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夏季を含めて日本女子最多のオリンピック(五輪)メダル通算10個を誇るスピードスケートの高木美帆(31=TOKIOインカラミ)が4日、世界選手権(5〜8日、オランダ・ヘーレンフェイン)終了後に現役引退する意向を示した。自身のインスタグラムを更新し「今週末にオランダで開催される世界オールラウンド選手権を私のスケート人生の一区切りにしようと思っていることをご報告いたします」と思いをつづった。
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人生観の変化が無敵の高木美帆をつくった。2013年12月29日のソチ五輪代表選考会。19歳だった高木は得意の1500メートルで代表資格を失い、1000メートルで最後のチャンスにかけた。しかし、代表枠の4位に0秒03差の5位と、中学3年の15歳だったバンクーバーに続く五輪出場はかなわなかった。
100分の3秒差の残酷な結末も、本人は悔し涙を流すでもなく「五輪をどこか甘く考えていた」と淡々と言った。当時は喜怒哀楽を出さず、常にひょうひょうとしていたイメージだったが、その通りの反応だった。
五輪落選から2年後、取材する機会があった。競技に対する考えは180度変化していた。
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「一生懸命やっている選手を否定するわけではないが、あの頃はちょっと手を抜いてもできる自分が格好いいとか、ちょっとクールぶったりしていた。熱くなれなかった。逆にいうとガツガツいってダメだったらどうしようと考えていたのかもしれない」
ソチ五輪には自身が落選した一方で姉菜那が初切符をつかんだ。がむしゃらな姉の姿勢を見て見習うこともあった。
「首の皮一枚でもつなげる。泥くさくても見苦しいと思われても五輪に行きたいと、日本代表はそう覚悟を決めた人たち。スケートに全部懸ける気持ちがなかったし、五輪に懸ける思いも負けていた。このままじゃだめだと痛感した」
変わらなきゃいけない。ソチ五輪翌年のシーズンからは当時エースの小平奈緒に対して、レース前には「勝ちたい」と公言し、負ければ「悔しい」と自然に言葉が出るようになった。天才少女と呼ばれた頃から勝利への執着があまりなかっただけに「母からも“素直に(勝負への思いが)出るようになったね”と驚かれた」と振り返ったことが印象的だった。
五輪落選の挫折で、だれにも負けない闘争心と競技への探究心が宿った。その後の五輪3大会で計10個のメダル獲得。人生観の変化があったからこその栄光だったと思う。
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引退表明のメッセージに「残りの期間も変わらずに、スケートに向き合い続け、高みへ挑みにいきます」とつづった。最後まで高木らしさを貫いてほしい。【ソチ五輪担当=田口潤】
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