
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第37回】ディルク・カイト(オランダ)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第37回は、2000年代以降のオランダ代表を長く牽引したディルク・カイトを取り上げる。世界的なストライカーを輩出してきたオレンジ軍団のなかでも、彼は「異質」なタイプだった。リバプールが今もっとも欲しい人材は、カイトのようなハードワーカーだ。
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リバプールが今季プレミアリーグのシーズン序盤で4連敗を喫した。
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アレクサンデル・イサク、フロリアン・ヴィルツ、ジェレミー・フリンポンといった新戦力のフィット感、モハメド・サラーの衰え、前線でボールを追いまわしたルイス・ディアスのバイエルン移籍など、世界中のメディアが主犯を探し求めている。
「多くの変化があった。昨シーズンのようにうまくはいかない」
シーズン前からフィルジル・ファン・ダイクが語っていた以上に、ディフェンディングチャンピオンは苦しんでいる。
たしかに前線の運動量は必要だ。少しタイムスリップして、ディルク・カイトを連れてこられたら、状況は一変するに違いない。
屈指のハードワーカーだった。
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ある時はファイナルサードで、またある時は最終ラインで、そしてまたある時は中盤で、何があっても手を抜かなかった。無類のタフネス、卓越した状況判断、高い守備意識など、カイトの献身性は2000年代中期から後期のリバプールを支え続けた。
当時のチームの強みは、スティーヴン・ジェラードとシャビ・アロンソが織りなす中盤だった。中長距離のパスを巧みに操り、くさびのパスも鋭い。ただ、彼らの持ち味は攻撃であり、相手ボールになった際の反応には難があった。この弱みを補っていたのが、カイトである。
【ヨハン・クライフはこう言った】
果敢なタックルでカウンターの芽を摘み取る。プレスバックで相手のボールホルダーを牽制し、強烈なシュートに対しては身体を張ってブロックした。しかも、何食わぬ顔で、だ。
「全選手が手本にすべき選手だ」(ロビン・ファン・ペルシ)
「チームのために働く準備が常にできている」(ラファエル・ベニテス)
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「自分自身を最高レベルに引き上げる努力、意志の力は称賛に値する」(ジェイミー・キャラガー)
オランダ代表やリバプールでカイトをよく知る男たちのコメントには、リスペクトが感じられる。そして、言葉のチョイスが巧みなヨハン・クライフはこう言った。
「カイトのような選手がチームにいるのなら、それは神のご加護といって差し支えない」
フットボールの世界には、ワンタッチで局面を変えるタイプが存在する。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシが典型的な例だ。彼らが操る魔法は「ホグワーツ」でも学べない。
一方、カイトは魔法使いではないが、ハードワークによって局面を変えていった。決して足を止めず、チームのために身体を張る姿は美しくさえあった。
ピーター・クラウチやルイス・ガルシアとの2トップで、フェルナンド・トーレス加入後は右ウイングとして首脳陣の信頼を集めたのは、「己を消して」勝利のために徹したからだ。
カイトの活躍により、リバプールはオランダ人を受け入れる体制が整ったとも考えられる。
ユルゲン・クロップ体制下でプレミアリーグとチャンピオンズリーグの優勝に貢献したジョルジニオ・ワイナルドゥム、現チームの主力であるファン・ダイク、コーディ・ガクポ、ライアン・フラーフェンベルフをはじめ、成功例は少なくない。さらにアルネ・スロット監督も、「チューリップと風車の国」からやって来た。
苦しむ古巣を見かねたカイトが、何らかの形でリバプールをサポートするというシナリオは悪くない。だが、今シーズンはドルトレヒト(オランダ2部)の監督を務めており、コーチングスタッフには加われない。それでも、心の片隅でリバプールを気にかけているだろう。なにしろ彼は「スカウサー」(マージーサイド出身者)であることに誇りを抱いている。
【勝利のためには粉骨砕身】
「2016−17シーズンのヨーロッパリーグでマンチェスター・ユナイテッドと戦った時、オールド・トラッフォードの大観衆から『このスカウサーめが!』って野次られたんだよ。リバプールからフェイエノールトに移籍して1年以上過ぎていたし、まして私はオランダ人だ。両チームのライバル意識をふまえれば、もう最高だったよ」
9年前の出来事を今でも鮮明に覚えているという。今シーズンのリバプールに欠けているものは、カイトのような忠誠心ではないだろうか。
「戦略・戦術の理解度は世界一だ」
元オランダ代表監督のルイ・ファン・ハールもカイトを高く評価している。2014年ブラジルワールドカップのメキシコ戦(決勝トーナメント1回戦)でも、その能力は証明された。
3-4-1-2の左ウイングバックとして出場し、戦況の変化に伴いながら右ウイングバック、最終的には4バックの右ウイングまで務めている。4-3-3、4-4-2へのシステム変更にも戸惑わなかった。プライドが高く、チームより自分を優先するタイプなら、ファン・ハールに食ってかかっていただろう。
だが、カイトはすべてを受け入れた。勝利のためには粉骨砕身。与えられたポジションで全力を尽くす。自己犠牲に徹したカイトの活躍により、オランダ代表は3位という好結果を得ている。悲願の世界制覇には手が届かなかったものの、ハードワーカーのパフォーマンスはさすがと言うしかなかった。
近代フットボールはアスリート色が濃くなる一方だ。「フィジカルのデータばかりが重視され、高等技術を持つ特別な選手が軽んじられている」との批判にもうなずける。アイルランド代表やレスターなどの監督を務めたマーティン・オニールもお怒りだ。「データの専門用語を用いてフットボールを語れば、賢く映るとでも思っているのか」と。
しかし、プレー強度が一段と高くなったため、肉体的な素養は必要不可欠だ。戦略・戦術が難解になっているため、独善的なプレーに走りがちなタイプはガラパゴス化し、汎用性の高い選手の価値が上がった。
【誰もが彼の献身性を忘れている】
やはりカイトは、少し早く生まれすぎたようだ。尽きることのない運動量、2トップ、右ウイング、右サイドバック、左右のウイングバックを高度にこなす万能ぶりは、近代フットボールにおいてこそより高く評価されたのではないだろうか。
オランダ代表やリバプールの歴代ベストイレブンに、ディルク・カイトの名前は見当たらない。誰もが彼の献身性を忘れている。
だが、メディアのヘッドラインを飾るような派手なタイプではなくても、フットボールの歴史に残るような大記録を樹立していなくても、全力で戦い続けたこの男は「真のプロフェッショナル」だった。
一度、カイトを4-2-3-1の右ウイングに据えたベストイレブンを考えてみるか。2列目中央は、同じタイプのウェイン・ルーニーだ。アイデアが広がる。酒が進む。



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