NPO法人「となりのかいご」の代表理事 川内潤氏(45歳)企業で働く人の4割が「親の介護が心配」と答える時代。しかし、実際に介護が始まった時、あなたは上司に「介護を始めます」と言えるだろうか。「キャリアが断たれるのでは」「プロジェクトから外されるのでは」—そんな不安から、一人で抱え込む人がほとんどだ。
◆虐待は圧倒的に家庭で起きる
NPO法人「となりのかいご」の代表理事で、仕事と介護を並行する「ワーキングケアラー」の両立支援を行う、社会福祉士で介護福祉士の川内潤氏(45歳)に話を聞いた。
川内氏は、年間700件もの個別相談を受け、これまで累計4000件超の相談に対応してきた。2025年3月には、経営者・人事関係者・そして介護世代の会社員に向け『上司に「介護始めます」と言えますか? 〜信じて働ける会社がわかる』を上梓した。企業向けセミナーも多数開催し、介護離職や虐待の予防に取り組んでいる。
令和5年度の厚生労働省の調査では、介護施設従事者等による虐待は1,123件、養護者(家族等)による虐待判断件数は17,100件と、虐待は圧倒的に家庭で起きる(厚生労働省「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果より)。
川内氏は「介護は愛情があればあるほど、間違った方向に向かいやすい」と警鐘を鳴らす。
◆訪問入浴の現場で目の当たりにした家族からの虐待の実態
神奈川県で生まれ育った川内氏。高校時代は器械体操に熱中していたが、ケガで車椅子生活を経験する。この体験が、のちの福祉への道筋を決定づけた。父親が訪問入浴サービス事業所を運営していた家庭環境もあったが、川内氏が福祉に興味を持ったのは「自分自身の障がい体験」だった。
高校卒業後、上智大学文学部社会福祉学科に進学し、福祉の道を志した。卒業後は、外資系コンサルティング会社勤務などを経て、父の事業所に就職し、介護業界へ。
「自宅にうかがい、寝たきりの方をお風呂にご入浴いただく仕事でした。その現場で、家族による虐待を日常的に目の当たりにしたんです」
訪問入浴の利用者は、本来なら病院や施設に入っていてもおかしくない、重篤な介護状態の高齢者だった。それを家族が「自宅で最期まで看取りたい」という気持ちで介護していた。
「訪問するケースの一部では、残念ながら、よい介護になっているかというと疑問を持つことがありました。家族はどんどん追い込まれて、ついつい怒鳴ったり手を上げたりすることが、当たり前のように起きていました。構造的におかしいと思ったんです。親のことを大切にしたいという気持ちには、当然、共感します。だけど、そういう気持ちがあればあるほど、追い込まれていく」
この体験が、川内氏の活動の原点となった。28歳の時に市民団体を立ち上げ、家族による虐待を減らすための活動を始めた。
◆企業で出会った虐待予備軍の会社員たち
転機となったのは2013年。ある企業から「社員に介護や認知症の話をしてほしい」と依頼されたことだった。
「最初は、興味を持ってもらえるのか不安でした。意外にも皆さん、真剣に聞いてくださいました。中には『明日にでも仕事を辞めて親の介護をしなければ』と思い詰めている方もいて、まさに『虐待予備軍』だと感じました。この方々に、仕事を辞めて、自分が親を直接介護する以外の選択肢を伝えたいと思いました」
そういった思いから、追い込まれてからの相談を待っているのではなく、企業に出向いて、早期に情報提供しようと思った。
「専門職は『転倒リスクをゼロにする』ような、過保護な介護はしません。本人が望む生活を尊重してサポートします。でも、一生懸命な家族ほど『危険を排除したい』と考える。そのズレが『あのヘルパーは使えない』『ケアマネが言うことを聞かない』という不満を生みます。こうした悪循環に入ってからでは、手遅れなんです」
◆「仕事ができる人」ほど、介護で失敗する理由
川内氏によると、仕事ができる人ほど介護で失敗しやすいという。
「仕事は『攻めの戦略』で成果を上げます。でも、介護は違う。症状が進行し、できることが減り、最終的には別れがくる。介護は『撤退戦』なんです。ところが、優秀なビジネスパーソンほど、仕事の成功法則を介護に持ち込んでしまう。徹底的に考えていった末、親の生活を制限するようになります」
認知症の進行を防ごうとして、ドリルをやらせる・日記を書かせるなど、まるでスパルタ教育のような状態になってしまうという。
「80代後半の人に、そんな制限を課すことが、本当にその人のためになるでしょうか。老化を受け入れられず、『元の状態に戻そう』と介護に熱中してしまう。愛情が故でも、親は当然嫌がります。そして、親子げんかになり、うまくいかないから、虐待につながってしまうんです。疲弊してしまい『親を合法的に殺す方法はないか』と相談してくる人もいました」
◆企業だからこそできる「強制力」のある支援
川内氏は企業の役割を重視している。
「地域の掲示板を見て、『認知症講座があるから家族で行こう』となる家庭はありません。でも、会社が『働くために必須のスキル』として発信すれば、最初はいやいやでも参加してくださるのです」
実際に、2024年5月に改正された「育児・介護休業法」では、法人に対し、社内規程の見直しや従業員への周知、両立支援制度の整備に関する義務が追加・拡大された。事前周知の機会を活用し、全従業員に介護の動画を見せる企業では、相談件数が大幅に増加した。
「『動画を見てびっくりしました。自分が思っていた介護と全然違うんですね。今のうちに考えを整理したいから相談に来ました』という30代、40代の相談者が増えています」
◆部下に相談されたときに絶対にやってはいけないこととは?
部下から介護の相談を受けた管理職が陥りがちな失敗もある。
「『実家でテレワークしたらいい』 『親のそばにいることが親孝行』『大変だから少し休んで』。親思いの上司ほど、こうした『善意のアドバイス』をしてしまいます。でも、これらの言葉が、かえって部下を追い詰めるんです」
仕事と介護の両立の施策として、テレワークが有効だと、安易に考えられがちだ。しかし、コロナ禍の際は、テレワークで、親の見守りをしようとし、うつになる人が増えたという。親が弱っていく姿を間近で見ることで、不安になる。見て知ったところで専門職でない限り、解決策はないと川内氏は断言する。
また、休むことを勧められることを「戦力外通告」と受け止める社員もいる。
正しい対応は、まず話を聞くこと。そして、地域包括支援センターへの相談を勧めることだという。
「課題解決志向で的確なアドバイスをしようとしがちですが、介護は人によって状況が全く違います。話を聞く役に徹して、『よく言ってくれた、ありがとう』と伝えることが大切です」
◆事前相談で虐待を防いだ成功例
川内氏の元には、こんな相談が寄せられた。
「母子家庭で育った兄弟でした。『お母さんが女手ひとつで、ちゃんと大学まで出してくれた。僕らもすごく感謝しているから、自分たちで介護したい』と言うんです」
川内氏は、この相談者に「ひとり親家庭の特殊性」について説明した。
「一人親だと、普通の家庭よりも密着度が高いから、余計に関係が難しくなるリスクがあるんですよね」
すると相談者は、はっとした表情を見せた。
「『確かに自分はそうなる可能性がある』『とにかく親に対しては感情が強くなってしまう』『適度な距離を取って仕事を続けていこうと思う』と言ってくれました。『そのためにも、今のうちから地域包括支援センターと連携していきたい』とも」
その後、この男性は、海外出張や海外勤務も継続できているという。
「事前に『虐待してしまうかもしれないリスク』を知って、気づいていただいた。むしろ仕事に軸足を置くことで、虐待を防げたんです」
厚生労働省の調べでは、虐待者の続柄は、息子(38.7%)が最も多い。
「息子にとって、母親は『安心・安全の象徴』なんです。だから、『元の状態』に戻そうと必死になってしまう。息子にとって、母親の衰弱は大きなクライシス(危機)なんですね」
◆将来への不安を持つ人へのアドバイス
将来の介護に不安を持つ人へのアドバイスを聞いた。
「まず、インターネットで地域包括支援センターを調べてください。親が元気なうちから電話して、『いざ介護になったらどういうサポートがあるか』を聞いてみてください。かなり気持ちがラクになりますし、実際に介護が始まったときも、早く支援を頼むことができます」
そして、今まさに介護で悩んでいる人には、こう呼びかける。
「この記事を読んでつらい気持ちになったら、それはあなたの身に相当な負担がかかっているということです。少しずつでもいいから、今の手を止めて、誰かに気持ちを相談することを始めてほしい」
川内氏は最後にこう語った。
「愛情深い人ほど、介護で失敗します。でも『専門職に任せる』ことは、決して親不孝ではありません。むしろ、それが、親子関係を良好に保つ秘訣なんです」
「頑張りすぎない介護」こそが、本当の親孝行なのかもしれない。
取材・文/田口ゆう
【田口ゆう】
ライター・原作者・あいである広場編集長。立教大学経済学部経営学科卒。「認知症」「介護虐待」「障害者支援」「マイノリティ問題」など、多くの人が見ないようにする社会課題を中心に取材する。文春オンライン・週刊プレイボーイ・LIFULL介護などで連載・寄稿中。『認知症が見る世界』(竹書房・2023年)原作者