挿絵/小指―[すこしドラマになってくれ〜いつだってアウェイな東京の歩き方]―
ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回の舞台は、桜上水の油そば屋「あぶら〜亭」。同行者の“常連力”があまりに常軌を逸し、注文もしないのに餃子やつまみが次々運ばれてくる。憧れの「常連」の、さらにその先を目撃した著者は、大人の社会科見学のような夜に呆然とする。願いは今日も「すこしドラマになってくれ」
◆常連を超えた先で【桜上水駅・あぶら〜亭(油そば屋)】vol.38
食に興味がない、と方々で言い続けてきたが、好きな食べ物はそれなりにある。
油そばは、なかでも別格である。
私は汁物が好きではないので、ラーメン屋に入ってもスープをほとんど口に入れずに店を去る。
つけ麺も、わざわざスープに麺を浸す行為がかなりダルいと思っている。
そんな私にとって、油そばほど都合の良い料理は他にない。人間はよく「人生最後の晩餐」について妄想すると思うが、このままいけば私は、死ぬ前夜に油そばを選ぶ。どうせ翌日に死ぬのなら、胃もたれを気にせずに好きなだけ油そばを食べてみたいからである。要するに、とても好き、ということである。
ある日、いつものように油そばへの偏愛を語っていると、担当編集が言った。
「老舗の油そば屋があるんですけど、友人がお店の常連客なんです。よかったら一緒に行って、常連の待遇ってやつを味わってみませんか?」
油そば屋の、常連?
憧れはするものの、ちょっぴり恥ずかしい気がするのは、なぜなのだろうか。私が自宅近くのコンビニで「ぶぶか」の油そばのカップ麺を買いすぎて「ぶぶかさん」と陰で呼ばれていないか心配になっているからだろうか。
しかし、油そばを食べられるならば、断る理由はない。私は担当編集に連れられて、世田谷区の桜上水駅に降り立った。担当編集のご友人だというAさんもすぐに合流し、穏やかな商店街を歩いて、目的地の「あぶら〜亭」に向かう。古い看板の前に、すでに10人程度の列ができていた。
都内の油そば店はカウンター席のみのところが多いが、「あぶら〜亭」はテーブル席も5つほどある。窓から店内の様子を覗くと、家族連れと思われる客も見えた。
「常連っていうか、ご近所付き合いみたいなもので。店主のお子さんが、うちの子と同じ学校なんですよ」
15分ほど待ってテーブル席に案内されると、Aさんが照れくさそうに言った。謙虚で優しい人だと思った。しかし、Aさんが話している間に、テーブルの上では不可解なことが起きている。まだ何も注文していないはずなのに、焼き餃子が運ばれてきたのだ。
「列、待たせちゃったから。ごめんねー」
店主が、朗らかな笑顔でAさんに告げた。その脇から別の店員がやってきて、今度はチャーシューや煮卵を複数のせた小皿を置いていった。
「どういうことです……?」
つまみで狭くなったテーブルを見て、Aさんに尋ねた。
「いつも、よくしてくれるんですよ」
またしても照れた様子でAさんは言う。しかし、勝手に料理が出てくるなんて、常連力(じょうれんりょく)が常軌を逸しすぎているのではないか。
「そんなに頻繁に通っているわけじゃないんですけどね」と謙遜するそばから、続々と酒やつまみが運ばれてくる。もはや常連を通り越し、どこかの王族のようである。
お店と王のご厚意に甘えて、私も酒とつまみを楽しみ、念願の「あぶら〜麺」を食べる。塩味が強く前に出るが、これがなかなか美味しい。やっぱり油そばだなあ、としみじみ思う。しかし、今夜はそれ以外の情報量がやけに多い。
もてなしの精神に溢れすぎた店員たちと、常連王の寛大さを見ながら、終電近くまで長居した。常連になりたいと願ったことはあったが、まさかその先が存在することは知らず、大人の社会科見学に参加した気分だった。帰り際、店を見ると、古い看板が王宮のカムフラージュに思えた。
自分が知らないだけで、きっと、王宮はいろんな場所にあるのだ。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
※週刊SPA!2026年3月24日・31日合併号より
―[すこしドラマになってくれ〜いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」