マイネヌーヴェル(撮影:下野雄規) GIには手が届かなかったものの、「ラフィアンの名牝」として忘れられない1頭がマイネヌーヴェルである。重賞で何度も好勝負を演じ、母としても大成功したブライアンズタイム産駒。そんな彼女が生涯唯一のタイトルを獲得した03年のフラワーCを振り返る。
マイネヌーヴェルは父ブライアンズタイム、母マイネプリテンダー、母の父Zabeelの血統。父は当時のトップサイアー。母はJRAの1勝馬。(株)ラフィアンターフマンクラブにおいて総額1600万円で募集された。
02年11月にデビュー。初戦は3着だったが、折り返しの新馬を快勝する。さらに年末のホープフルSで牡馬を撃破して賞金加算に成功。その後の休養を挟み、クラシックの前哨戦としてフラワーCに参戦した。
セイレーンズソングに続く2番人気に推された一戦、マイネヌーヴェルは圧巻の走りを見せた。五分のスタートを切ったものの、横山典弘騎手は迷わず後方待機を選択。前半1000mが59秒7の平均ペースの中、後ろから3頭目のポジションで脚をためた。そして4角でも先頭からは約10馬身。それでも人馬ともに冷静だった。直線に向いてから大外に進路を取るとグングン加速。1頭、また1頭と先行勢を捕らえると、ゴール前で逃げ粘るトーセンリリーを交わしたのだ。上がり3Fはメンバー中断トツの35秒6。まさに圧巻の重賞初制覇だった。
残念ながらこれが最後の勝利となったマイネヌーヴェルだったが、04年の福島牝馬Sと05年の中山金杯で2着となるなど、息の長い活躍を見せた。そして繁殖となっても大成功。JRAで10頭の産駒が走り、9頭が勝ち上がり。とりわけマイネルグロンは23年の中山大障害など重賞3勝を挙げて、20年に天国に旅立った母の名を高めている。