下坂厚さん(53)46歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された下坂厚さん(53)。病気の進行を恐れ、20年以上働き続けてきた魚屋の仕事を退職し、ローンが残っていた自宅も手放した。
診断から約7年。「認知症になった今の人生も悪くない」と語る下坂さんに、現在の生活について聞いた。(記事は全2回の2回目)
◆予定を忘れないようにスマホのアラームやリマインダーを工夫
――下坂さんの場合は、どのような認知症の症状が出ていますか?
下坂:やっぱり、何でもよく忘れます。本当に。今日の取材予定も忘れてしまうので、スマートフォンのカレンダーやアラーム、リマインダーを使って忘れないようにしています。
最初は一生懸命メモに書いていたものですが、メモ自体をなくしてしまったり、「これは何のメモだったかな」とわからなくなったりしたんです。だから今はスマートフォンに記録するようにしています。
――仕事中に数をかぞえたりするができなくなったり、簡単な計算も間違えてしまうと言っていました。日常生活ではどのようにしていますか?
下坂: 診断前とまったく同じ生活ができるわけではないので、いろいろと工夫をしています。たとえば簡単な計算が難しいと、レジで支払うときに困るんですよね。店員から「いくらになります」と言われても、財布からお金を出すのに時間がかかって間違えたりする。今はなるべく電子決済を使っています。最近は自分でお金を入れるタイプのレジも増えていますよね。あれもありがたいです。小銭を多めに入れても、お釣りをちゃんと返してくれるので(笑)。
――ほかにも、困ったりすることはありますか?
下坂:日付けや曜日、季節など時間の感覚があいまいになることもあります。暗くなってきたので、夜なのかなっていうのはわかるんですけど。日記も書こうと思ったけれど、忘れないようにするためってなると面白くない。今はInstagram に投稿することで、日記代わりにしています。画像をアーカイブすることで、「このときはこういうふうに思っていたんだな」って記憶が残せるんです。
――車の運転などは、病気になる前はしていましたか?
下坂:小型バイクの免許を持っていました。二人乗りできるスクーターだったので、よく奥さんを乗せて買い物に行っていました。でも診断を受けてからは、医者や妻からも「もうバイクには乗らないでね」と言われましたね。今はバスターミナルの近くに引っ越したので、バスで移動しています。
――できなくなることが増えていくなかで、奥さんはどのように接していましたか?
下坂:診断を受けたばかりの頃は、妻は僕を心配するあまり先回りして身の回りのことをしてしまうことがあった。本当に「介護する側」と「される側」みたいになっていました。でも周囲にすべてを代わってもらえばいいわけでもないんです。僕は「できることはまだまだある」と考えていたので、自分でできることは何でもしたいと伝えました。それからは妻も「やりすぎていたんだ」と気づいたみたいで、程よい距離感になりましたね。
◆収入は減ったが、「認知症になった今の人生も悪くない」
――最初に診断されてから7年が経って、認知症に対する考えも変わりましたか。
下坂:最初の頃は、よく忘れるし、いろいろなことに失敗するので、すごく不自由になったと感じていました。経済面でも、魚屋で働いていた頃より収入はだいぶ少なくなりました。それこそ、起きたことを全部マイナスに捉えていました。だんだん認知症というものを受け入れられるようになって、「認知症になったから気づけたこと、得られたものもあるよね」と思えるようになったんです。
――そのように考えるようになったきっかけはありましたか?
下坂:確かに失敗したり間違ったりと、病気が進行することでできないことも増えていきます。でも、まだまだできることもある。「人生、終わりじゃないよね」ということを、病気になって知りました。魚屋で忙しく働いていた頃も、それなりにいい人生だったと思います。でも、今の人生も悪くない。小さなことに感謝したり、感動したりできるようになりましたから。そういう意味では「認知症になってよかった」と思えるのかもしれません。
――認知症かもしれないと気づいても、受診をためらう人もいると思います。
下坂:「おかしいな」と思っても受診につながらないのは、認知症というものに悪いイメージが大きいからだと思います。「もしも認知症と診断されたら怖い」と思って、病院に行かないひとも多いかもしれない。その気持ちもわかります。でも、診断が出る前と後で、急にできることと、できないことが変わるわけではないんです。認知症の診断を受けても、10年経ってあまり変わっていない方もいます。個人差はありますけれど、早く受診して診断を受けることで、その後の選択肢はだいぶ変わってくると思います。
――現在も治療は続けていますか?
下坂:進行を緩やかにするための薬を毎日服用しています。だいたい2か月に一度通院しています。子どもたちは成人しているのですが、認知症だからと特別扱いはしてこないですね。今までと変わらず、家族として接してくれている。それはありがたいですね。
◆「死んだ方がマシ」と思ったから、生きる意味が強くなった
――「死んだ方がマシ」と考えるほどつらかったそうですが、そこから認知症を受け入れられるようになったのは、どうしてだと思いますか?
下坂:また働けたことも大きいです。あとは自分以外の認知症の当事者や家族、支援している方たちとつながっていくことで、同じ認知症でも頑張っている人がいるんだと奮起できた。自分も頑張らないといけないと思うようになって、気持ちもだいぶ前向きになりました。不思議なんですけど、「死んだ方がマシかな」、「死にたい」と思ったところから、逆に「生きる」という意味がすごく強くなっていったんです。落ちるところまで落ちた。あとは上がっていくしかないと考えるようになった。周りを見渡したら、まだ自分にできることもあるし、持っているものもある。それからちょっとしたことに感謝したりできるようになりました。
◆「認知症の人は、支えられるだけの存在ではない」
――病気になって一番、変わったことは何でしたか?
下坂:ディメンシアギフト(認知症がもたらした贈り物)という言葉を使って、自らの経験を発信するようになったことです。がん患者の方が使っていたキャンサーギフト(がんがもたらした贈り物)という言葉から着想を得ました。SNSでの発信のほか、講演活動にも取り組んでいます。その根底にあるのは、「認知症=人生の終わり」というイメージを変えたいという思いからです。認知症の人も何かを生み出すことができるし、働くことももちろんできる。認知症になっても終わりじゃない。認知症になっても、まだまだ人生は続くんです。
僕自身も、認知症当事者だからこそできることを、もっと探していきたいと思っています。
【下坂厚】
1973年生まれ。京都府在住。20年以上にわたり鮮魚店で働いていたが、2019年、46歳のときに若年性アルツハイマー型認知症と診断され、退職。認知症と診断された後は、デイサービスで介護職として働いていた。現在は自身の経験をもとに、SNSや講演活動を通じて、認知症になっても自分らしく生きられることを発信している。Instagram:@atsushi_shimosaka
<取材・文/池守りぜね 写真提供/下坂厚>
【池守りぜね】
出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration