【カーリング】吉田知那美、今だから明かす五輪争い中で宣言の「負けられない理由と勝つ理由」

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2026年05月06日 06:00  日刊スポーツ

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真剣な表情でインタビューに応える吉田知那美(撮影・水谷安孝)

カーリング女子で元ロコ・ソラーレの吉田知那美(34)が、ミラノ・コルティナオリンピック(五輪)代表争い中に決して明かさなかった「負けられない理由」について話した。このほど都内で日刊スポーツの取材に応じ、「種明かしじゃないですけど…」と切り出した。


25年9月に北海道稚内市で行われた五輪日本代表決定戦。開幕前、スキップ藤沢五月(34)が会見で「私たちには負けられない理由と勝つための理由がある」と言った。その理由は「秘密です。大会が終わってからお伝えします」とだけ話した。


ロコ・ソラーレは三つどもえの代表争いに敗れ、五輪を逃した。敗退決定後、吉田は藤沢とともに涙を流しながら取材に対応。結局、「内緒です」と明かさないまま、大会を去った。


「負けられない理由」について「このメンバーで戦う最後のオリンピックトライアルになるということが分かっていた。五輪に金メダルという忘れ物があるから、それを取りに行こうというのが、私たちが絶対に負けられない理由だった」と明かした。


吉田は24年からロコ・ソラーレ退団について考え始めていた。最終的に決断し、藤沢らチームメートに伝えたのは25年5月。ミラノ・コルティナ五輪シーズンが始まる前だった。当時について「(鈴木)夕湖ちゃんが『寂しいけど、いっぱい思い出作ろう』って言ってくれた。全然悲壮的ではなく、やってやるぞっていう雰囲気だった」と振り返る。その瞬間からチームには負けられない理由ができた。


「勝つための理由」についてもチーム内で共有していた。


チーム名のロコ・ソラーレは、地元の北海道北見市常呂町から「常呂っ子」と「ローカル」を意味する「ロコ」とイタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」が由来。発案者は小野寺亮二監督だった。「最初はロコは英語なのに、なんでイタリア語なんだって思っていた」と吉田。ミラノ・コルティナ五輪の開催地はイタリア。「イタリアで金メダルという太陽を取りに行くっていう伏線回収だねってなった」と説明した。


思い描いていた物語は実現できなかったが、後悔はない。新たな道を歩き始めている。【保坂果那】


<吉田知那美の五輪>


◆14年ソチ五輪 13年12月の世界最終予選ではリザーブで出場なし。本番ではセカンド小野寺佳歩が開幕前にインフルエンザに感染し、代わって出場。1次リーグ9戦中8戦に出場。4勝5敗で準決勝進出を逃し、10チーム中5位だった。五輪後、北海道銀行から戦力外通告を受けて退団。


◆18年平昌五輪 本橋麻里の誘いを受けて14年に加入したロコ・ソラーレで、17年の日本代表決定戦で中部電力を下して五輪出場権を獲得。本番ではサードとして銅メダル獲得に貢献。1次リーグを4位で通過し、準決勝で韓国に敗れ、3位決定戦で英国に勝利して日本初のメダルを手にした。


◆22年北京五輪 21年の日本代表決定戦で北海道銀行(現フォルティウス)に2連敗からの3連勝で五輪最終予選出場権を獲得し、吉田としては3大会連続の五輪行きを決める。本番では1次リーグ5勝4敗で4位通過。準決勝でスイスに勝利し、初進出した決勝では英国に敗れ、銀メダルを獲得した。


◆26年ミラノ・コルティナ五輪 25年の3チームによる日本代表決定戦にチームとして「負けられない理由と勝つための理由がある」と宣言して臨むも、代表権を獲得できず、五輪出場を逃す。すでに吉田が退団の意向をチームメートに伝えており「(このメンバーで)最後だって私たちしか知らなかったけど、絶対に負けたくなかったのは、五輪に金メダルという忘れ物があったから」(吉田)。


◆吉田知那美(よしだ・ちなみ)1991年(平3)7月26日、北見市常呂町生まれ。小学2年からカーリングを始める。網走南ケ丘高卒業後、カナダ・バンクーバーに留学。11年北海道銀行入りし、14年ソチ五輪出場。同年ロコ・ソラーレ入り。22年7月に全日本スキー連盟アルペンのコーチを務める河野恭介氏と結婚。3姉妹の次女で、妹はロコ・ソラーレ吉田夕梨花。

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