松本伊代、西村知美、大西結花がぶっちゃけ!'80年代“ムチャぶり”アイドル時代

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2020年08月30日 11:00  週刊女性PRIME

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左から松本伊代、西村知美、大西結花

 歌番組が全盛の'80年代、誰もが憧れたアイドルたちーー。時を重ねても、その輝きは変わらない。今でもプライベートで食事をしたり、イベントで共演するという3人が集まっての座談会。読んだらあなたも、“GO TO '80”!!

 “アイドル絶世期”ともいわれる'80年代。現在のようなグループでの活動は少なく、個人としてアイドルが光り輝いていた時代を駆け抜けた“スター”たちの中から今回、松本伊代(55)、大西結花(52)、西村知美(49)の3人が登場! デビューしたての10代、歌番組での思い出など、どんな話が飛び出してくる!?

“とりあえず10年”と
事務所に言ったら……

伊代私、デビューが'81年だから、来年で40周年を迎えるんですよ

結花知美「おめでとうございます!」

結花「でも40年って、信じられないです……」

伊代「ねぇ、信じられないよね……。こんなおばさんになるまでこの世界にいるとは思ってもいなかったし(笑)

知美「私、この世界に入ったとき、事務所の方に“とりあえず10年頑張ります”ってお話ししたんです」

結花「え、10年と具体的に言うことがすごい」

知美「そうしたら、“えっ? この世界に10年いられる自信あるの?”って(笑)」

伊代「あきれられちゃったんだ(笑)」

知美「2年目のジンクスって、デビューのときにすごく言われていて。私、映画出演と、その主題歌を歌ってデビューしたんですけど……」

結花「『ドン松五郎の生活』ですよね」

知美「そう! もしこの作品が当たらなかったら、私は干されると思っていて(笑)。映画に出ていたドッグトレーナーさんがすごくカッコよく見えたから、もし干されたら学校に行ってドッグトレーナーを目指そうって

伊代「そのお仕事が新鮮に見えたのね。私は当時、何も考えられなかったな。売れなかったら、シングルを1〜2枚くらい出させてもらって、それで終わりかなって。万が一、売れても結婚とかしたいし、旦那さんがダメって言ったらアイドル辞めるのかなとか。漠然とした感じでしか思ってなかったと思う」

結花「知美ちゃんみたいに、事務所からは何か言われました?」

伊代「事務所よりも、母から“一生できる仕事よ”って言われて。“頑張りなさい”って言われたけど、“ええ!? 私、一生働くの!?”って(笑)

結花「アハハハ(笑)。私、アイドルはすごくやりたいお仕事だったんですけど、別にやりたい仕事もあって」

伊代「え、そうだったんだ」

結花学校の先生になりたかったんですよ

知美「すごい! 何の先生に?」

結花「小学校の先生。だから、アイドルにはなれたけど、大学に行くくらいまではやろうかな、って。確か事務所にも4年間だけで、みたいなことを伝えていた気がします(笑)」

伊代「結花ちゃんは何歳でデビューしたの?」

結花「16歳です。だから20歳くらいまで、という感じで考えていたんですけど、気がついたらこんなに長く……(笑)。でも、こう聞くとみなさん“ずっとやっていく”という感じじゃなかったんですね」
 
 彼女たちのデビュー当時、新人にはいろいろなキャッチコピーがつけられた。ファンに対してそれぞれの個性を印象づけるためだった。その中には個性的なものもあって─。

伊代私は“瞳そらすな僕の妹”でした。『たのきん全力投球!』という番組の中で、田原俊彦さんの妹役でデビューしたんです。当時、“妹”というのが流行っていたんですよ」

知美「そうでしたね」

伊代「当時、事務所の先輩だった大場久美子さんも“一億人の妹”というキャッチコピーだったかな。結花ちゃんは……」

結花「やめてください(笑)。“不思議チック少女”って、もう謎ですよね、謎。初めて聞いたとき“えっ?”って思いましたから。でも、そこで意見を言っても変えられるわけでもないので“ああ、そうなんだ……”って。いまだに何が不思議チックなのかわかりません(笑)」

知美「私は雑誌『モモコクラブ』のコンテストでグランプリをいただいたので、“菊池桃子の妹分”といわれてました。一応、キャッチコピーは“1秒ごとのきらめき”っていただいたんですけど、意味がいまだにわからない(笑)

伊代「大丈夫、今もきらめいているから(笑)」

今の時代、アイドルはできないかも……

知美「デビューしたときは、わけもわからずやっていたな、と思いますね。でも、今のアイドルの方たちって大変だと思いませんか? 昔は、作られたと言ったら変ですけど、事務所の方がアイドルとしての自分を考えてくれたじゃないですか。こういう雰囲気で、こうしゃべって、と。今のアイドルの方たちは、プロデュースされるというより自分たちでいろいろ決める方たちが多いかなって感じるんです」

伊代「セルフプロデュースみたいなね」

結花個人個人の努力がすごいな、って気がしますよね

知美「そうなんですよ。アイドルにプラス何か、手に職じゃないですけど、いろんなことをやってらっしゃる方が多いから、私たちの時代と比べて大変だな、って。自分からの発信力もすごいし」

伊代グループで活動しているぶん、その中で自分をどう生かしていくか、みたいなプロデュース能力がすごいと思う

結花「自分はこれが魅力です、こういうことができます、というのをみなさんやってらっしゃる感じがして。私なんて“これを言ってはダメ”“こういうふうに言いなさい”ということばかりだったから、自分で考えて自分から発信することがなかったなと思います」

伊代「私も線路を敷かれて、その上にずっと乗っかってきたという感じ。それが2〜3年してから自分が少し成長してきて、意見を入れてもらえるようになったりとか。初めはプロデュースされるがままでしたね

知美「去年の暮れ、イベントで現役のアイドルさんたちとお話しする機会がありまして。そのときに“ずっとアイドルで頑張っていくには、何かアドバイスありませんか?”って聞かれたんです」

結花「で、どんなアドバイスを?」

知美「私、全然続けてないのでわかりません、て(笑)。でも、渡辺美奈代ちゃんがずっとデビュー当時からのイメージを大切にしていて、あなたはトイレに行きますか? と聞かれたら“私は行かないし、行ったとしてもマシュマロしか出しません”と。だからイメージが大切なので、そのような質問がきたら、スイーツ系でお答えしたらどうですか、と言ったらその方がまじめにメモをとりながら“わかりました、私はかりんとうって言います”って(笑)」

結花「それって、だいぶ寄ってません?(笑)」

知美「かりんとうだと、ちょっと水分が足りなさそうで、みなさん心配しちゃうから、もうちょっと考えたほうがいいですよ、とアドバイスさせていただきました」

伊代「でも、今のアイドルの人たちのほうが、そこはまじめにというか、包み隠さず話している感じがあるよね」

知美「今はいろいろなことを普通にお話ししますから」

伊代今の時代だったら、私はアイドルは絶対にやっていけてないと思う(笑)。自分でそこまで考えるなんて、デビューしたてのときは無理だもん」

結花「私も無理だと思います。そこまで考えが及ばないですよ」

伊代「ポワ〜ンって感じ(笑)。取り残されていると思う。アイドルをやるということは、周りの大人の人に支えられていたんだ、と思ってますから」

結花自分ひとりだけでは、絶対に立ち続けていられなかったと思う

 近年、“恋愛禁止”を掲げて活動するアイドルたちも出てきた。昔なら公言するまでもなく、アイドルは恋愛しないというのがファンにとっては暗黙の了解だった。それでも異性が気になり始める10代。当時のアイドルたちの“恋愛事情”について聞いてみると……。

伊代「当時は付き合っちゃいけないとまでは言われていないけど、男の人には気をつけなさいよ、みたいなことをマネージャーさんから聞かされていましたね。でも、まだまだ子どもだったからなぁ……。そんなに声をかけられることもなく、まじめに仕事していた記憶が(笑)」

結花「それに忙しかったから、そんなヒマもなかったですし」

伊代現場にはマネージャーさんが常にいるので、なかなか電話番号の交換なんてできなかったし。あ、でも“今度新しいレコードが出るんだ”って渡されたレコードの中に、電話番号が書いた紙が入っていたことはありましたけど(笑)」

知美「え、そんなことがあったんですか!?」

結花「すごい(笑)。いろいろ考えるんですね」

知美「そういうことは早く聞いておきたかった……。私、誰からも声がかからなかったので、いつでも電話番号を伝えられるように手作りの名刺を持ち歩いていました(笑)

伊代「そうだ! 知美ちゃん持っていたよね(笑)」

知美「いつもカバンの中に入れていたのに、1枚も減ることがありませんでしたけど(涙)」

伊代「渡すチャンスもそんなにないものね」

結花「私も声がかからなかったなぁ……。大人になってから『夜のヒットスタジオ』のときには“ひな壇に座っているときに電話番号を渡していた”とか話している方がいて、“え? 私はそんなことなかった……”と思った(笑)

知美「うらやましい……」

伊代「女の子でも、大人っぽかったりとか、男の子に人気な子というのがターゲットになるのかも(笑)。それはアイドルじゃなくても同じなのかもね」

ムチャぶりだらけの
歌番組の生中継現場

 '80年代といえば、歌番組が最も盛り上がっていた時代。各局でいろいろな番組が毎週放送され、生中継やスタジオのセットなども話題になった。そんな番組の常連だった3人の思い出とは?

知美「歌番組の思い出、たくさんありますね」

伊代「本当、ありすぎて覚えてない(笑)」

知美「頭の中で断捨離していませんか?(笑)」

伊代「“やっちゃった”で覚えているのは、デビュー曲の『センチメンタル・ジャーニー』で“もうすぐベストテン”のコーナーに柏原芳恵ちゃんと出たときのことかな。もうすぐ出番ですというときに、私が服にコーラをこぼしちゃって……

結花知美「えぇぇ〜〜!?」

伊代「確かチェックの衣装だったんだけど、そこにこぼしちゃって。本番直前に“衣装さん、白いブラウスありませんか!”とか周りの大人の人があたふたしていて(笑)。完全に乾かせたのか覚えてないけど、なんとか本番に出られたということがありましたね。大変なことしちゃったな、と反省したことを覚えています」

結花「私は『ベストテン』で(浅香)唯と(中村)由真と一緒に『スケバン刑事』の風間三姉妹として中継で歌わせていただいたときですね。ロケ地が東京の月島で、3人が別々の場所からスタートして歌いながら合流するという演出でした」

伊代「あのとき、生中継でみんないろいろな場所から歌ってたよね」

結花「そうそう。由真がもんじゃ焼き屋さんから、唯が商店街からだったんですけど、私は“下町情緒ある銭湯からです”とか説明しながら男湯の前からスタート(笑)。どうして男湯!? って思いながらですよ。だって、一般の人たちが普通に入っている銭湯で、男湯ののれんをバックに歌い始めるんですから」

知美「すごいシチュエーション(笑)」

伊代「しかも当時、モニターがなくてイヤホンで音を聴きながら歌うときもあったよね」

結花「そうでしたよね。それにギャラリーがいっぱいいらっしゃるから、リハーサルもなくて軽く動きを打ち合わせするだけでぶっつけ本番だったし」

伊代松田聖子さんだってすごかったですよね。新幹線や飛行機から降りてすぐに歌うとか(笑)

結花「そうそう! “聖子さん、もうすぐです!”とかアナウンスされて(笑)。いま思うと、なんであんなことができたんでしょうね」

伊代「すごいムチャだったよね(笑)。私は意外とそういうのはなくて、お店からとか、苗場のスキー場からとか。アクシデント的なものはなかったな」

知美「私、アクシデントじゃないですけど、個人的に思い入れのある中継があるんです」

結花「どんな中継?」

知美「私が小学生のとき、地元の山口県宇部市の公園で郷ひろみさんが歌っていたときがあって。家から車で10分くらいの公園だったんです。なので、父に“すぐ行きたい、連れてって”とお願いしたんですけど、ダメだと。まあ、行けても中継は終わってしまってますけどね」

伊代「でも、スタッフさんはまだいたかもね。ご本人を見られなくても、雰囲気は楽しめたかも」

知美「そうですよね。でも、このことがすごく心残りになっていて、それをスタッフさんにお話ししたら、郷さんが歌った同じ公園で中継をさせていただいたんです

伊代結花「おお〜、すごい!」

知美「本当にこれがいい思い出なんです」

伊代粋な計らいですよね。今に比べて番組制作にムチャはあったかもしれないけど、それと同じくらい愛情もあったよね
 
 思い出話に花が咲いた60分の“同窓会”。アイドルとして輝いた彼女たちの“これから”に注目です!

伊代のひとり言
 10代、アイドルとして活動していたときは、本当に楽しかったし、よかったなと思います。でも、やってきたことで悔いが残っていることもあるから、そこをやり直したいなという気持ちがありますね。何か変化があるのなら、あの時代に戻ってもまたこの仕事をやってもいいかなって思います。これからは……、新しいことを始めると体力を使うので(笑)、マイペースにやっていければいいな。

まつもと・いよ●'65年6月21日生まれ。'81年バラエティー番組『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役として芸能界デビュー。同年『センチメンタル・ジャーニー』で歌手デビュー

結花のひとり言
 デビュー当時、事務所がすごく厳しくて……。タレントさんやスタッフさんたちの誰とも話すな、という感じだったので友達が作れなかったんです。だからすごいストレスの塊だったんですけど、こんなにいろいろなことをさせていただける仕事はほかにないので、あの時代に戻れたら、またアイドルという仕事を選ぶと思います。でも、もう事務所の言うことは聞かないでしょうね(笑)。

おおにし・ゆか●'68年7月6日生まれ。'84年ドラマ『家族の晩餐』で芸能界デビュー。'85年『アラベスク・ロマネスク』で歌手デビュー

知美のひとり言
 もしデビュー当時に戻れるなら、やってみたいことがあるんです。それは宝塚受験。20代後半に宝塚にハマってしまったんです。10代に戻れるのなら、受験したいですね。歌も踊りもすべて下手なので合格できないのはわかっているけど(笑)、記念受験でもいいから挑戦してみたいですね。でも、仕事としてはやっぱりアイドルをやりたいなと思います。ただ、歌はやらないかな(笑)。

にしむら・ともみ●'70年12月17日生まれ。'86年映画『ドン松五郎の生活』で芸能界デビュー。同年『夢色のメッセージ』で歌手デビュー

取材・文/蒔田稔

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  • デビュー当時の西村知美に比べたら橋本環奈なんてクソ。よく千年に一人なんて言えるな。
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