長に話した。だが社長は「営業成績さえよければ過去など関係ない」というタイプ。それがマサコさんの仕事魂に火をつけたという。
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それでも彼はめげなかった。デートに誘い、自分の仕事の都合さえつけば出張帰りのマサコさんを空港まで迎えに来た。
「僕はあなたと一緒にいる時間がとれればそれでいいとまで言ってくれた。彼の気持ちに打たれて、付き合うくらいならと受け入れてしまった」
付き合うだけなら過去を話す必要もないと判断した。
結婚するにあたって
結婚はしないと、マサコさんは最初から彼に言ってあった。だが付き合って1年ほどたったころ、彼はプロポーズしてきた。「結婚はしない。別れようと言いました。すると彼は、別れるくらいなら結婚しなくてもいい、でも一緒に住みたいと。それも嫌だと断りました。彼はいったんは話を引っ込めましたが、そんなとき彼に大きな病気が見つかったんです」
彼は「別れよう」と言った。マサコさんの負担になりたくないから、と。その彼の思いに、今度は自分が応えなければいけないと彼女は思った。
「手術などの同意だって家族でなければできない。それを知って婚姻届を出しました。彼は涙ぐんでいましたね。ただ、婚姻届を出すにあたって、私は人には言えない過去がある、それを話してから結婚するかどうか決めてほしいと言ったんです。
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ありがたかったし、これを機会に過去を忘れようと決めた。家族を救うための過去だ。誰に恥じることもなかったのだが、彼女はどうしても人に知られたくなかったという。
SNSにメッセージが
32歳で結婚、彼の病気が寛解し、5年後に女の子が生まれた。その子が3歳になったつい最近、彼女のSNSにメッセージがあった。「当時のお客さんなのか同僚なのか分かりませんが、『普通に結婚なんてしてるんだー』って。そのメッセージ、夫にも行っていたんです。私のSNSをたどると夫のこともすぐ分かるので調べたんでしょうね」
仕方なく夫に親の借金を返すために働いたと話した。すると夫は「今ごろ聞きたくなかった」とつぶやいた。あのとき話そうとしたら話すなと言ったのにと、つい責めるような口調になった。
結婚するかどうかのときはあれほど潔く情の深い態度を見せた夫が、なぜそんなふうに変わったのかといえば、「娘をもったから」だという。娘をもつ身で、そういう話を聞かされたら胸が痛んでたまらないと夫は言った。
「これで私のことを軽蔑するなら仕方がないけど、今後もこういうことはあるかもしれない。誹謗中傷が来るようなら警察に相談するし、あなたがどうしても不快で私を妻と認めないというなら、それはそれで考える」
夫にそう言ったら、夫は苦しそうに「あなたはずっと僕の妻だよ」と小声で答えた。だが、自分の過去が夫を苦しめていると思うと、以前のように明るく振る舞えなくなったとマサコさんは言う。
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時間を経てもなお、そういう嫌がらせをする人間はいるということだろう。ブレなかった夫がここへ来てブレかかっているのもマサコさんを追いつめている。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(フリーライター))