元南海広瀬叔功さん、心不全で死去 89歳 5年連続盗塁王など歴代2位の596盗塁 愛称チョロ

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2025年11月05日 15:06  日刊スポーツ

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広瀬叔功さん(2019年4月7日)

プロ野球南海のリードオフマンで歴代2位の596盗塁を記録し、南海監督を務めた広瀬叔功(ひろせ・よしのり)さんが心不全のため2日に亡くなっていたことが5日、分かった。89歳だった。広島県廿日市市出身。


愛称は「チョロ」。野村克也、杉浦忠とともに鶴岡一人監督率いる南海の顔だった。同僚だった野村からは「天才」とも言われた。通算2157安打を放ち、596盗塁は福本豊(阪急)に次ぐ2位。俊足、好打、強肩に加え、天性の野球勘で数々の記録を作り、タイトルを獲得した。


広島・大竹高では投手で、元々は教師を志望していた。それでもテスト生として55年に南海に入団。投手から内野手に転向し、56年はプロ初打席初安打から7打席連続安打を放った。57年から1軍に定着し、走攻守そろった万能選手として活躍した。のちに福本が登場するまで「球界の1番打者といえば広瀬」だった。


61年から5年連続盗塁王、63年には首位打者にも輝き「2冠」は史上初だった。「大事な場面で確実に盗塁する」というポリシーで、盗塁死はわずか123回。企図数で差はあるものの、成功率は福本の78・1%を大きく上回る82・9%を誇り、300盗塁以上の選手では長らくプロ野球記録だった。64年には31連続盗塁をマークしている。


77年に引退。そのシーズン終了後に、突然の解任となった野村監督の後を継ぐ形で監督を引き受けた。78年から80年まで率い、監督通算成績は136勝227敗27分け。91年から2年間は南海の後身ダイエーでコーチを務めた。その後は地元広島に戻って、NHKの解説者や日刊スポーツでも評論家を務めた。99年に野球殿堂入り。


◆広瀬叔功(ひろせ・よしのり)1936年(昭11)8月27日生まれ、広島県出身。大竹高から54年にテスト生で投手として南海(現ソフトバンク)に入団。投手から遊撃手に転向し、後に外野手として活躍。61〜65年に5年連続で盗塁王。64年は首位打者。77年に現役を引退し、78〜80年に南海監督。現役時代の通算成績は2190試合出場で2157安打、596盗塁、打率2割8分2厘。投手として70年に1試合だけ登板。引退後は日刊スポーツ、NHKなどで野球解説者。現役時代は176センチ、72キロ。右投げ右打ち。

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