「SaaSは死なない」 AIの弱点を冷静に見据えた、LayerXの成長戦略とは?

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2025年12月03日 07:40  ITmedia ビジネスオンライン

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SaaS企業は本当に消えゆく運命にあるのか、それとも――。写真はLayerXの福島良典CEO(左)と松本勇気CTO

 生成AIの急速な進化が、ソフトウェア業界に激震をもたらしている。特にSaaS(Software as a Service)企業にとって、この波は生存を脅かすものとして受け止められつつある。「SaaS is Dead」(SaaSの終焉)――。シリコンバレーを中心に、こんな言葉が囁(ささや)かれるようになった。


「SaaSは死なない」 LayerXの成長戦略とは?


 汎用的なAIエージェントがさまざまなソフトウェアを自在に操り、業務を遂行する。そんな未来が現実味を帯びる中、個別の業務に特化したSaaS製品は不要になるのではないか。この見方が広がっている。


 だが、バックオフィス向けSaaSを展開するLayerX(東京都中央区)の福島良典CEOと松本勇気CTOは、この論調を「明確に間違い」と断言する。両氏が示すのは、SaaS企業だからこそ生成AI時代に優位に立てるという戦略だ。


 バックオフィス業務の効率化SaaS「バクラク」を1万5000社超に提供するLayerXは、ChatGPTの登場直後からAI活用に取り組んできた。2年以上の実践を経て、両代表が見出したのは「AIは万能ではない」という現実である。


 「賢さ」だけでは業務は遂行できない。必要なのは業務の「コンテキスト」と「データ」だ――。この認識が、LayerXの生成AI戦略の出発点となっている。既存のSaaS企業は本当に消えゆく運命にあるのか。それとも、新たな形で進化を遂げるのか。LayerXの取り組みから、その答えを探る。


●「SaaSは終わらない」――AIの限界とは?


 「SaaS is Dead」論の根底にあるのは、統合的なAIエージェントがさまざまなソフトウェアを使いこなし、汎用性の高い1つのエージェントが全ての業務を担うという世界観だ。個別業務に特化したSaaSは不要になる――。この見方に対し、福島氏は極めて明快な比喩で反論する。


 「今のAIは、おそらくアインシュタインより賢い。それでもLayerX社の経費精算はできない」


 世の中のほとんどの問題はIQの問題ではなく、コンテキストの問題だ。福島氏はそう見る。


 「アインシュタインのような知能を持った人でも、経費精算のプロセスやマニュアル、使うツール、アップロードのルールを教えれば必ずできる。だが、何も教えなければ絶対にできない」


 基盤モデルが賢くなる方向と、業務プロセスを解くことの間には大きなギャップがある。業務の効率化に必要なのは、コンテキストや業務プロセスをしっかり教え、そこに合わせて評価していくことだ。


 松本氏も同じ視点から、AIの限界を指摘する。「現状の技術では精度が出ない。1つの知能に良い道具をたくさん与えて、何でもこなせるようにしようという発想は期待しすぎだ」


 業務ステップは多岐にわたる。各ステップでミスが積み重なれば、最終的なアウトプットの精度は大きく低下する。汎用的なエージェントに多くの機能を詰め込むほど、かえってミスは増えていく。


 では、このギャップを埋めるものは何か。それこそがSaaSである。AIはビジネスの知識を持たずに働くことはできない。業務プロセスのコンテキストを持ち、データを蓄積してきたSaaSこそが、AIと業務をつなぐ接点になる。福島氏の言葉を借りれば、「AIネイティブに合わせて進化するSaaSが一番成長する」のである。


 ただし、福島氏は重要な但し書きを加える。「既存のSaaSが変わらなくてもいい、という話ではない」。生成AI時代に適応できないSaaSは淘汰(とうた)される。変化が求められるのは確かだ。しかし、それは「SaaSが終わる」ことを意味しない。適切にAIを組み込んだSaaSこそが、次の時代の勝者になる。


●勝負を決めるのは“データの質” SaaSがAIを凌駕する理由


 では、LayerXはどのような戦略でAI時代に臨むのか。その核心は「小さなエージェントをたくさん作る」という思想にある。


 松本氏は、エージェントを「請求書を受け取ってデータベースに放り込んでくれる妖精のようなもの」と表現する。1つの汎用的なエージェントが全てをこなすのではなく、特定の小さなタスクに特化したエージェントを数千、数万と作り、それらを束ねて仕事をさせる。


 バクラクにはすでに、こうした「妖精」たちが実装されている。請求書をOCR(光学的文字認識)で読み取るだけでなく、企業ごとの帳票の癖を学習して精度を上げるエージェント。経費精算の領収書を撮影すると、自動で金額や日付を抽出し、勘定科目まで提案するエージェント。入金があれば請求書と自動で照合し、消し込み作業を行うエージェント――。


 これらは一見すると地味な作業だが、実際の業務現場では膨大な時間を要する。特に重要なのは、ソフトウェアとソフトウェアの隙間に落ちている業務を埋めることだ。請求書を受け取ってから会計システムに入力するまでの間、入金を確認してから消し込みを行うまでの間。こうした「間」の作業こそが、最も人的コストがかかり、生産性に効く領域だと福島氏は指摘する。


 「業務に入り込んだデータとコンテキストをいかに押さえるかが全てだ」


 こうしたLayerXの戦略を支えるのが、SaaSが持つ2つの資産である。良いデータと、良い業務プロセスだ。


 松本氏は「LLMラッパー」という言葉を引き合いに出す。これは、大規模言語モデルを簡単なロジックで包んだだけのサービスを指す業界用語だ。「LLMをロジックで包んだものをリリースしても勝てない。差別化のポイントは、良いデータと良い業務プロセスを持っているかどうかだ」


 例えば請求書処理のエージェント。表面的にはどの企業のエージェントも同じように見える。だがバクラクの場合、1万5000社超の導入実績から蓄積された膨大な請求書データがある。この企業はこういう形式の請求書を使う、この業界ではこの項目が重視される――。こうした知見がデータとして蓄積されているからこそ、AIの読み取り精度が上がる。


 「LLMが間違うのは、実はデータが間違っているケースが多い。SaaSが強い理由は、良いデータを持っているからだ」。松本氏の指摘である。


 業務プロセスも同様だ。経費精算ひとつとっても、企業ごとに承認フローは異なる。バクラクに蓄積されているのは、各社の特有のフローだけでなく、多くの企業を観察してきた中で見出した「ベストプラクティス」でもある。こうしたプロセスを組み込むからこそ、エージェントは単なる作業の自動化ではなく、業務の最適化までを実現できる。


●チャットではなくSaaS――AIを業務に“溶け込ませる”UIとは


 AIを使ってSaaSを再構築する際、多くの企業が選ぶのはチャットUIである。AIとの対話窓口を前面に出し、その裏側でSaaSが動く。一見、自然なアプローチに思える。


 だがLayerXは、この道を選ばなかった。


 松本氏は、現在のLLMの特性を指摘する。「今、LLMと話すときは基本的に文字だけだ。だが人間の仕事は、もっと多様な道具を使う。ファイルを作る、データベースに書き込む、PDFと処理結果を見比べる――。いろいろな道具を使うから、人間同士のやり取りはシンプルになっている」


 LayerXのアプローチは、SaaSの外からAIで操作するのではない。SaaSのネイティブなUIの中に、AIを自然と組み込む設計だ。ユーザーがいつも通りSaaSを使っていると、必要な場面でAIが作業を補助する。


 例えば請求書の処理だ。チャットで「この請求書を処理して」と指示するのではなく、請求書をアップロードすると、SaaSのUI上でAIが自動的にデータを抽出して表示する。元の請求書と抽出したデータが対比して表示されるため、「どこからその答えを持ってきたのか」が一目で分かる。


 人間が「ここは違う」とUI上で修正すれば、その情報がAIの学習材料となり、次回以降の精度が上がる。このやり取りは、全てSaaSのネイティブUI上で完結する。チャットという別の窓口を介さない。


 「エージェントにSaaSが置き換えられる、のではない」。松本氏は強調する。「一人一人が自分の手元にエージェントという部下をたくさん作り、そのエージェントと一緒に仕事をする。そうすることで生産性が上がる。誰かがいなくなるのではなく、人とエージェントが共に働くことが重要だ」


 この「共に働く」を実現するには、エージェントが人間の業務の流れに自然に溶け込む必要がある。チャットUIでは、業務の流れとAIとのやり取りが分断される。SaaSのネイティブUIにAIを組み込むことで、その分断を解消できる。


 UI設計の違いは、表面的な問題ではない。どこにAIを配置するかは、「AIをどう業務に溶け込ませるか」という本質的な問いに直結する。LayerXの選択は、SaaS企業ならではの強みを生かした答えだ。


 業務の現場に入り込み、日々蓄積されるデータとやり取りから学習し続ける。この循環を回せるのは、SaaSのネイティブUIだからこそである。


●LayerXが描く、段階的自動化のロードマップ


 LayerXが目指すのは、業務の「完全自動運転」である。だが、その実現には段階的なアプローチが必要だ。松本氏は、自動化を5つのレベルに分けて説明する。


 レベル0は従来の業務形態だ。紙やPDFを受け取り、人間が手でデータベースに書き込む。レベル1では、OCRのような技術で請求書のデータを抽出するなど、特定の小さな業務をAIが担う。ここまでは、人間が主体でAIが補助する段階である。


 レベル3以上になると、主客が逆転する。AIが主体となって業務を遂行し、人間がそれをサポートする形だ。レベル3では、AIが一通りの仕事をこなすが精度はまだ低く、人間が細かくチェックして修正する。レベル4では、異常がない限りAIが自律的にゴールまでたどり着く。そしてレベル5――異常が発生してもAI自身が対処できる、完全な自動運転の状態だ。


 「今、 われわれはレベル3から4の段階をどう実現するかに取り組んでいる」。松本氏はこう語る。


 この段階を突破する鍵が、「AIオンボーディング」である。LLMはパブリックなデータで学習しているため、企業特有の業務は知らない。会社ごとの承認フロー、経費精算のルール、取引先ごとの請求書フォーマット――。こうした固有の知識を、どうやってエージェントに教え込むか。この仕組みづくりが、レベルを上げるための前提条件となる。


 LayerXが示したのは、データとコンテキストを持つSaaSこそが生成AI時代の優位に立てるという事実だ。特に、生成AIの代名詞ともなっている「チャット」は、必ずしも業務向けUIの最適解ではないという考え方は、目からウロコでもある。



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