奈良地裁「(被告人の)徹也は私の次男です」。13日に開かれた奈良地裁(田中伸一裁判長)の安倍晋三元首相銃殺事件第7回公判で、山上徹也被告の母親(72)が証言した。事件後、母親が公開の場で、事件について語るのは初めてだった。
この日の傍聴席には、「検察庁」と書いた腕章をまいた検察官3人が特別傍聴席にいた。また、午前8時半から9時半まで、地裁から約1キロの春日公園でリストバンド形式で配った傍聴券希望者は341人だった。一般傍聴席は33。約11倍の競争率だった。第6回公判(11月6日)は143人が傍聴を希望していた。一般傍聴席にはこれまでの公判では見ない人たちがいた。統一協会関係者と見られ、熱心にメモをとる人もいた。
午後4時12分、米田京花・左陪席裁判官が傍聴席のすぐ前に立ち、裁判所職員が傍聴席から姿が見えないように、パーテーションを3重に立て、17分に母親が入廷し、衝立に囲まれて5時6分まで証言した。
◆「被告は私の次男」「国民に謝罪したい」と母親証言
母親はまず、真実を述べると宣誓書を読み上げた後、しっかりした口調で名を名乗った。主尋問を担当した松本恒平弁護士が、「尋問の前に言いたいことがあると……」と述べたのを受け、被害者らへの謝罪を表明した。
「次男が大変な事件を起こした後、すぐに謝罪をしたかったが、かなわず、法的な場でのお詫びとなった」、「次男が大変重大な罪を犯し、安倍元総理、安倍元総理の夫人、ご遺族の皆様に心よりお詫びしたい。安倍元総理を応援していた人も多い。国民の皆様にもお詫び申し上げる。本当に申し訳ございませんでした」。時折、言葉に詰まり、涙声も混じった。「今日、ここに安倍元総理が来ているかもしれない」という発言もあった。
母親は山上被告が収容されている大阪拘置所に行き数回、面会を求めたが断られている。山上被告は事件後初めて会う母親の入廷に際し、ずっと机の上の資料に目を落としていた。
14日の新聞各紙には「ため息の被告 頭抱え」(東京新聞)、「みけんにしわを寄せ、証言台のほうへ鋭い視線を向けた」(朝日新聞)という記述があった。しかし、被告は母親の証言の間、動揺はなく、メガネをかけ直すことはあったが、平静を保っていた。退廷の時もこれまでの6回の公判と変わらなかった。別世界にいる母親を突き放しているように感じた。
◆今も旧統一教会への信仰を続けている
弁護側の尋問で、松本恒平弁護士が最初に「今、信仰している宗教はあるか」と聞くと、「世界平和統一家庭連合とはっきり答えた。「旧統一協会のことですね」との問いに「はい、そうです」と応じた。
母親は、「1984年、被告が4歳の時に夫が自殺した。長男が生まれつき頭に腫瘍がある難病患者で、二度の大手術を受け、87年に右目を失明した。苦しい時に『朝起き会』に参加し、イライラを浄化できた。91年7月に統一協会に誘われ、翌月入信した」と信仰に入った経緯を詳しく話した。
夫の生命保険金などから、半年間で6千万円の献金を行い、教団の壺・絵画(各約70万円)の購入や韓国での30回以上の「修練会」参加で、同居していた父親(被告の祖父)から叱責されていたと話した。
母親は「1998年に父親が突然病死したのは、統一協会の記念日だった。神さまの意図を感じた。翼ねん、父親の会社事務所と、当時5人で住んでいた父名義の家を売却し、その4千万円全額を献金した」と語った。
「後でわかったが、夫は弁護士だった実兄の東一郎さん(山上東一郎・元弁護士、大阪弁護士会)に遺言を残すと言っていたらしい。私の子ども3人に全財産を遺すという遺言を書くつもりだったらしい」
◆「子どもたちの将来よりも、私を救ってくれた献金が大事」
しかし、父親の遺産を売って得た金はすべて統一協会へ渡った。松本弁護士は「長男が19、被告が高校3年の18、長女が15の時だった。二人が大学進学の年齢だったのに、なぜ、子どものために遺産を使おうとしなかったのか」と質した。母親は「子どもたちの将来よりも、私を救ってくれた献金が大事だと思った」、「夫は京都大学、私は大阪市立大学を出た。でも、人生はうまくいかなかった。大学へ行くことが、人生でそう価値のあることか」と答え、最後に「本人たちが大学へ行きたかったとしたら、申し訳ないと今思う。当時はそういうことを考えなかった」と話した。
母親は統一協会への巨額の献金を、自分の意思で行い、間違ってはいないと繰り返し強調した。
「お金より大事なのは命」、「学歴よりも、明るく生きること大事なことがある」統一協会への揺るぎない、エキセントリックといえる信仰の発露の連続だった。カルト宗教の怖さが鮮明になった。
閉廷後に記者団の囲み取材に応じた弁護士は、「母親は被告を見ていたが、二人が視線を合わすことはなかった」と話した。閉廷後の被告の様子については「回答を控える」とした。
◆安倍昭恵氏の上申書がモニターに
話が前後するが、この日の公判(午後1時8分開廷)では、検察側が安倍元首相の妻、安倍昭恵氏の上申書(2023年8月4日付)をモニターに出し、主任検察官が全文を読み上げた。事件から1年後、今から2年3カ月前に記した文章だ。
「事件当日の朝、いつも通りに夫を送り出した。午前11時半過ぎに、『撃たれた』と事務所から連絡を受けて、一人で新幹線に乗って奈良に向かった」
「あまりに衝撃的だった。世界中の友人から夫の無事を祈るメッセージが届いた」
「医者から説明を聞くうちにだめだと悟った。夫はおだやかで笑っているように見えた。手を握って、『しんちゃん、しんちゃん』と2回呼びかけた。体が温かくて、手を握り返したようで、待っていてくれたと感じた」
「今も悲しみを昇華できない。長生きしてもらいたかった。夫の親しかった人の顔を見ると夫を思い出す。一周忌法要で『なぜここにいないのか』と涙があふれ、止めることができなかった。ただ、生きていてほしかった。長生きしてほしかった」
また、安倍氏が母親の安倍洋子氏(岸信介元首相の長女)より先に死亡したことは無念だったことを強調した。
◆被告人を非難する言葉は見られず
昭恵氏は「夫は、持病の潰瘍性大腸炎の新薬ができて元気になった時だった」と上申書に書いている。2週間前の第3回公判(10月30日)で、安倍氏を司法解剖した奈良県立医科大学教授は、安倍氏に潰瘍性大腸炎の症状、痕跡はまったくなかったと公開の法廷で証言している。昭恵氏はこの証言をどう受け止めているだろうか。
昭恵氏は被害者参加制度での遺族としての出廷はしなかった。代わりに、昭恵氏の代理人弁護士が参加している。
昭恵氏の上申書に、被告人を非難する言葉や刑罰に関する言及はなかった。昭恵氏は、難病などで不幸な境遇にある子どもたちの社会活動に関心を持っているようだ。
◆安倍氏狙撃を決意したビデオメッセージが再生
検察側立証が終わり、弁護側の立証に移り、小城達弁護士が山上さんと母親、妹とのメールを取り上げ、山上被告が持っていたSDカードに入っていた安倍首相(当時)の統一協会関連団体、天宙平和連合」(UPF)のイベント(2021年9月12日)へのビデオメッセージ動画を再生した。韓国のPEACE LINKの映像でハングルの字幕がついていた。
安倍氏はメッセージの中で、「朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」などと演説していた。山上被告はこの動画をネットで目にし、安倍氏狙撃を決意したと見られている。
弁護側は、統一協会の献金問題に取り組む全国統一教会被害対策弁護団が安倍氏に送った抗議文をモニターに出して、一部を読み上げた。
その後、弁護側は被告と母親、兄妹らとのメールにやりとりを読み上げ、その後、母親が証言台に立ち、冒頭へと戻る。
母親の証言が終わって閉廷した後、観光客でにぎわう奈良は夜を迎えていた。裁判所の前で、京都から来たという市民は「ここで山上被告の裁判があったんですね。母子の対面、つらいですよね」と話した。
母親は18日(火)午後の第8回公判で引き続き証言する。関係者によると、今後、被告の妹も出廷する予定という。
<取材・文・写真/浅野健一>
【浅野健一】
1948年、香川県高松市生まれ。72年、共同通信社に入社。84年『犯罪報道の犯罪』(学陽書房)を発表。ジャカルタ支局長など歴任。94年に退社。94年から2014年まで同志社大学大学院メディア学専攻教授。人権と報道・連絡会代表世話人。『記者クラブ解体新書』(現代人文社)『安倍政権・言論弾圧の犯罪』(社会評論社)『生涯一記者 権力監視のジャーナリズム提言』(社会評論社)など著書多数。 Xアカウント:@hCHKK4SFYaKY1Su