歯科医師の野尻真里「最近、夫の口臭が気になって仕方がない。でも、本人に言うと角が立つし、何より自覚がない……」。こうした悩みを抱える妻は少なくありません。
パートナーのお口の状態、とくに“におい”と“衛生状態”は、家庭内ではなかなか正面から話しにくいテーマです。しかし実は、妻が感じている不安の背景には、“家庭全体に広がるリスク”が潜んでいます。
その原因の多くが、舌の上に付着する白い汚れ「舌苔(ぜったい)」と、口の中で静かに増え続ける歯周病菌です。そのため、どちらも本人が気づかないことがほとんどです。とはいえ、そのまま放置すると、においだけでなく、家族への感染や子どもの口腔環境の悪化につながりかねません。
◆予防歯科が警告する“家庭内お口崩壊リスク”
予防歯科の観点では、お口の健康は「悪くなってから治す」のでなく、「悪くならないためにアクションする」ことが重要です。特に、むし歯菌(S.mutansなど)や歯周病菌(P.gingivalisなど)は家族間でうつりやすく、家庭内の一人が口内環境を崩すと、他の家族にまで影響が及びます。
例えば、夫のお口環境が悪いままだと、その菌がキスや食器の共有などをきっかけに夫婦間で感染するだけでなく、子どもへ拡散しやすくなります。特に小さな子どもは免疫が弱く、菌への抵抗力が大人ほど強くありません。そのため、夫が気づかないうちに家庭の“菌の供給源”になってしまい、子どものむし歯リスクや将来の歯周病リスクまで高めてしまうことがあるのです。
家族みんなにむし歯や歯周病があり、お口環境が似ているというケースも珍しくありません。
「夫の口臭が心配」という妻の不安は、単なる不快感ではなく、実は“家庭の健康を守りたい”という本能的な危機意識の表れだと言えるでしょう。
下記のチェックリストに当てはまらないかチェックしてみてください。
・妻から口臭を指摘されたことがある
・マスクの中で自分の息が臭うと思ったことがある
・最近、キスを避けられるようになった
・朝起きた時に、口の中がネバネバする
・鏡で舌を見ると全体的に白っぽい、黄色っぽい
・手首を舐めて、乾いた後の臭いを嗅ぐと嫌な臭いがする
・職場で会話中に距離を取られたことがある
◆見落とされがちな“歯間の菌”と“舌の菌”
歯周病菌は、歯の表面よりも“隙間”を好んで繁殖します。歯と歯の間、歯ぐきとの境目、奥の方の見えないスペース。ここで菌が増えると、一見きれいに磨けているようでも、お口の中では炎症が進んでいる可能性があります。
さらに問題なのが、舌の上に溜まる舌苔です。実は口臭の6〜7割は舌苔が原因とされ、白い汚れのように見えるその正体は“細菌の塊”です。ここには歯周病菌も潜んでおり、舌が汚れたままの状態では、お口全体の菌の繁殖を促す細菌の供給源となってしまうのです。そして、細菌が多く繁殖してしまうことで、家庭内への感染リスクを押し上げる大きな要因となります。
にもかかわらず、男性の多くは「歯は磨くけれど舌は磨かない」人が大多数です。習慣化されていないため、妻は気になっていても夫は「そこまで必要なの?」と軽く考えがちです。このギャップこそが、家庭内の不安を生みやすいのです。
◆歯科医がすすめる“10秒でできる舌ケア”
舌ケアは、実は歯磨きよりも簡単で、時間もほとんどかかりません。しかし方法を間違えると舌を傷つけたり、逆効果になることもあります。
歯科医がすすめる正しい舌ケアのポイントは以下のとおりです。
・専用の舌ブラシを準備する
歯ブラシで代用すると刺激が強すぎるため、必ず舌ブラシを購入しましょう。舌ブラシには”ヘラタイプ”のものや”ブラシタイプ”のものがあります。
最初は舌を傷つけるリスクが低い”ブラシタイプ”のものを使ってみてください。
・舌の奥から手前に動かす
手前から奥にゴシゴシと動かすと舌の菌が喉にいってしまうため、必ず奥から手前の一方向に動かしてください。
また、動かす時は力いっぱい行わず、優しく動かしてください。完全に全ての舌苔を取り切らなくてもいいので、5回ほど清掃したらやめてお口をゆすぎましょう。
舌の清掃は、1日に1回は行いましょう。特に朝の舌には、夜寝ている間に繁殖した菌が多く付着しているため、舌の清掃はマストです。寝起き直後のお口の中は、うんち10g相当の菌がいると言われるほど汚れています。体内に菌が入るのを防ぐ意味でも舌のケアは重要なのです。
舌清掃を行う際に注意したいのがお口の乾燥です。乾燥した状態で舌清掃を行うと、舌が傷つく原因となります。舌清掃の際に使用するジェルも市販で買うことができるため活用しても良いと思います。
たった10秒ほどのケアでも、舌苔の量は明らかに減少し、においの発生源を大きく抑えることができます。
◆家庭を守るための“夫のオーラルケア”4か条
家庭内の菌リスクを抑えるために、歯科医がとくに推奨する「夫の習慣」は次の4つです。
1.夜だけは絶対に歯磨きをサボらない
就寝中は唾液の量が減り、お口の中が乾燥して菌が最も増殖しやすくなります。夜間にむし歯も歯周病も進行するものです。夜の歯磨きは“家族を守る第一防御”と言っても過言ではありません。
2.舌ケアを1日1回は必ず取り入れる
舌が菌の供給源になっている人は多くいます。舌のケアは、歯磨きの前に行いましょう。
3.フロス・歯間ブラシを習慣化
歯ブラシだけではお口の中は6割程度しか磨けません。細菌は歯の表面ではなく隙間を好むため、歯間の菌を放置することで、歯周病は進行していきます。歯間ケアは歯磨きと同じくらいマストなのです。
4.頑固な汚れは歯科医院でリセットする
歯石や歯周ポケット内の細菌は家庭ケアで除去するには限界があります。数か月に一度のプロクリーニングで、お口の隅々までケアをしましょう。
◆これは妻のためだけではない。“夫自身の老化対策”でもある
歯周病は動脈硬化や糖尿病など全身の炎症リスクと深く関わっており、“お口の菌”は中高年男性の健康寿命にも直結します。また舌が汚れたままでは味覚も鈍くなり、食事の楽しみさえ損なわれます。また、最近は「スメルハラスメント(スメハラ)」という言葉があるように、口臭は職場の人間関係にも影響します。ビジネスや社交の場で自信を失わないための身だしなみとしてもオーラルケアは重要です。
妻から見れば「家族の安心のためにケアしてほしい」。
夫から見れば「将来の自分の健康や社会的な自信を守るためにケアする」。
そのどちらも叶えられるのが、日々の丁寧なケアを行う予防歯科なのです。
◆お口のケアは“家庭の安全管理”
夫のお口の菌問題は、放置すると家族全体に影響が広がる“家庭のリスク”です。しかし、予防歯科の習慣を少し取り入れるだけでも、家庭内の菌リスクは大きく下げられます。
お口のケアは、妻の不満を解消するためだけのものではありません。家族の健康を守り、子どもの将来の口腔環境を守り、夫自身の健康寿命を延ばす“家庭の安全管理”そのものなのです。オーラルケアは習慣化が鍵になります。歯間清掃や舌清掃を習慣化させられるかどうかが課題です。夫婦で習慣づけられるよう、お互いに声を掛け合ってオーラルケアを行いたいですね。
<文/野尻真里>
【野尻真里】
一般診療と訪問診療を行いながら、予防歯科の啓発・普及に取り組んでいる歯科医師です。「一生涯、生まれ持った自分の歯で健康にかつ笑顔で暮らせる社会の実現」を目標にメディアで発信をしています。X(旧Twitter):@nojirimari