元NHKアナが53歳で福祉の道へ転職、寝たまま参加できる「ウルトラ・ユニバーサル野球」普及に挑戦

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2026年03月21日 14:00  週刊女性PRIME

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2023年に開催した1回目の「ウルトラ・ユニバーサル野球大会」での内多勝康さん。アナウンサー時代のスキルを生かし実況を担当

「人生100年時代」といわれているが、50歳を過ぎ、安定した職業と将来が約束されている状況で、新たな世界に飛び込むには、少なからず勇気がいる。

 一般社団法人「ソーシャルアクションジャパン」理事の内多勝康さん(62)は、元NHKアナウンサー。1986年に入局し、生活情報番組やニュース番組などで活躍してきた。

アナウンサーを辞め福祉の現場へと転身

 だが2016年、53歳でNHKを退局。国立成育医療研究センターが運営する、医療型短期入所施設「もみじの家」のハウスマネージャーに就任し、福祉の現場で人生の第二幕を歩み始めた。

「NHKに就職するまでは、身近に障害のある人はおらず、当時は、福祉に特別な問題意識を持っていませんでした。きっかけになったのが、新人時代に高松局に配属されたことです。

 高松市では障害のある人と市民、ボランティアが一緒につくる『サンサン祭り』というイベントが行われていて、その司会が、新人アナウンサーの仕事のひとつでした。そこで障害のある人や福祉関係者と深く関わる機会を得ました」(内多さん 以下同)

 もともとディレクター志望だった内多さんは、次第に障害福祉の分野への関心を深めていく。アナウンサー業務の傍ら、関連する取材や番組制作に携わり、専門学校に通って「社会福祉士」の資格も取得した。

「定年後に福祉に関わる仕事ができたらいいな、という漠然とした思いはありました。でも、終身雇用の時代でしたから、基本的には定年までNHKで働くつもりでした」

 そんな内多さんの転機となったのが、2013年に放送された『クローズアップ現代』での番組制作だった。当時、社会にはまだ十分に知られていなかった「医療的ケア児」をテーマに企画を提案し、放送に至った。

 医療技術の進歩により、かつては救えなかった命が救われるようになった。一方で、退院後も人工呼吸器や痰の吸引などの医療的ケアを必要としながら、自宅で生活する子どもが増えている。そうした子どものケアに、家族が24時間追われている現状を伝えた番組は、大きな反響を呼んだ。

 しかし、内多さんの心には、別の思いも芽生えていた。日々の業務に追われる中で、番組制作を通して抱いた問題意識を、その先につなげられないもどかしさを感じるようになっていたのだ。

「50歳を過ぎると、どうしても現場を離れ、後進の指導に当たるようになります。仕方がない部分もあると、頭ではわかっていました」

慣れない事務仕事に悪戦苦闘した転職1年目

 そんな折、取材で関わりのあった国立成育医療研究センターで「もみじの家」の立ち上げ計画が進んでいることを知る。ハウスマネージャーの公募を耳にし、内多さんは一歩を踏み出す決意を固めた。

「ちょうど住宅ローンの返済も終わり、下の子どもも大学生になっていました。本当にいろいろなタイミングが重なったんだと思います」

 公募に応募し、見事採用。翌4月には「もみじの家」のハウスマネージャーとして新たな人生をスタートさせた。

「知らなかったからこそ、飛び込めた部分もあると思います。広報などアナウンサー時代のスキルを生かせる業務がある一方で、ハウスマネージャーの仕事のメインは事務全般。

 パソコンは使っていましたが、エクセルやパワーポイントなどはほとんど未経験でした。最初の1年は、誰に何を聞けばいいのかもわからなかった。体重が落ち、冗談で“事務ダイエット”なんて言っていましたね」

 慣れぬ仕事に四苦八苦しつつも、現場に立ったからこそ見えてくる現実があった。

「ずっとケアを担ってきたお母さんにお茶をお出しすると『こんなふうにゆっくりお茶を飲めるのは久しぶりです』とおっしゃるんです。家族はここまで追い込まれているのか……。私は胸を突かれました。状況を変えていかなければと強く思いました

 また、命をつなぐことに精いっぱいで、子どもが遊びや学びの機会を十分に得られていない現実も知った。

「『もみじの家』には看護師だけでなく保育士もおり、遊びや学びのプログラムがあります。それが子どもたちの刺激になる。家族からは『こんな笑顔を見たことがない』という声も聞かれました」

 子どもたちが子どもらしく過ごし、他者と交流する機会が圧倒的に少ないという課題に向き合う中で、内多さんは新時代の野球「ユニバーサル野球」と出合った。

「もともと堀江車輌電装株式会社の中村哲郎さんという方が、障害のある人が野球を楽しめるようにと、実物の20分の1サイズの野球場を発明したのが始まりでした。

 そこに視線入力アプリ『EyeMoT(アイモット)』を開発した岩手県立大学の伊藤史人さんの協力を得て、視線入力や遠隔操作を導入。打つタイミングの信号を球場の装置が受信し、バットが回転する仕組みです」

子どもの可能性を広げる「ウルトラ・ユニバーサル野球

 ベッドに寝たままでも参加できる大会が「ウルトラ・ユニバーサル野球大会」と名付けられ、2023年に第1回大会を開催。2チーム、計13人による1試合のみだったが、内多さんも実況担当として参加。本物の球場さながらのアナウンスで、ネットでつないだ会場を沸かせてひとつにし、選手や家族の笑顔を引き出した。

 その後、大会は第2回、第3回と回を重ねるごとに規模を拡大。難病や重度障害のある子どもたちに加え、きょうだい児も参加し、選手登録者は130人を超える。大会にはプロ野球出身者がゲストとして登場するなど、注目も高まっている。

 そして現在、内多さんは第三のステージへ。「もみじの家」を定年まで勤め上げたあと、2025年に一般社団法人を立ち上げ、現在は「ウルトラ・ユニバーサル野球」をさらに盛り上げるべく、その運営を中心とした活動に力を入れている。

ありがたいことに試合数が増え、1人で実況するのは限界が近づいています。将来的には、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のような世界大会を開催したいですね」

 これまでスポーツをしたことのなかった子どもが、自分の力でバッティングをする。チームで目標を達成する喜びや、負けて「悔しい」と感じる気持ちを知る機会にもなっている。こうした経験は、子どもたちにとって、かけがえのないものだ。

 内多さんは、野球を通じて楽しい時間を過ごすだけでなく、それらの体験が子どもたちの未来へとつながると考えている。

「視線入力でパソコンを使いこなせるようになると、意思表示やコミュニケーションの手段が広がるうえに、将来の就労の可能性も広げます」

 医療の進歩が子どもたちの命をつないだように、テクノロジーの進化は、未来を切り開く力を持つ。

まずは、医療的ケア児の“今”を知ってもらうことが大切だと思っていますが、そこで止まらず、可能性の大きさも伝えていきたい。彼らの日常が、私たちの日常と地続きである社会を目指したいですね。環境や支援が整えば、社会に参加できる人はもっと増えるはずです。また、地域で格差が生まれないことも重要だと考えています」

 同じ社会に生きる仲間として、共に働き、共に野球を楽しむ日々。ベッドの上で“バットを振る”子どもたちの姿は、その未来がもう始まっていることを教えてくれる。

取材・文/小林賢恵

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