
かつて百貨店は大きな存在感を放っていた。売り場にはいつも人だかりができ、昼時にはレストランが混雑、子どもたちが屋上の遊園地で遊ぶ光景が日常だった。読者の中にも、百貨店で過ごした思い出がある方も多いだろう。
しかし今、そうした屋上遊園地は全国にわずか4カ所しかない。そして、そのほとんどが最低限のメンテナンスしかされておらず、“昭和”がそのまま残っている状態だ。
収益性も低いことから閉鎖が相次いでいるが、47年ぶりにリニューアルする決断を下した百貨店がある。名古屋の中心街・栄にある松坂屋名古屋店だ。
2025年3月にリニューアルオープンした屋上遊園地は、約700坪の敷地に、懐かしい遊具はもちろん、身長測定や反復横跳びなどの体力測定ができるスポットがあるのが特徴だ。
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リニューアルオープン後の客足も順調に伸びており、筆者が取材のため平日の午前中に訪れた時は、子連れの家族が5組ほどいた。子どもにせがまれ、乗り物の遊具に何度も小銭を投じる親。昔と変わらぬ家族団欒(だんらん)の光景がそこにはあった。屋上遊園地の月の平均売り上げも、従来の2.5倍から3倍に伸びているという。
収益源とはなりにくい屋上遊園地が相次いで閉鎖される中、なぜ松坂屋名古屋店は今回の大刷新に踏み切ったのか。そして収益が伸びている要因は何なのか。
●400年以上の歴史を持つ老舗が直面した「屋上の荒廃」
「松坂屋」の歴史は400年を超える。1611年に「いとう呉服店」として名古屋で創業し、江戸時代に発展。東京・上野の呉服商だった松坂屋を買収して江戸へと進出した。その後、明治、大正と時代が移り変わり、1925年に全店舗の商号を松坂屋に統一。同年5月に、現在地の栄に松坂屋名古屋店を構えた。
すでにその時から屋上遊園地は存在していた。当時は動物園や展望台、水族館なども併設され、展覧会も開催されていたという。太平洋戦争時に空襲で全焼したが、戦後に復活した屋上に子ども向けの遊具などが置かれ、今の屋上遊園地の原型ができた。
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高度成長期とともに日本中の百貨店はにぎわいを見せたが、1990年代初頭のバブル崩壊以降、不景気や大型ショッピングモールの台頭などもあり、百貨店ビジネスは衰退。同時に屋上遊園地も存続の危機に直面した。松坂屋名古屋店に限らず、あらゆる百貨店が同じ道をたどっている。
日本百貨店協会によると、業界売上高のピークは1991年の9兆7000億円。同年には全国に268店舗の百貨店が存在し、ほぼ全てに屋上遊園地があったとされている。それらが次々と閉鎖となった。
屋上遊園地の減少には別の理由もある。
1970年代に百貨店の火災が相次ぎ、消防法が改正され、建物の屋上の半分を避難区域として確保することが義務付けられた。その結果、観覧車のような大型遊具などを設置することが難しくなったのである。それに伴う収益減や刷新に必要なコストなどを鑑みて、屋上遊園地の閉鎖を決めた百貨店も多い。
松坂屋名古屋店は何とか屋上遊園地を維持し続けていたが、実態は厳しいものだった。今回のリニューアルプロジェクトを担当した大丸松坂屋百貨店 本社営業本部店づくり推進部の池田航氏によると、リニューアル前は「平日であれば1日の売り上げが1万〜2万円程度だった」という。
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遊具のメンテナンスもままならず、植物園として設けた場所の草木も枯れていた。池田氏は当時の状況をこう振り返る。
「2010年に『ソラテラス』という屋上庭園を開業し、季節の植物を飾ったり、植物を販売する店舗を設けたりと、さまざまな事業に挑戦しました。しかし、数年で維持管理が難しくなり、『本当にこれが植物園なのか』という状態になってしまったのです。レトロな雰囲気を好む方も来られていましたが、植物は枯れ、単に老朽化した場所と化していました」
●百貨店の「余白」の必要性
今回の屋上遊園地のリニューアルは、松坂屋名古屋店本館および北館の計8フロアを対象とした大規模リニューアルプロジェクトの一環で進められた。屋上をそのまま放置する、あるいは閉鎖するといった判断もあったはずだが、なぜテコ入れしたのか。
そこには池田氏自身の思い入れもあったという。
「私自身、幼少期に家族で百貨店へ出かけ、母の買い物を待つ間、祖母や父と屋上で過ごした記憶があります。40代以上の方にお話しすると、誰もが同じような経験をされているのです」
しかし、屋上遊園地はもはやビジネスモデルとしては完全に崩壊し、運営者はほとんど採算が取れない状態だった。それでも残す選択をした理由について、池田氏はこう説明する。
「今の百貨店は余白がなくなりすぎています。ビジネスを成長させないといけないので、どんどん『売る場所』に変わってしまっているのです。そうした中で、当店の立地など、さまざまな環境を踏まえて、屋上遊園地はしっかりと残すべきだと考えました」
池田氏は続ける。
「屋上遊園地は、これまで歴史の中で積み上げてきたものやお客さまの思い出、家族の絆といったものが色濃く残っている場所です。それを残すことで、目に見えないプラスの効果が得られると感じました。また、開業からちょうど100周年という節目でもあり、チャレンジするには最適なタイミングでした」
コイン遊具メーカーの協力も大きかった。屋上遊園地の管理・運営パートナーである加藤工業は、コロナ禍で厳しい経営状況にあったが、諦めずに付いて来てくれたという。「もし先方が『撤退させてもらいます』と言ったら、リニューアルは断念していたかもしれません」と池田氏は強調する。
一方で、投資金額はリニューアルプロジェクト全体で約63億円。屋上遊園地だけでも数億円は投じている。経営層からの反対はなかったのだろうか。
池田氏によれば、売り場外の共用部や屋上遊園地のような場所の改装を経験した人材が、社内にはいなかったことが影響しているという。
「誰も異論を出しようがなかったというのが実情です。売り場であれば、年間でこれだけ売り上げて、その利益率が何%で、投資回収率が何%だから進めよう。この条件を満たしていないからやめようといった判断基準が明確に存在します。しかし屋上に関しては、そうした基準が特に設けられていませんでした」
ブレインストーミングに近い形で経営層と方向性を擦り合わせていき、投資する金額と、完成物の出来栄えに対する承認を得ることができたため、リニューアルに着手することができた。
結果として、屋上遊園地のリニューアルに成功。“新旧融合”の空間設計や、大人向けのイベントの実施などにより、屋上遊園地の月の平均売り上げを従来の2.5倍から3倍にすることができたのである(後編に続く)。
●著者プロフィール
伏見学(ふしみ まなぶ)
フリーランス記者。1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。
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