
自分が病気で倒れたときに、パートナーがこちらを気にも留めず、いつもと変わらない日常を送っている。そんな姿を見たら、孤独を感じてしまいますよね。今回の投稿者さんも旦那さんの振る舞いに絶望してしまったようです。
『小学生の娘が高熱で寝込み、私もそれをもらってしまいました。ところが元気な旦那は娘のお世話しかしてくれません』高熱で苦しむ娘さんを、同じく具合が悪い投稿者さんは意識朦朧としながら必死に看病していました。休日で元気な旦那さんに買いものを頼むものの、届いたのは娘さんの分のゼリーのみ。投稿者さんの分や食事の用意はなく、旦那さんは隣室でテレビを見て楽しんだあげく、爆睡する始末です。「昔は私が倒れると、かいがいしくお世話をしてくれたのにな……」とかつての姿を思い出し、涙が溢れてしまったと話してくれました。
かつての優しさが今の孤独を深くする
投稿者さんが涙したのは、単に旦那さんが「家事をしないから」ではありません。かつて自分たちが若く、まだ家族の形が新しかったころには受けられていた「慈しみ」が、跡形もなく消えてしまったことへの絶望でしょう。
『言わなくてもやってくれていた人が、言わなきゃやらなくなったのは悲しいよね』
『もう昔みたいに大事にされてないのはきついね。タダ働きの家政婦くらいにしか思ってないのかな……』
『うちの旦那なんて、子どもが具合悪くてメソメソしてたら「弱すぎるんだよ! こっちはそれどころじゃないんだよ!」と怒鳴りつけてた。だから今は大嫌いで話したくないけど、向こうからしたら何で嫌われてるのかわからないみたい』
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家事育児は「自分の役割じゃない」と思っている?
なぜ、かつては自発的に動けた旦那さんが、今は動いてくれないのでしょうか。そこには「父親という役割」に対する慣れや飽きがあるのかもしれません。
『最初はパパになった自分が嬉しくて妻子に何でもやってあげるんだけど、それはあくまでも「父になった自分」が可愛いからの行動。父親の自分に飽きると本来の姿に戻るっていう悲しい物語かな』
『指示され慣れてる会社員には、何をしていいか想像できないから無理なのかも。「洗濯やって、お米を研いで、冷凍丼を買ってきて」とか、具体的な指示がないと動けないのかな』
『お子さんもある程度大きくなってくると、旦那さんも「奥さん1人でなんとかなる」という感覚に変わっていくのだと思う』
『曖昧な伝え方したらダメなんだよ。固有名詞で言わないと、気が利かない人は「何を買っていけばいいのかわからないから、頼まれたやつだけ買っていこ」ってなっちゃう』
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期待するから悲しくなる。必要なことは?
『期待するから悲しいなんて感情が出てくるんだよ。何も期待しないと平常心のまま日々を過ごせるよ。精神を保つ方法は「期待しない」です。私も以前は「可哀想な私」と思っていましたが、自分で選んだ夫。ときどき「今に見てろよ」と思っています』
『最初から何もあてにしない。それだけの人間、そしてそういう人間と結婚してしまったんだし、自分が夫を教育ができなかったんだな、と思うしかない』
『私は近くに頼れる親戚がいないので、常温で保管できるゼリーやレトルト食品、スポーツドリンクなどを常備してる。辛いときほど、配偶者の本性がわかる』
『スマホを触れるならネットスーパーやUberで頼んだらいいよ』
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今回の投稿で見えてきたのは、家族が倒れたときに露呈する「思いやりの欠落」でした。パートナーに絶望して涙を流すことは誰にでも起こりえます。しかしその涙が乾いた後には、相手に期待しすぎる自分を卒業しましょう。そして1人でも(あるいは外部サービスを駆使してでも)家族を回していける強さをもつことが求められているのかもしれません。
「期待しない」ということは、決して諦めや敗北ではありません。むしろ自分の幸せや家族の安全を、気まぐれなパートナーの機嫌や能力に委ねないという「自立」の宣言ではないでしょうか。自分やわが子を大切にするために、パートナーに期待しない姿勢も必要なのかもしれませんね。
文・motte 編集・いけがみもえ イラスト・善哉あん

