
アサヒグループホールディングス(以下、アサヒ)がランサムウエア(身代金要求型ウイルス)攻撃を受け、ビールなどの出荷に支障が生じました。
この影響は他社にも及びました。アサヒに代わる商品として注文が急増したため、自社主力商品の安定供給を優先。一部商品を出荷停止に踏み切る企業も出たほどです。
かつて圧倒的首位だったキリンホールディングス(以下、キリン)を追い抜き、国内ビールシェア1位を獲得したアサヒ。アサヒがキリンを抜いて約30年。キリンは一度もトップの座を奪還できていないどころか、両社の売上高や連結総資産額には大きな差が広がっています。
そんな中で発生した、今回のアサヒへのサイバー攻撃。
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本記事では、アサヒとキリンの財務諸表や事業展開から、なぜアサヒが躍進したのかを振り返りつつ、今回のサイバー攻撃によってこの構図が変わる可能性について考察します。
●決算書が示す、圧倒的な利益率の差
両社の財務諸表を比較すると、アサヒとキリンの差は一目瞭然です。特にアサヒは、積極的な海外展開が業績を引っ張っており、ここ数年は売上高・営業利益ともにキリンを上回っています。
中でも顕著なのが、営業利益率の安定性です。アサヒはほぼ常に8%以上の営業利益率を維持しているのに対し、キリンは年度ごとの変動が大きく、業績のボラティリティ(変動幅)が高い傾向にあります。
この理由は、セグメント別利益率に目を向けると見えてきます。
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キリンはセグメントごとの利益率では比較的安定しており、数字そのものは決して悪くありません。ところが、それを連結営業利益率に換算すると大きな差が生じます。
キリンは2019年から、医薬やヘルスケアにおけるグループ横断的な研究開発、買収、構造改革を行い、その費用を本社に計上していると考えられます。その結果、個別セグメントでは利益が出ていても、連結ベースでは営業利益率が押し下げられてしまっているのです。
一方でアサヒは、セグメント利益率と営業利益率の間にほとんど差がなく、グラフにすると2本の線がほぼ重なっています。これはアサヒが世界の各地域別に事業を展開し、各セグメントで損益をきちんと管理しているのが理由です。親子会社間で発生する償却も少なく、利益を大きく押し下げる要因にはなっていません。
実は両社のこの数値差には、「全体をいかに見える化し、管理できているか」という経営の巧拙(こうせつ)が表れています。
●グローバル展開のアサヒVS. 多角化のキリン
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もともと両社は、日本国内のビール市場の成熟化という共通の課題に直面していましたが、その打開策として採用した成長戦略は対照的でした。
キリンは、事業の多角化とリスク分散を重視する道を選びました。自社の発酵技術を応用し、協和発酵キリン(現在の協和キリン)を設立して医薬品事業に参入。さらに、サプリメントなどを含むヘルスサイエンス事業を展開し、酒類企業から「健康」を軸とした企業への転換を図っています。
この背景には、キリンの海外における買収の失敗があります。酒類かつ海外という軸で成果を上げられなかった経験から、自社の強みや可能性のある分野としてヘルスケアを選び、将来的な海外展開も視野に入れて再構築を進めているのです。
一方、アサヒはアルコール飲料事業に集中し、それを武器にグローバル市場へと展開していく戦略を採用しました。国内で培ったビール事業の強みを生かし、世界市場での拡大に経営資源を集中させています。
この戦略の違いは、M&Aへの姿勢にも明確に表れています。
キリンは海外M&Aの失敗から、現在は規模ではなく、利益率と既存事業との連携を中心とした、低リスク志向の戦略を採用しています。フィリピンのサンミゲルへの出資やオセアニアのライオンネイサンの子会社化は着実に収益をあげてきたものの、海外展開は想定していたほどうまくいかなかったためです。
アサヒはキリンとは対照的で、2011年のオセアニア進出を皮切りに、2016年にペローニなどの欧州のプレミアムビールブランドの買収で成功を収めたほか、東欧でも買収を行い、2019年にはオセアニアで最大手を買収し、圧倒的なシェアの獲得に成功しています。現在では、海外売上高比率が高く、欧州やオセアニアを基盤に事業を展開するグローバル企業へと進化しています。
●M&Aの成否を分けた、“仕組み”の差
こうしたアサヒの成功とキリンのつまずきの差は、決して運や単なる偶然によるものではありません。両社には、M&Aを支える組織的な仕組みに明確な違いがありました。
アサヒの強みは、M&Aを専門とする体制を組織的に整備してきた点にあります。買収前には、現地に精通した専門家の下で徹底的なデューデリジェンス(企業調査)を行うことで、「高値づかみ」のリスクを抑えてきました。
また、買収後には、対象企業が属する地域に統括会社を設け、PMI(買収後の組織統合)を推進。現地の人材やブランドを尊重し、日本式の経営手法を一方的に押し付けるのではなく、現地に合った形で事業運営を行っています。
こうした現地化の徹底は難易度が高く、多くの企業がつまずくポイントですが、「押してダメなら引いてみる」「斜めから叩いてみる」といった柔軟なアプローチをしたことが、M&Aで成功を収めた最大の要因といえるでしょう。
一方、キリンはこうした体制面で課題を抱えていました。最も大きな要因は、経営層による焦りとトップダウンでの拙速な意思決定です。国内市場でアサヒに遅れを取っていたことから、キリンは短期間での成長を目指し、M&Aを急ぎすぎた印象が強いです。実際、ブラジルやミャンマーといった新興市場への進出は、一見すると合理的に見えるものの、買収前のデューデリジェンスやPMIの準備は不十分でした。
ミャンマーでは、軍事政権との合弁企業だと疑われ、専門家からもリスクを指摘されていました。クーデターのような不可抗力的な出来事は想定外ですが、その前段階でのリスク管理の甘さが、結果的に巨額の減損損失と撤退へとつながったといえます。
●国内ブランド戦略も大きく異なる
国内ビール事業におけるブランド戦略にも、アサヒとキリンの明確な違いが見られます。現在、国内のビール市場ではブランドが乱立しており、いかにプレミアム感を打ち出せるかが勝負の分かれ目です。
キリンのメインブランドである「一番搾り」は、麦のうまみや丁寧な製法を訴求し、「日常のちょっと贅沢(ぜいたく)なビール」というポジショニングで展開してきました。認知度も高く、品質への評価も一定以上得られています。
しかし、プレミアムモルツやヱビスのように贅沢品としての存在感は弱く、「高級感が中途半端」といった声も少なくありません。完全な定番にもなりきれず、プレミアムにも届かないという中途半端な立ち位置になってしまった印象があります。
一方、スーパードライは、業績不振に陥っていたアサヒが起死回生の一手として、それまでの「ビール=苦み」という常識を覆し、「辛口・キレ・高鮮度」といった特徴を武器に、明確なポジションを確立。圧倒的なシェアを背景に、定番でありながらも、プレミアム感のあるビールというポジションを長く守り続けています。
このような差が継続している背景には、キリンの慎重すぎる姿勢がありました。アサヒが市場を揺るがすほどの大胆なプロモーションを行ったのに対し、キリンは大きなリスクを避け、発泡酒や新ジャンル商品で細かな差別化を図る戦略にとどまったのです。
キリンは新ジャンルや「淡麗グリーンラベル」など、革新性のある商品を数多く開発してきました。しかし、2位とはいえ、国内である程度のシェアを維持し、利益は出ていることから、起死回生の勝負をかけるような強烈なプロモーションは展開しませんでした。そのため、どれだけ新しい商品を出しても、競合に追随されてしまい、埋没する状況を繰り返しています。
こうした状況が、キリンを非ビール領域であるヘルスサイエンス事業や医薬系事業などへの多角化に向かわせる一因にもなりました。
つまり、ビール事業での決定的勝利が見込めない中で、成長の軸足を他領域に移さざるを得なくなったのです。
●サイバー攻撃で、両社の立ち位置は変わるのか
今回のアサヒへのサイバー攻撃によって、キリンが再びビール市場で首位を奪還するような展開が起こるのか。結論から言えば、その可能性は低いと考えています。
すでにアサヒは国際展開を進めるグローバル企業としての地位を確立しており、今回の攻撃による影響は限定的でしょう。世界市場でのプレゼンスやブランド力は揺らいでおらず、長期的な競争力が大きく損なわれるとは考えにくいと感じます。
一方、キリンは近年、医薬品やヘルスサイエンスといった非ビール領域への投資を強化し、事業ポートフォリオの再構築を進めています。すでにビール専業企業からの脱却を掲げており、健康をキーワードとする成長戦略にシフトしている状況です。
従って、今回のような一時的な混乱に乗じて、キリンがビール市場でのシェアを大きく取り戻すといった展開は考えにくいでしょう。むしろ、影響を受けなかったサントリーやサッポロが恩恵を受ける可能性が高いと考えます。
今後アサヒとキリンの2社で注目すべきは、それぞれの企業が描く成長戦略です。
アサヒは世界的な需要構造の変化や、各地域の法規制・味の好みの違いに対応しながら、グローバルブランドとしての価値をいかに維持・拡大し、企業としての存在感を強められるかが焦点となります。
キリンはファンケルなどの買収により、健康志向の製品を強化していますが、最大の課題は「キリン=ビールの会社」という強固なイメージがあることです。いかにして新たな企業像を浸透させられるかが、今後の成否を左右するポイントになるでしょう。
今回、アサヒへのサイバー攻撃をきっかけに、改めて両社の過去と現在の戦略を比較してみると、すでに全く異なる方向へ歩み始めていることが見えてきました。
両社の進む先で、どのような成果を出していくのか。今後も注視していきたいと思います。
(カタリスト投資顧問株式会社 取締役共同社長/ポートフォリオ・マネージャー、草刈 貴弘)
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