
【連載】元ホンダ・浅木泰昭
「F1解説・アサキの視点」第18回(後編)
◆第18回・前編>>ホンダは「普通の会社」になってしまうのか
2026年、ホンダはアストンマーティンと組んで第5期のワークス活動をスタートさせた。しかし開幕から苦戦が続き、この秋にはパワーユニット(PU)の開発責任者交代を発表した。
ホンダの失敗の本質について、元ホンダ技術者でF1解説者の浅木泰昭氏は「パワーがないこと」と断言する。では、ホンダがライバルに追いつき、再びトップに立つためには、何が必要なのか?
ホンダの第4期F1活動で開発リーダーを務め、どん底にあえいでいたプロジェクトを立て直し、頂点まで導いた浅木氏に話を聞いた。
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今シーズン、ホンダのPUが苦戦している原因は「パワーがないこと」です。それはホンダの開発陣も十分にわかっていると思います。他社のマシンと加速度を比較すれば、自分たちの実力が自ずとわかります。高校の物理で習う簡単な計算式で、ほぼ説明できるんです。
「F=ma」
これはニュートンの運動方程式で、「F」は力、「m」は質量、「a」は加速度を表します。F1ではGPSのデータを使って他社の加速度を調べていますが、加速度「a」がわかると、質量(マシンの重さ)が同じであれば、ライバルとの駆動力の差が見えてきます。さらに速度などを加味すれば、馬力がだいたいどれくらい負けているのかを推定できます。
自分たちの馬力はベンチテスト(台上試験)で測定していますので、それに対して何%負けているのかがわかったら、ライバルの馬力はほぼわかります。もちろん、数式で「m」にあたる質量(マシンの重さ)が自分たちとライバルとの間でよっぽど違えば具体的な数字は出てきませんが、F1はレギュレーションで最低重量が定められています(2026年シーズンの最低重量は768kg)。
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自分たちのマシンが最低重量と比較してどのぐらい重いのかはわかっていますし、他チームのマシンの重さも噂で伝わってきます。それをもとに「m(質量)」の数字を補正して計算すれば、ライバルと自分たちの力関係がわかります。
【急いでADUOを使った理由】
おそらく2027年シーズンに投入するエンジンの馬力もすでに測っているはずなので、そうすると来年はどれくらいの角度(ペース)でパワーを上げていけばライバルに追いつくのか──という開発計画を立てることができます。
そうこうしていると、「フェラーリがまたパワーを上げてきて、このままの計画では来シーズンも差が縮まらない。メルセデスもパワーが上がってきている......」という情報なども入ってくるので、開発計画を再度調整していくことになります。
ここからは私の推測ですが、2027年シーズンのPUの様子が見えてきたところで、「このままの開発スピードでは、いつまで経ってもライバルに追いつくことができない」とホンダは判断したのではないでしょうか。それで「PU開発責任者の交代」を決断したと思っています。
今シーズン導入された新システム「ADUO」(追加開発・アップグレード機会)を活用して、ホンダは第12戦のオランダGPでアップグレードしたPUを投入しました。その際、ターボエンジンの特性を決めるA/R比(スクロール流路の断面積と、タービン軸中心からその断面の重心までの距離との比)を変えたと、私は推察しています。
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A/R比が大きくなると、最高出力を出しやすいのですが、ターボラグが大きくなり、レスポンスは悪くなります。逆にA/R比が小さくなると、最高出力は出にくくなりますが、トルクやレスポンスがよくなります。
おそらく、ホンダはパワーを上げるためにA/R比を大きくする方向でアップデートしたけれど、ターボラグが大きくなり、ドライバビリティが悪化した。それを解消するために、急いで2回目のADUOを使って第14戦スペインGPでターボチャージャーを変更したと思っています。
そうすると、A/R比を変更してパワーを上げたけれど、ドライバビリティを向上させる改良をしたことでパワーは相殺されて、結果的にはほんのちょっとしかパワーアップしていないのかもしれません。
【世界一までの道は暗中模索】
私の見立てでは、十分な高速燃焼が実現できず、パワーが出ていないことが、そもそもの問題なのです。それをA/R比を変えて何とかしようとしても、失敗しますよね。まずはライバルに負けないぐらいのパワーを発揮する高速燃焼を実現させることが先決だと思います。
そのためには、ライバルに比べて何で負けていて、どこを直せばいいのか──。そこをしっかりと分析して、燃焼の担当者ととことん話し合わなければなりません。もちろん話し合っても、「これが原因だ」と担当者全員の答えが一致しない場合もあります。
そういうなかでリーダーは、どうやって光を見出していくのか。世界一を目指して開発するのは、闇のなかを手探りで進んでいるような感じです。まさに暗中模索です。本当に苦しいですし、「このまま一度も勝てないのではないか」と不安に取りつかれることもあります。
きっとそれは、オリンピックで金メダルを目指すアスリートの心情に近いのではないかと私は想像します。「この練習方法で本当にいいのか?」「自分の肉体そのものが本当に世界一にふさわしいのか?」と考え、自分を見つめながら暗中模索していくんだと思います。
「自分の肉体を鍛えていけば世界一になれる」と迷いなく信じているアスリートもいるかもしれませんが、そういうタイプばかりじゃないと思います。結局は自分で考え抜いて、試行錯誤をしていくしかないと思います。そうやっているうちに、何となく答えが浮かんでくるのではないでしょうか。
技術者も同じだと思います。世界一を目指して開発していくのは苦しいことの連続ですが、自分たちの考えやアイデアが当たってチャンピオンになれば、それはこの上ない喜びなわけです。それが技術者の醍醐味だと思います。
チャンピオンシップを独走するメルセデスは10月下旬、テキサス州のサーキット・オブ・ジ・アメリカズで開催される第18戦アメリカGPにADUOを利用したアップデートを投入すると報じられています。
【ワークスの強みを最大限に利用】
メルセデスはチャンピオン争いの行方を見ながら、フェラーリとマクラーレンのどちらがライバルとして台頭してくるのか、様子を見ていると思います。どちらが出てきた時に、どういうタマで対抗するのが効果的なのかと考えているはずです。
もしマクラーレンが出てきたら、メルセデスは先に自分たちだけアップデートを入れるかもしれません。「カスタマーであるマクラーレンは数戦、アップデートを待ってください。準備が間に合わないので」という嫌がらせのような動きも、当然選択肢として考えていると思います(笑)。
実際にやるかどうかはわかりませんが、そういうことをやろうと思えばできるということです。どんな順番でアップデートを入れるかは、ワークス側が決めることですし、自分たちにとってよりアドバンテージになるような改良もやろうと思えばできます。それがワークスですし、メルセデスがそういうことをやらないチームとは、私には見えません。
アップデートを入れなくてもチャンピオンになれると思えば、本当にやりたいアイデアは来シーズンに向けて隠しておいて、ほとんど変更していないPUを出してくるかもしれません。
ライバルとのポイント差を見ながら、「これは隠しておいたほうがいいな」となるのか、「これを出さないと、万が一やられるかもしれない」となるのか。どちらに転んでも対応できるように、アップデートの中身を調整していると思います。私だったらそうしますし、きっとメルセデスも同じようにしているでしょうね。
いずれにしろ、チャンピオン争いのすごく重要なシーズン終盤に、カスタマーより先に、自分たちのワークスチームのPUをアップデートできる権限を、手の内にしっかりと持っている。そういう意味でも、メルセデスはさすがですね。
(第19回へつづく)
【profile】
浅木泰昭(あさき・やすあき)
1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在はF1コメンテーターとして活躍。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。
