「真央ちゃんや佳菜子ちゃんを『頑張ってね』と見送るだけでは......」鈴木明子、28歳での五輪出場の舞台裏

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2025年10月20日 10:10  webスポルティーバ

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連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第7回 鈴木明子 後編(全2回)

 2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会〜2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。

 第7回は、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会と五輪2大会連続出場を果たした鈴木明子の軌跡を振り返る。後編は、2度目の五輪へ向けた道のりと現役最終盤の挑戦について。

* * *

【浅田真央やコストナーを破る快進撃】

 初の五輪となった2010年バンクーバー大会を終えた鈴木明子は、さらなる得点アップを意識するようになった。

 翌2010−2011シーズン、フリーではこれまで3回転+ダブルアクセルだった連続ジャンプのひとつを、より難度の高いダブルアクセル+3回転トーループにする挑戦を始めた。だが、ジャンプがなかなか安定せず、このシーズンのGPシリーズは2戦連続2位でGPファイナルは4位と結果は出したものの、得点は170点台と足踏みした。

 しかし2011−2012シーズンに進化を見せ始める。フリーのみならず、連続ジャンプが3回転+2回転だったショートプログラム(SP)でも、3回転トーループ+3回転トーループを取り入れた。

 GPシリーズ初戦スケートカナダ2位のあとのNHK杯。SPはその3回転+3回転を含めてノーミスで滑って公認自己ベストの66.55点を出して首位発進とする。

「3回転+3回転は前季からコーチに『絶対に必要になる』と言われて始めました。20年間のスケート生活のなかで、ショートでそれを初めて降りられたのでうれしくて跳び上がってしまいました。公式練習で3回転+3回転は降りられたけど次のルッツで転倒していましたが、(本番では)勢いに任せないでコントロールできたのがよかったです」

 鈴木はそう言って、喜びをあらわにした。

 翌日のフリーは浅田真央の追撃を振りきり、自己ベストの合計185.98点での優勝。それでも後半の3回転ジャンプ2本が1回転になるミスもあり、「優勝はうれしいですが、まったく満足がいかない。すごく悔しいです」と振り返った。

 それでもそのフリーは演技構成点ですべて、SPと同じ7点台後半と高い評価。可能性を感じさせる試合だった。その後、GPファイナルはカロリーナ・コストナー(イタリア)に次ぐ2位で、全日本選手権でも浅田に次ぐ2位と安定した実力を発揮した。

 2度目の挑戦となった2012年世界選手権は、SPで日本勢3番手の5位と出遅れたが、フリーはジャンプのミスが出ながらも、コストナーに次ぐ2位の得点を獲得すると、合計180.68点にして日本勢最上位の3位で、自身初の表彰台に上がった。

 さらにこのシーズン最終戦の世界国別対抗戦では、合計ではコストナーを抑える187.79点で優勝。高いレベルでの足固めをするシーズンとした。

【溜めていた力を爆発させた全日本】

 しかし、ソチ五輪のプレシーズンとなる2012−2013シーズンは、全日本選手権で4位にとどまり、鈴木はこう口にしていた。

「今シーズンは最初から練習がうまくいっていませんが、試合ではたまたまよかったりしても波がすごく大きいです。『ここまでは最低限』というのがつかめなくて、うまくいかないなと感じていたので、練習でもミスが多かった。ここ数年では感じたことがない迷いの状態なので、不安になっています」

 GPシリーズ2戦連続2位で進出したGPファイナルも、180.77点の3位になりながらも「順位はラッキーだとしか考えていない。今回の出来は『悔しい』のひと言」という言葉を残した。

 年が明けると、四大陸選手権は自己ベストの190.08点で2位となり一度笑顔を取り戻したが、世界選手権はフリーで氷の柔らかさに対応できずにミスを連発。過去最低の12位という結果に終わる。続く世界国別対抗戦は再び自己ベストを更新する199.58点で1位という結果。調子の波の大きいシーズンだった。

 それでも、迎えた2度目の五輪シーズンは順調だった。GPシリーズ初戦のスケートカナダは193.75点で2位。次のNHK杯は3位。

 ジュニアから移行してきたばかりのロシア勢の活躍があり、僅差でGPファイナル進出は逃したが、五輪代表を狙う最後の全日本選手権では、溜めていた力を爆発させた。

「NHK杯のあとにスケート靴を替えるところからスタートしましたが、(全日本の前に)調子がガクンと落ちてしまいました。でも先生から『まだ1週間あるから、信じなさい』と言われて。緊張のなかでも成長した姿を見せられたので、諦めないでよかったです」

 そのSPは流れを途絶えさせずに滑りきって70.19点を獲得し、浅田に次ぐ2位発進。そしてフリーは、五輪代表がかかるプレッシャーのなか、「守るところと攻めるところのバランスが難しかった」と本人が振り返る『オペラ座の怪人』で挑んだ。

 最初のコンビネーションジャンプ2本と3回転ルッツを丁寧に決めると、伸びのある滑りで最後までスピードに乗ったままノーミスで終え、小躍りして喜ぶ納得の演技だった。

 演技構成点では5項目中4項目を9点台に乗せ、得点は非公認ながら自己ベストを大きく上回る144.99点で、合計215.18点。あとに滑る村上佳菜子や浅田にプレッシャーをかけ、結果的には2位に大差をつけての初優勝。ソチ五輪代表を決めた。

「前年のGPファイナルでソチへ行った時に『ここに戻って来たい』と思いました。真央ちゃんや佳菜子ちゃんをはじめ、男子もみんな五輪を目指して頑張っている。そんな選手たちを自分は『みんな頑張ってね』と見送るだけでいいのかなと思った時、私もそのなかのひとりになりたいと思いました」

【熟成した演技を見せた遅咲きのスケーター】

 28歳での2度目の五輪。団体戦を滑ってから10日後のSPは、両足小指に痛みがあるなかでの演技となってしまった。

「痛みであまり練習を積めていなかったので、不安がありました」と話す鈴木は、少し重い動きの滑り出しで最初の3回転トーループがダウングレードになるミス。次の3回転ルッツに2回転トーループをつけて連続ジャンプとし、スピンとステップもすべてレベル4にする粘りは見せたが、得点は60.97点と伸びずにSP8位発進となった。

 翌日のフリーは、SP15位の村上と16位の浅田の次の組での演技だった。最初の3連続ジャンプをフリップからルッツに変更して滑り出し、次の連続ジャンプはセカンドが2回転になってしまう。

 3本目の3回転ルッツはステップアウト。さらに後半の3回転フリップは転倒する苦しい流れになったが、粘りの滑りを見せて合計を186.32点にして8位を堅持し、五輪2大会入賞を果たした。

 演技後に鈴木は、「できないこともあったけれど、今できる精一杯のことをやれたので、今はホッとしています」と話した。

「正直この年齢まで競技を続けるとは思っていませんでした。今は若くして出てくる選手も多いですが、遅咲きでもできるという気持ちが若い選手たちに伝わればうれしいです」

 その1カ月後の世界選手権さいたま大会を最後に、競技生活を終えた鈴木。そのSP翌日に29歳を迎えた彼女は、若い頃から世界のトップに躍り出ていた安藤や浅田らと競い合うなかで、熟成した安定感のある演技を見せた。日本女子の世界での戦いを支える貴重な存在として、時に渋味もある輝きを見せてくれた。

終わり

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<プロフィール>
鈴木明子 すずき・あきこ/1985年、愛知県豊橋市生まれ。6歳からスケートを始め、18歳の時に摂食障害を患うも復活を遂げ、2010年バンクーバー五輪8位入賞。2012年世界選手権3位、2013年全日本選手権優勝など数々の好成績を残す。2014年ソチ五輪に出場し、2大会連続8位入賞。現在は、プロフィギュアスケーターとしてアイスショー出演、振付師としても活躍する。

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