
「将来の夢は? と質問されたら山のようにあると思います。
いまから10分間、好きなこと、やりたいことを、ワークシートに書けるだけ書いてください!」
7月の土曜の昼下がり、東京・お台場にある日本科学未来館で、「自分の夢で未来を創る」と題したワークショップが開かれた。
日立財団主催「理工系女子応援プロジェクト」の一環で、参加者は中学生と保護者で50人近い。
「何を書いてもOKです。行ってみたい場所、会ってみたい人。さあ、いくつ書けるでしょうか?」
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芯の通った明るい声を張り上げているのは手塚麻里さん(41)。
「こどもCandy」代表取締役社長で、3児の母でもある。
お台場でのワークショップは、日立財団の依頼で、理工系を視野に入れる生徒のために企画されたこども万博の「特別編」だった。
「夢」を書き出している生徒たちの手が、止まらなくなっている。
「あっ、10分計るの忘れてました。あと3分、オマケ!」
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ハハッと豪快に手塚さんが笑う。
「さあ、何コ書けましたか? 10コ、20コ……えっ、50コ書けた子がいるの? すごい!」
室内が拍手に包まれると、手塚さんはこう付け加えた。
「みんなも自分自身に拍手を!」
こんなふうに同じ空間を共有できる「こども万博」を、いったいいつ、どうやって着想したのだろう?
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「どんな夢も言うのは自由ですが、実際、言い出せない子が多くいることを知りました。
言いやすい環境さえ作ってあげれば、子どもの可能性はどこまでも広がるはずだと思ったんです」
そして一息ついて、告白した。
「じつは私、高校生のころ、家出少女でした。“ホームレス高校生”だったんです」
■母と夜逃げ。当時の家に帰りたくなくて高校生で“ホームレス”状態に
手塚麻里さんは1985年4月23日、母方の実家がある長崎市香焼町で生まれた。2人兄妹の妹だ。
父の仕事の都合で3歳まで千葉県で過ごし、横浜市に引っ越した。
「いまでいうニュータウンで、周りの子は習い事に忙しい教育熱心なエリアです。
父は半導体を扱う会社の社員で、3歳のころ、ハワイ旅行に行った記憶があるほど、生活にゆとりがありました。私が小学校低学年のころに父は独立しています」
1998年に中高一貫の進学校・桐蔭学園中学校女子部(現・桐蔭学園中等教育学校)に入学。
このころに描いた将来の夢は「アフリカの自然保護区で、野生動物を保護するスタッフ」だった。
「そのスタッフになるには『獣医師免許が必要』と知りました。
そして中3のときに、北海道のホストファミリーのお父さんが亡くなりました。医師の到着を待っている間に亡くなったと聞かされ『将来は、鹿追町の医師になろう』と思ったんです」
夢が見えてきた手塚さんが突然の悲劇に見舞われたのは2001年9月、高校1年生のときのこと。
「父が、仕事で大きなトラブルに巻き込まれたんです」
それにより、両親は離別。母、兄と手塚さんは「夜逃げ同然に」横浜市の自宅を出て、都内の母の親戚宅に身を寄せた。
「身一つで家を出てきたようなもので、家賃も出せず、居候状態でした。それでも、親切にしてもらっていたんですが……」
中高一貫の桐蔭学園も「やめざるをえないと覚悟した」という。
担任に退学の意向を伝えると、「理事長にも報告してください」と言われ、理事長室へ。
そのとき故・鵜川昇理事長に言われた一言は、想定外だった。
「あなたが学校にいたいと思えば、卒業まで通っていいですよ。学費は免除します」
真剣な表情で諭す理事長の言葉を、手塚さんはいまも忘れない。
「卒業後も、お金を返そうとは思わないでください。
もし恩返ししたいとの思いがあるなら、社会人になって、あなたのような状況の子たちの力になってください」
「母はバイトしながら、掛け持ちできる仕事を探しにハローワークに通いました。兄は母の相談相手になりながら、受験勉強を。
私はというと、母と面と向かえば『ごめんね』と謝られるばかりで、いたたまれなかった……」
高校退学は免れたものの「心は空虚だった」と手塚さんは明かす。
「高校の学費も払えないんだから、大学の医学部には行けない=医師になれないのは見えていました。
母は『自分のせい』と謝るんですが、私は『謝って解決する問題じゃない』という思いがあって」
それから公園通いが日課になり、毎日、ちょっとずつ家に帰るのを遅くしていきました」
夕食どきを過ぎても「図書館が20時までだから心配しないで」と告げて、帰宅時間を延ばした。
以来、いろんなホームレスの人と話をして公園で過ごした。
ある夜、中年女性から「いつもいるねえ。家出したんかい?」と問われ「そんな感じですかね」。
寒さをしのぐ方法を教えてもらい「仲間入りできた」気がした。
「母に『友人宅に泊まる』と断っておいて、朝帰りも増えました」
翌春には、上野公園にも足を運ぶようになっていた……。
その夏ごろ、母の収入のめどが立ち、神奈川県大和市で2LDKの一戸建てを借りられることに。
まだ家具も入れていない殺風景な洋室に、母はゴロンと寝そべって、こんなふうにつぶやいた。
「やっと家ができたね。やっぱり家っていいね……」
その一言に、心から安堵した。
「母はフーッと一息ついて、ホッとした顔になりました。それを見て、私も『よかったなあ』と」
それをもって、家出少女は帰還した。手塚さんは“ホームレス生活を卒業”したのだ。
2011年11月に、会社員の手塚一浩さん(45)と26歳で結婚。
長女・理音さん(12)、長男・浩翔くん(10)、次男・悠真くん(7)と、3人の子宝にも恵まれた。
「すっかり手狭になった」手塚家は「家族旅行に行って気に入った」神戸市に2019年2月に引っ越し。
その3階建ての一戸建て住宅が、「こども万博」の出発点となる。
■計128コの「やりたいこと」が原点。スピーチ大会から発展してこども万博に
「牛乳こぼしちゃったの!」
「わぁ〜、じゃあ、みんなできれいにしてみようか?」
神戸に越してほどなく、手塚家の1階の洋室は、午後に近所の子たちが集まる遊び場になっていた。
次第に親も訪れて情報交換するようになり、サロン状態に。
「ウチは子ども3人でにぎやかですし、オープンでしたから、みんな来やすかったんだと思います。
そのうち夕食まで食べて帰る親子も出始めて、週末には7人くらいが寝泊まりするようになって」
未就学児から小学校低学年までが集まれば、習慣ができてくる。
その一つが子ども同士の「お片付け」であり、また、手塚さんが親とやり取りする「レポート」になる。
「お子さんの様子を『今日はこんなことがありました』と書いて、報告していました。それを読んだ親が『そんな表情、ウチでは見せないですよ』とビックリしていた。
いっそのこと親子で、何かできれば素敵なんじゃないかと思いました」
ある日、子どもたちに「夢」を聞くと「言いたくない」「言ってもかなえてくれないじゃん」。
ようやく答えた子は「お父さんが医者になれって言う」と。
そこで「やってみたいことは?」と聞くと「いっぱいあるよ!」。
「大きなスライムを作りたい」「好きなお菓子を山ほど買う」「お風呂サイズのゼリーに入って、ずっと食べてみたい」……。
「それを付箋に書き出して、ぜんぶ壁に貼り出しました。12人の子たちで、計128コのやりたいことが集まったんです」
それが2020年2月、コロナ禍が始まる直前のことだった。
「コロナが終わるまでに何コできるか、やってみようか?」
たとえば、お風呂サイズのゼリー作り。
「大量に作ったんですが、冷蔵庫に入らず、固められなくて失敗。その子も、『ゼリーに入ったらゼリーが汚れちゃうし、冷蔵庫に入ったら私も固まっちゃう』っていうことに気がついたんです」
近所の製パン店にレシピをもらって、パンを焼いてみたことも。
「コロナ禍でしたが、消毒予防はしたうえで、『マスクを外していいよ』と。親にも『自己責任でよければ』と理解してもらいました」
そんな日々が、丸2年続いた。
「私が気がかりだったのは、当時の小学1〜3年生が、コロナ禍で学校のイベントが経験できなくなってしまうこと。
高学年になれば、受験する子は受験態勢に入ってしまうので、低学年のうちに、みんなで参加するイベントを経験しておかないと、もったいないと思いました」
そこで発想したのが、30人ほどの大人数が一堂に会して発表するスピーチ大会の開催だった。
「やるならキチンとした形をということで、信用を得るため2022年5月に株式会社を設立しました」
それが「こどもCandy」で、もちろん社長業も初めてのこと。
旗揚げスタッフは、ママ友などのつてから3人に依頼し、各自と業務委託契約した。
4年前の2022年9月、神戸市で初めて「こども万博」を開催、1千500人が集まった。以後、他県でも行い、注目される。
そして2025年、EXPO2025大阪・関西万博のフィナーレに出展。2日間で計2万4千人が来場した。
手塚さんの原点は、小学生時代に過ごした北海道鹿追町での2年間にある。
「私が住んでいた瓜幕地区は人口500人ほどで、大人も子どもも全員顔を知っている。誰にでも挨拶するのが当たり前で、『大人はどのウチの子でも??る』町でした。
子どもがもめれば、親もみんなで解決する。地域で育てているというコミュニティでした」
北海道での原体験、新宿のホームレスとの日々、そして128コの夢、すべてが今日につながっている。
高校1年生のとき、鵜川理事長に託された「あなたのような状況の子たちの力になってください」。この言葉の力強さと恩を忘れずに、こども万博をライフワークとして続けていく。
「大人の損得勘定は、『子どもの夢を応援する』こととは無縁です。逆に言えば、大人が子どもを応援する世の中なら、みんな協力して、できることに全力で取り組める。
こども万博で子どもが夢に向かい、大人は大切なことに気づく。みんながみんな、胸を躍らせる。そんな世界平和もあるって、本気で信じています」
夢を書き出す手塚さんの手は、止まりそうもない。
その数が増えるほど、それに向かう子どもと、応援する大人たちの輪が広がっていく。
ワクワクが止まらない。
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】元ホームレス高校生が主宰する「こども万博」で描く、世界が少し平和になる未来へ続く
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