世界一になったセパタクロー日本代表 「サーカス集団」から脱却し、相手を上回るために何をしてきたのか?

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2025年10月16日 10:30  webスポルティーバ

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セパタクロー男子日本代表

世界一への道 前編

 セパタクローの男子日本代表が快挙を遂げた。7月の「第38回 KINGS CUP 世界選手権大会」で金メダルを獲得。日本にセパタクローが伝わって36年、4年に一度のアジア大会を含めた主要国際大会で、初めて世界一の称号を勝ち取った。

 ベトナムとの決勝戦を日本から特別な思いで見ていた男がいる。日本セパタクロー協会の矢野順也だ。50歳。美しいローリングアタックの使い手は、2002年の釜山アジア大会が終わると27歳の若さで一線を退いた。その後、監督として女子の日本代表を率いるなど、強化と育成に尽力。現在は常務理事兼事務局長として、大会の運営や普及、広報に至るまで幅広く奔走している。

 列島が酷暑に襲われた9月、日本代表の強化合宿があると聞き、埼玉県内の小学校を訪ねた。シャン、シャン、シャン――。空調がない茹だる体育館に、プラスティック製のボールを蹴る乾いた音が響く。

 金メダルの価値を問うた。しばらくの沈黙のあと、矢野は丁寧に言葉を紡ぎ出した。

「選手が頑張った。それが事実です。むしろ、金メダルの要因はそれだけでいい。ただ、36年でさまざまな積み重ねもありました。細かくて薄い積み重ねが......。そのなかには、経理といった細かい業務など、目に見えないところを担ってくれた人もいます。その人たちにとって、金メダルに勝る喜びはないと思うんです。目立たない業務を担う人たちにとっての原動力というか、一番のモチベーションみたいなものを、今回の金メダルが示してくれた。そんなふうに考えるようになりました」

 気が遠くなるほどの時間をかけて得られた経験と、そこに裏打ちされた組織力。名もなき功労者によって積み上げられたセパタクローの歴史に、とびきり輝く1ページが刻まれた。

【複数の種目があるセパタクロー。日本が世界一に輝いたのは?】

 東南アジアをルーツに持つセパタクローは、1990年に開催された北京アジア大会で初めて正式種目に採用された。遡ること1年、1989年に日本セパタクロー協会が設立。発起人のひとりである日本セパタクロー協会・元会長の平野信昭は、2021年10月3日に享年92で永眠するまで、陰になり日向になって黎明期を支え、セパタクローの普及・発展に努めた。

 コートの大きさはバドミントンのダブルスと同じ13.4m×6.1m。3タッチ以内に相手コートに返すのはバレーボールと同じだが、ひとりが連続してボールに触ってもよい。手や腕が使えないため、背中でブロックをするのもセパタクローならではのプレーだ。サッカーのオーバーヘッドキックのように宙返りしながらボールを打つなど、ネット際の激しい攻防から「空中の格闘技」と呼ばれている。

 種目は男女ともに複数ある。最もスタンダードな「レグ」は、アタッカー、トサー、サーバーの3人で構成されている。セパタクローの花形種目で、アジア大会のチームレグ(団体戦)は、1998年バンコク大会から2023年杭州大会までタイが7連覇中。マレーシアと双璧をなす。プレースタイルが異なるタイとマレーシアの関係は、サッカーに例えるなら、さながらブラジルとアルゼンチンといったところだ。

 2対2の「ダブル」は日本が得意とする種目で、女子日本代表が2006年のドーハアジア大会から3大会連続で銅メダルを獲得している。

 最も歴史が浅い4対4の「クワッド」は、2018年のジャカルタ・パレンバンアジア大会で初めて採用された。身体能力がモノを言う「レグ」や「ダブル」に比べて、戦術的要素が強い。

 理由のひとつは、アタッカーが2人になることで攻撃の選択肢が増えること。また、複数人でブロックに跳ぶことができるため、相手のアタックのコースを制限し、戦略的にレシーブの陣形を取ることができる。エンドラインから打つサーブは、ボールのスピードやコースに変化を加えることで、相手の守備を崩す効果がある。

「この種目はチャンスがあるんじゃないか」

 いち早く目をつけたのが、現役時代は本場タイのプロリーグでもプレーし、日本代表としても活躍した寺島武志監督だ。データを取って対戦相手のプレー傾向を分析し、それを実際の試合に落とし込んだ。試行錯誤のなかで徐々にハマっていく感覚を覚え、結果が出ることで選手の自信につながった。

【データを活用したチーム強化】

2023年の杭州アジア大会が終わると、強化・育成委員長の飯田義隆とともに3年後の愛知・名古屋アジア大会に向けた強化プランを作成。「結果を出すためのプロセスには、ふたつの軸がある」と寺島は言う。

 ひとつ目の軸は、選手個々の技術力を上げること。個の能力が高まれば、それが還元されたチームはより強くなる。もうひとつは、戦術的な強化だ。

「このふたつの軸を常に考えながらやってきました。他国に比べて技術で劣る日本がうまくなるにはどんな練習をしたらいいのか。どういう意識を持たせたらいいのか。それに加えて、クワッド、レグ、ダブルとそれぞれのゲーム特性を見た時に、どうやったら勝率が上がるのか。それまでの日本は、『技術が上がれば勝てる』みたいな曖昧な感じでした。

 でも、クワッドはふたつ目の軸にあたる戦術的な要素を色濃く出せる。既成概念にとらわれず、突拍子もないこともしたし、誰も考えないようなことにもトライしてきました。もちろんうまくいかないこともありましたが、そういうことも含めてできるだけのことをやってきました」

 寺島とタッグを組んでチームを強化してきた松田祐一コーチの存在も大きい。相手のアタックのコースをノートに手書きで記し、それをベースにブロックの跳ぶ位置、タイミングなどをチーム内で共有した。

 戦術面の強化を図るには、若手選手の台頭も不可欠だった。象徴的だったのが、トサーの春原涼太だ。

 慶應義塾大学出身の26歳。「大学の先輩やOBから『頭を使って勝つんだ』ということをずっと教えられてきました」と言う春原は、戦術に伴う技術を身につけ、大学3年で初めて日本代表入り。相手を見ながら戦う頭脳的なプレーが高く評価された。

 データの精度が上がることで、選手ひとりひとりのデータに対する理解度も高まった。春原は、「データを取捨選択した」と語る。

「データを使ったセパタクローは、それまでもやっていました。ですが、どのデータを使えばいいのかわからない状態だったんです。分析班が当たりをつけてデータを取り、僕らもそのデータを見ながら、ただ『そうなんだ』という感じでやっていただけ。

 でも試合に勝つことを考えれば、必要なデータと、不要とは言わないけど優先順位が低いデータがある。その取捨選択をしたことで、さらにデータの分析力が上がったと思います。選手もよかった点をフィードバックしやすく、それがこの2年間で積み重なって、今回の世界選手権でも機能しました」

 同じネット型競技のバレーボールは、高度なデータ分析ツールを用いることで、より戦略性が高まっていった。セパタクローも同様に、その過渡期を迎えている。

「先達をリスペクトしているのは大前提ですが......」

 春原がそう切り出した。

「データというのは、モロに自分のやりたいことにハマっています。大学生の時に感じたのは、これまでの日本のセパタクローは曲芸に近い、"サーカス集団"だったということ。身体能力が高い人がすごいことをして点を取る。でも、たとえばタイの場合、何万人、何十万人から代表選手が選ばれるわけで、分母の数で比較すれば日本はシンプルに負けてしまいます。それに、海外の選手を国際大会で見た時、彼らはサーカスではなくて、明らかに意図を持ったプレーをしていた。

 自分が勝手に『サーカスからの脱却』と言っているんですが、大事なのは"意図したプレー"をすることだと思っています。そこにデータを作用させて、来年のアジア大会までに形にするという野心を持っています」

(後編:セパタクロー日本代表が強豪国の仲間入りを果たせたワケ 世界の頂点に立ち、「本当の戦いはこれから」>>)

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