タイで現地女性と結婚、起業で失敗した50代日本人男性の末路「あと数年、普通に勤務していれば…」

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2025年10月17日 09:30  日刊SPA!

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小倉敬一さん(仮名)
日本を離れ、南国で暮らしながらゆるっと仕事をしたい——そんな夢を抱く日本人は多いかもしれない。近年はリモートワークの普及もあり、“海外移住”は決して非現実的な選択ではなくなった。だが、いくら収入や生活環境を整えても現地の空気に呑まれ、気づけば道を踏み外す日本人も少なくない。
「最初はただ、タイが好きと言っていただけなんですよね」

話を聞いたのは現在、タイのパタヤに住みながら、チョンブリー県の日系メーカーで現地採用として働く小倉敬一さん(仮名・40代)。彼がそう語るのは、かつて同じ会社で働いていた先輩である“カナイさん”(仮名)のことだ。

◆タイ出向で夜の店にハマった先輩

「カナイさんは本社勤務で海外で新しい工場が立ち上がると現地に出向して指揮を執ることもありました。タイの工場立ち上げの時期から出張が増え、僕とも顔を合わせる機会が増えました。一緒にランチをしたり、就業後には会社から車で40分ほどにあるパタヤの夜の街に一緒に出かけることもありましたね」

タイといえば、ゴーゴーバーやバービアといった、華やかなナイトライフを思い浮かべる人も多いだろう。そのすべてが密集しているのが、バンコクから車で2時間半のリゾート地、東南アジア屈指の歓楽街・パタヤである。

「日系企業ではトラブル防止のために“海外の夜の店への出入り禁止”を通達していることも多いんですよ。うちの会社も以前は社宅がパタヤにあったんですが、女の子を無断で連れ込むなど、あまりにも問題が多かったため、なくなりました。でも、カナイさんはそんなルールを気にするタイプではなかったんです」

◆旅行だけでは飽き足らず……ついに退社

やがて出向期間を終えて日本に戻った後も、カナイさんはプライベートで頻繁にパタヤを訪れるようになった。そのたびに小倉さんは毎晩のように誘われ、夜の街に付き合わされていたという。小倉さんに、驚きの知らせが入ったのはそれから間もなくのことだった。

「いずれはこっちで暮らしたいなんて言ってましたけど……。まだ50代で定年まで全然あったのに、突然、『会社を辞めてタイに住む』と言い出すとは思いもしませんでした。しかも、結婚まですると。相手はパタヤの飲み屋で知り合ったというタイ人女性でした」

カナイさんはさらに驚くことを言い出した。

「なんと、『嫁と一緒に日本食屋をやる』と言い出したんです。しかも、『親戚が飲食をやってるから自信がある』と、なぜか自信たっぷりでした。でも、カナイさん自身にはビジネス経験もないし、ましてやタイ語も話せない。しかも場所を聞くと、パタヤではなく、奥さんの実家近くの田舎町だというんです。日本人も一応住んではいるものの、その多くはリタイア層。パタヤを含めて地方に住むリタイア層は基本的に節約志向で安いローカル飯を食べたり、自炊する人が多いです。よほどコスパが良い日本食屋じゃないとなかなか流行らないので、正直、“大丈夫か?”と思いました」

バンコクやシラチャと違い、現役世代の駐在員やビジネスマンはほとんど住んでいない場所。そのため、飲食店のターゲット層が限られてしまうのだと小倉さんは語る。

◆日本食屋をオープンさせるも……

しかし、そんな小倉さんの忠告もどこ吹く風。カナイさんは、50歳以上で取得できる「リタイアメントビザ」を取得し、日本食店をオープンさせた。

ただし、このリタイアメントビザは“悠々自適に余生を過ごすため”のもので、就労は認められていない。ワークパーミット(就労許可証)も取得できないため、名義上は奥さんが店のオーナー兼店長となり、カナイさんは“出資者”という立場をとっていた。

詳しい開業資金は明かされていないものの、店の規模や立地を考えると、おそらく80万〜100万バーツ(約370万〜460万円)ほどではないかと小倉さんは推測する。

「カナイさんはお金こそ出したものの、経営は素人同然でした。しかも『せっかくタイに来たんだから遊ばないと』なんて言って、夜な夜なパタヤまで飲みに出かけて、店の現場はほとんど奥さん任せ。僕も仕事の関係でよくわかるんですが、タイ人スタッフに任せるのって本当に大変なんですよ。一度だけお店を訪ねたことがありますが、料理はなかなか出てこないし、味もイマイチ。スタッフもどこかやる気がなくて……。“これは続かないだろうな”と思いました」

小倉さんの読み通り、店は1年も経たないうちに閉店してしまう。「タイの地方では、一度“ダメな店”の烙印を押されたら終わり。噂がすぐに回って潰れるのも早いんですよ」と小倉さんは言う。そして閉店の噂を耳にしてからしばらく経った頃、カナイさんから一本の電話がかかってきた。

「彼が『リタイアメントビザを更新したいから、少し金を貸してくれないか』って言うんです。少しって言うから10万円くらいかと思ったら、なんと100万バーツ(約460万円)。さすがに無理だと断りました」

これには小倉さんなりの理由があった。

「そもそも、カナイさんが店が傾きそうだと相談してきたとき、僕は現地で再就職することを勧めたんです。ある程度、日本でのキャリアがあるなら現地採用でもそこそこ良い企業に入れますから。でも、カナイさんはそれに耳を貸さなかった。それで、『お金だけ貸してくれ』って……先輩とはいえ、説教してしまいました」

後に共通の知人から聞いた話では、カナイさんは退職金と貯金のほとんどを店の開業資金や結婚資金に注ぎ込んでしまったのだという。しかも、残ったわずかな資金も嫁の家族に見栄を張るために車を買ったり、パタヤでの夜遊びに使ってしまったのだ。

◆現在は派遣社員として細々と暮らす

その電話を最後に、カナイさんからの連絡は途絶えた。小倉さんも「いい加減、タイを離れたんだろう」と思った。

「つい先日、日本に一時帰国した際に元同僚と飲む機会があり、たまたまカナイさんの話になりました。すると、『少し前に帰国したという噂を聞いたよ』と言うんです。聞くと、奥さんとはとっくに離婚したのだそう。言葉もできなく、意思疎通もまともにできなかったので喧嘩が絶えなかったそうですね」

現在、カナイさんはどのような生活を送っているのだろうか。

「今は地元に戻って派遣社員として働いているそうです。でも生活が苦しいのか、未だに知人に金を無心したり、タイで安く仕入れたものを高額で転売しているらしいです。元同僚も『売りつけられそうになったけど断った』って言ってました。あと数年、普通に勤務していれば定年退職金に加えて給付金ももらえたはずなんです。貯金と合わせれば、老後タイで暮らすには十分な資金があったと思います……。本当にもったいないですよ」

最後に小倉さんはカナイさんの失敗の要因について、こう語った。

「タイで働きたいと思うのはいいと思います。ただ、地方で商売をするのは本当に難しいんです。都市部に比べると客層が限られるうえ、店の固定客をつかむのも簡単ではありません。現地の人や長期滞在者を相手にするしかないので、商売はじっくり腰を据えてやらないと続かないんです」

海外での生活や起業は夢ではあるが、安易な考えで挑戦すれば失敗する。人生そんなに甘くはないのだ……。

<取材・文/カワノアユミ>

【カワノアユミ】
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano

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