【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】G2P-Japanイギリスツアー2024〜ケンブリッジ、グラスゴー(後編)

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2025年10月09日 09:10  週プレNEWS

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グラスゴーの新しいスローガン。「PEOPLE(みんな)」(連載88話参照)ではなくて、それを作るのは「YOU(あなた)」という、和田アキ子的な力強いスローガン。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第145話

筆者にとって、「やってきた」というよりも「帰ってきた」という感覚が強い、グラスゴーという場所。滞在した3日間すべて好天というグラスゴーらしからぬ天候の中、最大級の歓待を受ける。

【写真】グラスゴーツアーの参加メンバー

* * *

■6年ぶりのグラスゴー

さて、ケンブリッジ訪問を終えて、勝手知ったるグラスゴーである。

最初に少し解説を――私は2015年に、グラスゴー大学のCVR(Centre for Virus Research、ウイルス研究センター)に「長期出張」をした。その顛末の詳細は過去のコラムに譲るが(87話)、グラスゴーは私にとって、2015年当時の感情をフラットに表現すれば「いわくつき」、2025年現在の感覚からすると「アナザースカイ」的な、愛憎入り混じる不思議な街である。

ケンブリッジ(143話)に続いて、ここでもG2P-Japanに受難が待ち受けていた。グラスゴーツアーから参戦予定だったあるG2P-Japanの研究チームに、新型コロナの「第11波」(57話)が直撃し、渡航自粛を余儀なくされてしまったのである。

かくしてグラスゴーには、ケンブリッジから継続参加の私とギリシャ人ポスドクのS、北海道大学チームFの若手2名に加えて、グラスゴーから参戦した私のラボの准教授Iの計5名で望むこととなった。

■グラスゴーでのひととき

私にとって4度目のグラスゴー。しかし実際、記憶に強く残るのは、やはり初訪問たる2015年のエピソードである(87話)。

10年前の2015年に私は、誰かの紹介やコネクション、それまでの研究成果の背景などは一切なしに、言うなれば裸一貫でグラスゴーに乗り込んだ(89話)。それは結果的に大失敗だったわけだが、それがそのように記憶されていないところに、グラスゴーという街が秘める面白さがあると思っている。

コロナ禍前の2018年に最後に訪れて以来、実に6年ぶりのグラスゴー。やはり私にとってのグラスゴーは、ロンドンやケンブリッジのように、「やってきた」というよりも、「帰ってきた」という感覚が強い。

今回グラスゴーには3泊したが、これまでに経験したことがないレベルの好天に恵まれた。雨どころか、陽が差し続けている。グラスゴーで大学院生活を過ごしたポスドクSや、知己たるグラスゴー大学CVRの面々と、「こんなのはグラスゴーじゃねえな」という軽口を叩きた合いたくなるほどの、神がかり的な数日間だった。

ちなみにこのコラムは、2024年7月下旬の出来事を書き記しているわけだが、40度に迫っていた東京とはまるで違って、グラスゴーの気温は20度をちょっと超えるくらい。いでたちもロンTにスプリングコートがちょうどいいくらいの気候だった。

私にとって馴染みの深い、「ウエストエンド(West End)」という地区にあるホテルに滞在する。懐かしいバイヤーズロード(Byers Road)を散策。「Oran Mor」という、ウエストエンドのランドマーク的な教会を改装したパブのテラス席で、「テネンツ(Tennent's)」というグラスゴーのビール(89話、102話)を飲み、このコラムの草稿を書いたりしながら、神がかり的に晴れ渡った束の間のスコットランドの時間を楽しんだ。

ボタニックガーデン(Botanic Gardens)の芝生には相変わらず日光浴を楽しむたくさんのひとたちが寝転がっていて、思う存分に日光を浴び、晴れた日を謳歌していた。

■スコットランド(グラスゴー)のグルメ

「イギリスの飯はマズい」とよく言われる。ロンドン、あるいはイングランドのそれについて、私はそれを否定する術を持たない。しかし、スコットランド、特にグラスゴーのそれについては別である。

スコットランド、特にグラスゴーの食のレベルはとても高い、と私は思っている。ムール貝やテナガエビのようなシーフードに加えて、スコットランド名物たる「ハギス(Haggis)」も、ちゃんとした店で食べるととても美味しい。

■CVRにて

そして、私(とポスドクS)の「古巣」たるCVRでのワークショップ。それは、ホスピタリティにあふれた素晴らしい会合だった。

マッシモ・パルマリーニ(Massimo Palmarini)所長や、旧知の仲であり、ポスドクSの指導教官のひとりでもあるデービッド・ロバートソン(David Robertson。14話の冒頭の写真や90話にも登場)教授などのCVRの面々も、(私の感覚として)最大限の歓待で応えてくれた。

現地参加が叶わなかったG2P-Japanのメンバーも、Zoomでオンライン参戦した。やはり「あのG2P-Japan!」というところもあるのか、抜群の反応でとても盛会となった。

丁寧に計画されたワークショップの後にはなんと、ビュッフェ形式の懇親会も用意されていた。ポスドクSやCVRの面々にも、「こんなもてなしは見たことがない」と言わしめるほどの歓待ぶりだった。

しかもその食事会の会場は、10年前、私が持参したサンドウィッチとポテトチップをひとり寂しく食べていた(90話)、まさにその場所だったのである。

10年前にグラスゴー生活を終えた直後には考えられない世界線である。この会合を終えた後には、まるでそれだけでなにかを成し遂げたような、言葉にできない感情を覚えた。

■旅路を終えて

そして、グラスゴー最後の夜。バイヤーズロード沿いにあるパブで、G2P-Japanの面々やCVRのみんなとしたたかに飲んだ。何杯かのパイントビールを飲んだ後、みんなと握手を交わし、再会を期してひとり帰路についた。

初夏のグラスゴーの陽は長い。時刻は22時を過ぎて、辺りはようやく暗くなりはじめる。懐かしいグラスゴーの、ひんやりとした初夏の夜の空気が身を包む。

その帰り道、昔聴いていたグラスゴーにまつわる曲がなんとなくなじむ感じがしなくて、ちょうど発売されたばかりのTravis(トラヴィス、グラスゴー出身のバンド。88話参照)の『L.A. Times』という最新アルバムから、「Raze the Bar」という曲を選んだ。

その歌詞はちょうど、過去と現在の私の心境をなぞるようにつづられていた。

We couldn't change it even if we tried We are, we are who we are, who we are Pour me one more before we raze the bar 

(対訳:DeepL、筆者改変)
「いくら頑張っても変えられなかった それでも僕たちは僕たちだ そのバーをぶち壊す前に、僕にもう一杯注いでくれないか」

10年前、裸一貫でやってきたグラスゴー。ゼロからのスタートで、なにも成し遂げることができなかったこの場所で、今回のような歓待を受けたこと。そしていつの間にか、そこで知人の輪が広がって、今では私の研究活動の大切な拠点のひとつとなっていること。

ひとりでとぼとぼと歩いていた、夜のウエストエンドの帰り道。そこには、あの頃とはまるで違う景色が広がっていた。

文・写真/佐藤 佳

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