「母親になって後悔」37歳女性が語る、“闇”だったワンオペ育児と共働き家庭の“キャリア格差”

1

2025年10月11日 21:00  週刊女性PRIME

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週刊女性PRIME

※写真はイメージです

「母親になって後悔してる」

 そんな刺激的なワードで、自分の子育ての苦悩をSNSなどで発信する人が増えている。「後悔するほどに、何が母親たちを苦しめているのか」リアルな声を聞きたくて独自取材を行った。

短期集中連載 産んだこと、後悔してる

 短期集中連載の2回目は、夫の海外赴任で自分のキャリアを中断し、専業主婦になったマミさん(37)の話をお伝えする。

「1人目の子どもを産んだとき、『人生終わった』と思った」

 ブログ系サイトにそう書き記したマミさん。現在はベトナム在住のためオンラインでの取材になったが、慣れた様子で受け答えも非常に明快だ。

 IT企業のプロダクトマネージャーをしていたマミさんは大学の同級生と結婚し、28歳で娘を出産した。周囲に子どもを産んだ友人は誰もいなかったが、大人になったら母親になるのは当たり前だと思っていたので、20代のうちに産みたいと考えていたのだ。

「自分は絶対いい母親になる」と自信満々で出産を迎えたが、産んだ直後から病室で泣く日々が始まったという。

「母乳育児を推奨している病院を選んだので、母乳が出なくても、出せみたいな感じで(笑)。でも、私は全然母乳が出なかったから子どもは夜も寝なくて……。初日から母子同室だったので、ずっと抱っこしながら泣いてました。

 母親ならみんなこれに耐えているんだと思っていたので、できない自分が悪いんだと思ってしまって」

 実家で1か月過ごして自宅に戻ると、母子2人きりのワンオペ生活が待っていた。夫が勤務する建設会社は典型的な男社会で、結婚したときに同僚から「奥さん仕事辞めないの?」と聞かれたほど。夫の帰宅はほぼ毎日夜11時過ぎだった。

 ある日、娘を抱いてベランダに出て日光浴をしていると、こんな考えが浮かんだ。

「このまま赤ちゃんを落としたらどうなるんだろう」

 マミさんは自分でもびっくりして、慌てて部屋に戻ったそうだ。

「悲しいとか感情は何もなくて、もう、フッと。そのときは育児が全然楽しめていなかったんだと思います。ただおっぱいをあげたり、オムツを替えたりしてお世話をすることに、喜びを見いだせなかったんでしょうね。

 産んだときは、『かわいい、かわいい』と言ってはいたけど、かわいいって思い込もうとしていたのかな」

ワンオペ育児で迎えた限界……

 不思議な体験はそれだけではなかった。生後2か月の娘を連れて母子の集いに参加すると、他の母親との会話が成り立たなかったという。

「全然わからないアラビア語とか聞くと、右から左に流れていくじゃないですか。そんな感じで、みんなが何を言っているのかわからなくて、衝撃でしたね。たぶん、家に赤ちゃんと2人きりの日々で大人と全然会話していなかったからだと思います。

 当時は自分が精神的に追い詰められているという認識もなかったので、リハビリ代わりに友人と会話しているうちに、徐々に回復していきましたが」

 娘が8か月のときに保育園に預けて復職した。朝10時に出社して、午後3時半に帰る時短勤務。「母親になるとダメだ」と言われるのが嫌で、与えられた仕事を懸命にこなした。だが、復帰から1年後に管理職になったころから、「うまくいかないな」と思うことが増えたそうだ。

「仕事は面白かったけど、朝はドタバタだし、帰宅後はお世話するのに精いっぱいで、取り込んだ洗濯物は山積みだし。寝かしつけたら終わってない仕事もしたいのに、娘はちょっと神経質なところがあり、とにかく寝なくて。

 毎晩寝かしつけに1時間くらいかかっていたので、『早く、寝るッ!!』って(笑)。叱っても無理なんですけどね」

 マミさんが1人で悪戦苦闘している間、夫は子どもが生まれる前と変わらずに仕事をして、順調にキャリアを重ねていく。夫とは同じ大学の同級生で、就職しても力の差は出ないだろうと思って働いてきたのだが、現実にはマミさんと夫のキャリアは差が開いていくばかり……。

「あなたが仕事できるのは、私がこういう働き方で、家事をしているからでしょ!! 最初は折に触れてそういう話をしてケンカもしたけど、夫は全然変わらないので、だんだん言う気もうせて。

 例えば、忘年会のときや残業したいときなど、夫に保育園に迎えに行ってほしいなと思ったけど、それも全然無理で。そのうちハードルが低くなっていって、最後のほうは彼がやる仕事は、お風呂洗いとゴミ捨てと朝の保育園の送りだけ。

 私はそれでもう満足できるようになってしまって(笑)。いや、1回だけお迎えしてもらったことがありましたね。その日は楽しかったことをよく覚えています(笑)」

共働き家庭のキャリア格差

 娘が4歳になり、育児もだいぶ楽になってきたと感じたころ、息子を出産した。1人目のときとは違い、気持ちにも余裕があったという。

「4年ぶりの赤ちゃんはかわいかったです。2人目は母乳にこだわらず、最初からミルクをあげました(笑)。1年後に必ず仕事に戻れる安心感があったので、育休の1年間は何も考えないで楽しもうと思っていましたね」

 復帰に際して不安はなかった。ワーママとしての経験もあるし、前よりもうまくやれる自信すらあった。

 ところが、復帰後すぐに仕事がうまく回らなくなる。子どもたちは保育園に預けていたが、毎月どちらかが病気にかかってしまう。1人が治っても、もう1人にうつり、最後は自分もかかる負のループ……。

 会社側は良かれと思って、責任の重大な仕事を任せてくれなくなり、マミさんは「キャリアが積めない」「私ってお荷物?」と焦りが募ったそうだ。

 復帰して3か月後、夫に突然言われた。

「俺、ベトナムに異動がありそうなんだけど」

 マミさんにとっては、まさに青天の霹靂だったが、その後の決断に迷いはなかった。

「もし、そこで私が一緒に行かないと言ったら、彼も行くのをやめたかもしれないけど、行きたそうだったし、じゃあ、私は辞めてもいいかと。

 私の勤務先は退職しても3年以内なら再雇用の制度があったし、別々に暮らすことは考えられなくて。私の実家は家族仲が良かったので、やっぱり家族は一緒にいたいって思っちゃうんですよ。最近、それも一種の呪いなんじゃないかと思うんですけど」

 結局、マミさんは復帰して1年もたたずに退職した。だが、夫は先に単身で赴任したため、退職前の半年間は完全なワンオペで仕事と育児をこなした。子どもの病欠が続きそうなときは実母に来てもらって在宅勤務にしたり、家事代行サービスも使ったりしてしのいだ。

「大変すぎて、そのときのことは、もうあんまり覚えてないです」

 それまで、何を聞いてもハキハキと話していたマミさんだが、思い出すのも嫌なのだろう。

子どもと遊ぶ時間に拒否反応……

 ベトナムで暮らし始めたのは2024年春。マミさんにとっては初めての専業主婦生活だ。仕事をしていた時間が丸々空くので、読書や勉強もできると期待していたが、自分の時間はほとんど持てず、イライラすることが増えた。

「子どもと遊ぶのも拒否反応というか、もう本当に闇でしたね。リカちゃんごっこも、働く車のお絵描きも、絵本の読み聞かせも、楽しくないのに、延々と付き合わなきゃいけない。

 水だ何だ要求されっぱなしで、もう奴隷だわって思いましたね。働いていたときは、5分でも時間があったら、『何々ごっこしよ』ってノリノリで遊んでいたのに、不思議ですよね」

 イライラは夕方になるとひどくなった。夕飯と翌日の弁当を作り、子どもたちにごはんを食べさせる。風呂に入れ、寝る前に本を読んで、午後8時半には布団に入る。少しでも思いどおりにいかないと、激しい怒りに襲われた。

「やめろって、言ってんでしょ!」

 そう怒鳴り散らし、虐待として通報されるんじゃないかと思うほど、泣きわめかれることもあったという。

「専業主婦なんだから、食事も子どもの世話も完璧にできるはず。なのに、それができない怒りですかね。Xとかインスタで発信されているお母さんの書き込みを読んでいると、叱らない子育てが絶賛されていて。叱るんじゃなくて諭すみたいな。

 令和のお母さんはみんな怒らないで素晴らしい子育てをしているのに、それに比べて、自分は力ずくで怒鳴っていて恥ずかしい。いまだに怒ってばかりいる自分は本当にダメなやつだって思っていました」

 怒鳴る母親を見ていた上の娘がおびえているように感じて、マミさんはハッとした。

「もう見たことがないくらい、おびえた目をしていたんです。こんな目をするような子になって、この先どうなるんだろうって」

 どうにかしないといけない。そう思って、マミさんが頼ったのはネットだ。怒りたくなったら子どもたちに、「ちょっと1人になってくる」と言って個室に入った。「子育てやめたい」という言葉で検索したり、チャットGPTに「母親に向いていない」「何もやる気が起きないけど、どうしたらいい?」と相談したり……。

「何かいい解決策は得られましたか?」と聞くと、「全然」とひと言。

「疲れているので、ご主人とか頼れる人にお子さんを預けて休みましょうとか。あ〜、それができたら、検索しないでしょうみたいな答えばかりで(笑)」

「肩の荷が下りた」きっかけ

 イスラエルの社会学者が書いた『母親になって後悔してる』を読んだのは、しんどさがピークのころだ。読み終わった直後は心が引っ張られて、さらに落ち込んだという。

「自分も本に出てくる人たちと同じ。子どものことをかわいがれないダメなやつなんだ。そんな人が子どもを産んで申し訳ないと」

 本はいわば劇薬ではあったが、しばらくすると、じわじわと効いてきた。マミさんはもともと理性的で前向きな人なのだろう。子どもたちへの愛情を再確認して、「この子たちの母になったことは後悔していない。何度生まれ変わっても、もう一度この子たちを産む」と言い切る。

「子どもはすごくいい子なんです。子どもには何の罪もなくて、ただ、自分の接し方が悪かっただけ。私の問題なんです。子どもを産んだら完全に母という役割に移行して、自分が劇的に変わらなきゃいけないと思っていたんです。

 でも、そうじゃなくて、本の著者が言うように、子どもを尊重しながら単純に関わる。母親として関わる人でいいんだと思ったら、ちょっと肩の荷が下りた気がします」

 夕方にイライラがひどくなるのは食事の支度に時間がかかることが原因だと思い、準備に取りかかる時間を早くしたり、本当にダメなときはデリバリーに切り替えたり。時には家の中にこもるのをやめて外に出るようにしたら、気持ちにだいぶ余裕ができたそうだ。

 マミさんは自分の好きなことをする時間も取りつつ、子どもの声にも耳を傾けるようになった。子どもに話しかけられて「邪魔された」と思うのではなく、「子どもと向き合った」と解釈を変えるようにもしたという。

 ベトナムに来て、夫の仕事のペースはむしろ上がった。日本から出張者が来るとアテンドしなければならず、休日出勤も増えた。

 育児中の仕事への向き合い方に関しては、まだ解答が出ていないと話す。

「子どもが小さいときは会社や社会全体が、もっと男性にも育児参加を促してくれたらいいのにとずっと思っていました。そうすれば女性も仕事できるし。でも、夫の姿を見ていて、思いきり仕事をしたいときは、やっぱり仕事の絶対量を増やさなきゃいけないんじゃないかなと思うようにもなりました。

 家事育児を男女半々にしたら、両方とも仕事量は減ってしまって、どっちのキャリアも中途半端になる気がします。どちらがいいのか、ちょっと答えが出ない状況ですね」

母親も子どもも幸せであれる関係 

 ベビーシッターなど外部の力を借りて、2人とも仕事量を減らさないようにする方法もあるが、マミさんはそれについても、まだ答えが出せないそうだ。

「私が他人の力を借りることを許せるかどうかですよね。お金の問題ではなく、それはいい母なのか、やっぱり自分の手で育てたほうがいいんじゃないかと考えてしまうので。ただ、いろいろな選択肢が取れる社会になったらいいなとは思います」

 マミさんはベトナムに来る前にキャリアコンサルタントの資格を取得した。「親も子も幸せなキャリアと子育てについて考える」ためだ。自分と同じように退職して夫の海外赴任に同行し、自分のキャリアについて悩んでいる女性を支援したいという思いもあるという。

 親も子もお互いが幸せになれる時間の過ごし方は何か。これから、じっくり考えていきたいと明るい口調で言った。

     ◆

 次回は発達障害の息子を育てる専業主婦(56)の話をお伝えする。

はぎわら・きぬよ 大学卒業後、週刊誌記者を経て、フリーライターに。社会問題などをテーマに雑誌に寄稿。集英社オンラインにてルポ「ひきこもりからの脱出」を連載中。著書に『死ぬまで一人』(講談社)がある

取材・文/萩原絹代

 

    ランキングライフスタイル

    前日のランキングへ

    ニュース設定