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みなさんが最初に手に触れたゲーム機はなんですか?
最近、eスポーツの若手プレイヤーに最初に遊んだゲーム機の話を聞くと、プレイステーション2であったり、ニンテンドー64であったりと、「つい最近のハードでは?」と思われる答えが返ってきます。結構ベテランのプレイヤーに話を聞いても、スーパーファミコンであったりPCエンジンであったりで、それも物心ついたときには家にあったというゲーム機ネイティブ状態です。おそらく、多くの読者の方もそれに当たるのではないでしょうか。
私が幼少の頃はテレビゲームが家庭にあるところはほとんどなく、現在のようなアミューズメントスポットとしてのゲームセンターも存在しませんでした。
1978年、7歳の頃にタイトーから『スペースインベーダー』が発売され、社会現象となるほど流行しました。ゲームセンターの前身とも言える『スペースインベーダー』専門の遊技場であるインベーダーハウスが登場し、それ以前では、ホテルのロビーやデパートの屋上などにピンボールなどを設置したゲームコーナーがあるくらいでした。『スペースインベーダー』が流行してからは、喫茶店のテーブル代わりに『スペースインベーダー』が置かれたほどです。
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小学1年生には1ゲーム100円で遊ぶのは難しかったのですが、インベーダーハウスに行ったことはありました。このときの衝撃がゲームをプレイし続けるきっかけになったと言えるでしょう。
一応、『スペースインベーダー』ブームを経験したと言えますが、まだ子どもだったため、どのくらいの規模の社会現象となったかは体感ではわかりませんでした。先述した喫茶店を始め、どこにでも設置されていたり、100円玉不足になったりと、当時のニュースを見直す限りでは、かなりの規模だったのではないでしょうか。
●『スペースインベーダー』が流行した要因
『スペースインベーダー』が流行した要因はいくつかあると言われています。
まず、大量の敵が襲い来る中、単機で敵を撃ち倒す爽快感や、横移動と弾の発射だけというシンプルさでプレイのハードルの低さなどが挙げられています。
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また、何度もリピートする要因として、攻略要素が入っていることではないでしょうか。時折出現するUFOは撃つごとに得点が変わります。一見ランダムに見えますが、実は最初は8発目、以降15発目でUFOを撃墜すれば最高得点の300点が得られるようになっていました。
さらに名古屋撃ちという技術も登場しました。敵の弾が1キャラ分空いたところから落下するため、敵キャラと密接すると弾に当たらないという仕様を利用したテクニックです。最後の1匹を10点インベーダーにすることで発生するレインボーなど、やり込む要素が入っていました。
名古屋撃ちやレインボーは開発者が想定していない、いわゆるバグが攻略要素になっており、偶然の産物と言えます。しかし、バグが攻略要素となるのは、のちのファミコンで裏技として昇華されました。『スペースインベーダー』は、現在でもゲームプレイの楽しみとなる要素がすでに組み込まれていたと言えます。
『スペースインベーダー』は一過性のブームとしての側面もあり、短期間で飽きられてしまいました。また、『スペースインベーダー』のヒットに追随するメーカーが増え、『スペースインベーダー』の亜流、コピー品が出回り、供給過多になってしまいました。
しかし、そのブームの中でデジタルゲームに関わったメーカーのいくつかが、オリジナルの新タイトルをリリースし、アーケードゲームというカテゴリーが確立していきました。このあたりからゲーム専門店がインベーダーハウスからゲームセンターへと昇格していくわけです。
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●ファミコンの何が画期的だったか
家庭用ゲーム機の代名詞と言えば、何を思い浮かべるでしょうか。世代によってはプレイステーションであったり、ニンテンドースイッチであったり、さまざまだと思いますが、世代を超えても「そうかな?」と思えるのはやはり「ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)」ではないでしょうか。
ファミコンの登場により、一気にテレビゲームが世の中に浸透したと言っても過言ではありません。
ファミコン以前にも家庭用ゲーム機はありましたし、「ゲーム&ウオッチ」のようなスタンドアローンのゲーム機も人気を博していました。しかし、ファミコンの登場が、間違いなくテレビゲーム史における分水嶺になったのです。
ファミコンが他の家庭用ゲーム機より優れていたのはなんと言ってもグラフィックです。
ファミコン以前のゲーム機は使える色数も少なく(8〜15色)、1つのキャラクターは単色でしか使用できないものがほとんどでした。
それに対して、ファミコンは背景とキャラクターで25色も使え、これまでの家庭用ゲーム機とは比べものにならない鮮やかな画面を実現しています。それにより、アーケードゲームのヒット作の移植もアーケードに近いものがリリースされ、いかにも家庭用機版といった印象を払拭させています。
アーケードゲームそのものが遊べる印象になったことは大きな意味がありました。1回100円、もしくは50円で遊んでいたゲームが、3800円のカセットを購入すれば好きなだけ遊ぶことができるようになったからです。
ファミコンソフトをつくるのは任天堂だけではなく、それ以外のゲームメーカーがサードパーティ(次節で解説)としてファミコンソフトをリリースし、アーケードゲームの移植作は増えていきました。
さらにファミコンオリジナルのタイトルもリリースされ、いよいよ1985年には『スーパーマリオブラザーズ』が発売されます。ファミコンオリジナルタイトルとして空前のヒット作となり、家庭用ゲーム機がテレビゲームの主導権を握るようになっていきます。
●1プレイ100円のビジネスモデル
アーケードゲームは1プレイ100円というビジネスモデルのため、1回のプレイが短めで、それでいて満足させる内容が求められていましたが、家庭用ゲーム機は買い切りモデルのため、アーケードゲームとは違い、じっくりと長時間かけて楽しめるものが主流となっていきました。ビジネスモデルが、ゲームの内容に影響を与えるのです。
じっくり長時間をかけて楽しめるゲームの典型がロールプレイングゲーム(RPG)です。『ドラゴンクエスト』(1986年発売)や『ゼルダの伝説』(1986年発売)など、のちにシリーズとして続くことになるRPGの人気タイトルがリリースされ、さらに家庭用ゲーム機の人気に拍車をかけていきました。また、この時期にアドベンチャーゲームやシミュレーションゲームなど、アーケードゲームでは展開しづらいゲームジャンルが続々登場し、スタンダードになりました。
これらはPCゲームとして、すでにリリースされていたジャンルですが、当時はPCの普及率は低く、ファミコンに移植されることで大きく世に知られるようになったわけです。
さらに安価にゲームの書き換えができるディスクシステムや性能を向上したスーパーファミコンが登場し、ファミコンはテレビゲームの代名詞として確立していきます。
※この記事は、書籍『ゲームビジネス』(岡安学/クロスメディア・パブリッシング)に、編集を加えて転載したものです。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
(岡安 学、eスポーツジャーナリスト)
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