
柔道男子73キロ級で2024年パリオリンピック(五輪)銅メダルの橋本壮市(34=パーク24)が20日、東京都内で会見し、現役引退を報告した。
13日に自身のインスタグラムで引退発表してから1週間。紺色にストライプ柄のスーツ、赤のネクタイを絞めて登場した橋本は緊張気味だった。
冒頭のあいさつを口にし始めたが、言葉に詰まって沈黙…。
「少し紙を見ていいですか?」。
会場の笑いを誘い、手元のカンペを使い始める。まさかの“やり直し会見”から始まった。
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「オリンピックという夢に手が届きそうで、手が届かなかった日々が長く続きもがき苦しんだ時もありました。それでも、諦めずに挑み続けたことで、夢の舞台に立ち、メダルを持ち帰ることができました」。そうあいさつした後、「とうとう、引退する時が来たな」と実感を込めた。
引退を決めたのは今年の夏。「オリンピックが終わって不思議なことに全てを出し切ってすっきりした感じがした」と言う。
昨年のパリ五輪では日本柔道最年長で代表入りとなった。栄光と挫折を知る苦労人がこれまでの競技人生を振り返った。
神奈川・東海大相模高時代には16年リオデジャネイロ五輪男子100キロ級の羽賀龍之介、今月引退を表明した同級の王子谷剛志らとともに全国高校総体(インターハイ)を制覇。史上2校目の2年連続3冠(全国選手権、金鷲旗大会、インハイ)を達成した。
東海大を経て、14年パーク24加入後は、「もがき苦しんだ」と話すように長いトンネルだった。
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特に21年東京五輪代表入りを阻まれた大野将平の存在は忘れもしない。
五輪2大会の代表は補欠だった。東京を目指した20年2月にグランドスラム(GS)パリ大会で優勝し、世界ランキング1位となった。しかし、リオデジャネイロ五輪金だった大野の成績が上と判断され、代表権をライバルに譲ったのは屈辱的な記憶だった。
それでも、「大野選手の存在は自分を成長させてくれたので感謝したい。(大野を)超えていかないと、五輪にたどり着かないと思ったので、諦めずに闘ってきてよかった」。
どん底から再び武器の橋本スペシャル(変形の片手袖釣り込み腰)を磨き、国際大会でも結果を残してパリ五輪代表入り。花の都の畳では家族が見守る中、敗者復活戦からはい上がり、銅メダルを獲得した。
日本柔道では女子で5大会連続メダルだった谷亮子を上回る32歳11カ月6日での最年長メダリストとなった。「やっぱり、柔道家が目指す場所だなと思った。やっとたどり着いた」
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パリ後は引退も考えたが、現役を続行。今年4月には体重無差別で日本一を決める全日本選手権に出場し、3回戦進出。その後はブラジルで約3週間柔道教室に参加するなどしていた。
今後は後進の育成に当たる。パーク24ではアドバイザーとして活動しながら、海外での指導者留学も予定している。
さらに「地元の静岡で小学生の国際大会も計画している。地元にも何か恩返ししたい」とも。すでに日本のお家芸の発展に情熱を注ごうとしている。
静岡・浜松市出身で6歳から道場「育誠館」に入門し、粘り腰で歩んだ28年間の柔道人生は決して平らではなかった。「悔いは残っていない。自分自身は金メダルしか見ていなかったので、そこは悔しいけど、全身全霊をかけたので未練はない。やり切った」と橋本。その顔に涙はなく、笑顔で締めくくった。【泉光太郎】
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