日本人女性がルワンダで20年以上義足を無償提供 コロナ禍でも負けない原動力

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2020年07月28日 17:00  AERA dot.

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写真20年以上にわたってルワンダで義足や義手などを無償提供し続けているルダシングワ真美さん(中央)。現地で義肢装具士も育成している(写真:ルダシングワ真美さん提供)
20年以上にわたってルワンダで義足や義手などを無償提供し続けているルダシングワ真美さん(中央)。現地で義肢装具士も育成している(写真:ルダシングワ真美さん提供)
 アフリカで延べ1万本以上の義足や義手を作ってきた日本人女性の活動が窮地にある。 でも、活動を止めることはない。これまでも困難を乗り越えてきたのだから。AERA 2020年7月27日号で掲載された記事を紹介。

【写真】ショベルカーで壊された義肢製作所はこちら

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 1994年に大虐殺が起きたアフリカ中部のルワンダで、手足を奪われた人たちのために20年以上も義足や義手などを無償で提供し続けてきた日本人女性がいる。神奈川県茅ケ崎市出身のルダシングワ真美さん(57)だ。これまでたくさんの困難に直面してきたというが、この1年は特に試練が続いている。洪水の被害や政府による義肢製作所の強制撤去。再建資金を集めるための講演活動も、新型コロナの影響で次々に中止となった。それでも「必ずや復活するので見ていてください」と笑顔で話す真美さん。活動の原動力となっているものは何か──。

 真美さんは、日本で働いていた89年に、「単調な生活から逃げ出したい」とアフリカ・ケニアへ語学留学した。そこで出会ったのが、のちに夫となるガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(65)。紛争が続くルワンダから逃れてきていた難民だった。留学を終えて日本に帰った後も文通を続け、結婚した。

 真美さんが義肢づくりを学んだのは、右足が不自由になったガテラさんの装具を自分で作りたいと思ったことがきっかけだ。92年から約5年間、日本の義肢製作所で修業を積み、ガテラさんとともにNGO(非政府組織)「ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を設立。97年にルワンダに義肢製作所を開いた。

 ルワンダは、植民地支配によって民族が憎み合う構造がつくられ、94年の虐殺の際には100万人ともいわれる犠牲者が出た。ガテラさんは国外に逃れて無事だった。だが、1年後にルワンダを訪れた真美さんの目に映ったのは、鉈(なた)や斧(おの)で切り落とされたり、手榴弾(しゅりゅうだん)で吹き飛ばされたりして手足を失った人が町中にあふれる様子だった。義肢や装具の必要性を強く感じたという。

 プロジェクト名につけた「ワンラブ」は2人の大好きなミュージシャン、ボブ・マーリーの曲にちなんだものだ。ワンラブのホームページには「分けられてしまった国民が争うことによって、多くの血が流されました。そんな悲劇が2度と起こらないように願いを込めて、私たちは『ワンラブ─ひとつになって愛し合おう』と言う名前を付けました」と書かれている。

 日本に帰った真美さんは、約300カ所ある義肢製作所すべてに手書きの手紙を送り、使わなくなった義足を提供してもらうよう協力を求めた。資金集めにも奔走した。

 ルワンダで義肢製作所を開くと、評判を聞きつけた人たちが次々に訪れた。だが、日本で修業していたときとは違い、ルワンダでは材料も手に入りにくい。真美さんたちはある材料で工夫して義足を作り続けた。そうして現在までにルワンダで延べ8千人以上、隣国ブルンジで延べ3千人以上に義足や義手などを作って無償で提供。現地で義肢装具士も育成した。義肢製作の資金は、日本での講演やイベントなどで寄付を呼び掛けて集めたほか、義肢製作所の隣にレストランやゲストハウスを建てて収入を得ていた。

 それが一変したのが昨年のクリスマスだ。その日、真美さんはガテラさんから初めて花束をもらった。以前、「花をもらったことがない」と言っていた真美さんの言葉を覚えていた夫からのサプライズだった。だが、幸せな時間は長くは続かなかった。数時間後には大雨で川があふれ、義肢製作所が浸水。赤いバラの花束も泥水に浸かって、枯れてしまった。義肢製作のための機材の被害はそれほどではなかったが、活動の資金源となっていたレストランやゲストハウスが壊滅状態になった。

 年が明け、今年1月末にルワンダ政府から突然立ち退きを命じられた。この土地に水害の危険があることが理由だという。政府が用意した代替地は街から離れた山の頂上で、足の悪い人たちが来られないため、義肢製作所にはふさわしくない。「もう少し時間が欲しい」と政府側と交渉したが、その翌日にはショベルカーがやってきて建物を強制的に壊していった。真美さんたちは義肢製作に必要な機材を運び出すので精いっぱいだった。

 現在のワンラブは自宅として借りた一軒家にあった物置を改装した仮設の作業所で細々と義足づくりを続けながら、ガテラさんが親戚から譲ってもらった別の土地に新たな義肢製作所を建てている。少しでも建設費用を安くあげるため、セメントを買ってきて自分たちでブロックも作る。

 真美さんは資金を集めるために3月1日、日本に一時帰国した。講演会やイベントを100件近く予定していたものの、新型コロナの影響でほとんどが中止になった。大勢の人が経済的に打撃を受ける中、自分たちの活動を支援してほしいと呼びかけるのははばかられ、活動は追い込まれている。

 短期間に次々と苦難に見舞われながらも、真美さんは気を落とすことはなかったという。

「建物が壊されているときだって、どこに荷物を運び出そうか、トラックを何台借りようかと考えて、落ち込んでいる暇なんてなかった。この23年の経験で打たれ強くなっていたんだなって気づきました」

 真美さんにとって、すべての基本がガテラさんだという。

「出会った頃は単純に好きという感情で、彼のために義肢装具士の勉強をしたいと思ったけど、死と隣り合わせの状態を生き抜いてきた彼には、どんなしんどいことがあっても簡単に諦めるという選択肢がなく、不可能を可能にしてきた。いい意味で私を甘えさせてくれないんです」

 そんな2人が見つめているのが、来年開催予定の東京パラリンピックだ。

 実は2人は2000年のシドニー・パラリンピックで、ルワンダからの初出場の道を切り開くために尽力した経験がある。

 ルワンダに義肢製作所を開設してしばらく経った頃、義足がほしいとやって来た20歳の青年が、義足の完成を目前に自ら命を絶った。真美さんとガテラさんは、障害があっても前向きな気持ちを持つにはどうしたらいいのかと話し合う中で、スポーツで勇気づけられないかと思い立ち、国際パラリンピック委員会に手紙を書いて援助を頼んだ。するとシドニー大会に特別枠として出場しないかと提案を受け、国内で選考会を開催。ワンラブで義足を作った27歳の男性が、ルワンダからの初めての代表選手として水泳で出場を果たしたのだ。参加のための資金も自分たちで集めた。

「思い返すと、とても感動した体験だけど、同時に感じたのは、パラリンピックはお金持ちの大会だということ。競技用車いすや走るための義足がないと勝てないし、航空券も買わなければ参加できない。そのお金が出せない国は出られないんです」

 パラリンピックは近年、競技性が前面に押し出されるようになり、最新の技術を駆使した車いすや義足などを使用できる先進国の選手と、出場権を得るための国際大会への出場もままならない途上国の選手との間の格差が拡大しつつある。

「今は、パラリンピック出場や記録を出すことより、ルワンダで障害のある人たちに、運動もできるんだという意識を持ってもらう機会をつくりたい」

 ガテラさんは「レーサー」と呼ばれる陸上競技用の車いすを手に入れ、ルワンダでトレーニングに励んでいる。東京パラリンピック出場も目指してはいるが、それ以上に、このかっこいい車いすをルワンダの人たちに見てもらいたいという思いがある。次は、通称「板バネ」と呼ばれるスポーツ用義足で走る選手を誕生させるプロジェクトも計画している。

「障害のある人もない人も誰もが参加できる日本の運動会のようなものを、いつかやりたいですね」

(編集部・深澤友紀)

※AERA 2020年7月27日号

このニュースに関するつぶやき

  • なんか、よくわからない話。ルワンダ政府には良く思われてない気がするが、その理由も不明。義足完成する前に自殺した青年の自殺理由も不明。ゆるふわっとした物語だけ存在する記事。
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  • ルワンダ政府…自国民の為に無償で頑張る人にこんな仕打ちですか。単純に損得勘定で見ても損になると理解できないのでしょうね(;・ω・)
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