19歳の女優エル・ファニングはすでに完成されている 『パーティで女の子に話しかけるには』での存在感

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2017年12月02日 10:02  リアルサウンド

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 ニール・ゲイマンといえば、『コララインとボタンの魔女』や『スターダスト』が映画化されている、幻想小説の名手だ。彼の短編集「壊れやすいもの」の中に収録されている一編「パーティで女の子に話しかけるには」も例外なく、それら幻想小説の部類に入る物語で、回想録のテイストで綴られていた。


参考:ダムドの楽曲に合わせた登場シーンも 『パーティで女の子に話しかけるには』本編冒頭映像


 30年前に、友人のヴィックとパーティに忍び込んだ主人公のエンが、何人かと会話をし、その異様な空間から脱する部分までを綴った、ペーパーバックでおよそ20ページほどしかない短編小説なのだ。それに独自の解釈を加え拡張し、まったく新たな物語として紡ぎ出されたのが、今回の映画版『パーティで女の子に話しかけるには』なのである。


 しかもそれを、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェルが手掛けたとなれば、一筋縄ではいかない作品に様変わりするのも納得である。原作に登場したパーティの描写、ニュアンスとして表現された異星人の姿を、より奇抜なものに具現化していく。カラフルな衣装を身にまとった、奇特なキャラクターたちが顔を並べることで、序盤に主人公が紡いでいたような70年代の青春ドラマを一気に叩き崩す。


 そして、原作では描かれることのない“パーティの後”の物語が、実に想像力に満ち溢れ、かつミッチェルらしさを全開にさせて描かれていく。まずは物語のキーとなるパンクロックの存在だ。ニコール・キッドマンが監督の前作『ラビット・ホール』とは180度違う風貌で登場したと思いきや、主人公のアレックス・シャープも、ヒロインのエル・ファニングもとびきりの“パンク”を披露していく。


 もっとも、そのアレックス・シャープの持つ背景の描きこみの弱さや、異星人たちの個性の強さによって“パンク”というものの存在意義が薄まってしまっている印象も否めないが(たとえば先日の東京国際映画祭で上映されたエイサ・バターフィールド主演の『ハウス・オブ・トゥモロー』のように、明確に現状から飛び立とうとするような描写も少ない)、あらかじめパンクという音楽が当然のように存在し、異星人たちの特殊さと対比的に描かれているという世界観は、あたかもミッチェルらしい世界に見える。


 とりわけ、主人公がエル・ファニング演じるザンと出会い、過ごしていく48時間の疾走感が凄まじい。まずパーティのシーンでのさらりとしたボーイ・ミーツ・ガール。所属するコロニーの部屋から飛び出してきたザンを追って、服を切る場面のインパクトから、その直後のキッチンでのキスシーンと、建物を出てからのくだり。なかなかのインパクトで攻め込み、たちまちこの映画をエル・ファニングが独占しはじめる。


 翌朝の2人が飛び跳ねながら街を散策する場面は、ここだけを切り取れば、SF要素も、パンク要素も感じない、純然たる青春ラブストーリーの様相を保ち続けることに、ときめかずにいられない。そしてエルに独占された物語が終盤に進むにつれ、ミッチェルの紡ぐぶっ飛んだストーリーを観客に納得させるために丸め込む筋書き。


 そして地球人と異星人との恋模様ともなれば、切ないエンディングが待ち受けているのはお約束だ。結局劇中ではその具体性が明かされない“コロニー”と彼らの掟を残したまま、そんなことは露知らずと、エンとザンが全宇宙を巻き込んだ、2人だけの愛のコロニーを生みだす瞬間には、得体の知れない多幸感で包まれてしまう。もはや、呆然としてしまうほどに巧く丸め込まれてしまうのだけれど、そのトリッキーさこそがこの映画の魅力なのかもしれない。


 それらをすべて許容してしまうのは、エル・ファニングという女優の存在が圧倒的だということに他ならない。いつのまにか、姉ダコタを凌駕する存在へと昇華した彼女。たとえば『SUPER 8/スーパーエイト』の、映画オタク少年の心をくすぐるかのようなヒロインに端を発し、最近では『20センチュリー・ウーマン』の少し背伸びをした少女の様子。いずれにしても、冴えない男子は彼女が半径1mに近づいただけで、突き動かされずにはいられなくなるのかもしれない。


 ツリーハウスの中で佇み、手をまっすぐ伸ばして自分の腋を触れさせるシーン、大きく開いた口をアレックス・シャープと重ね合わせる場面、そして派手なメイクを施されてパンクロックを即興で披露する場面。すべてにおいて彼女に魅了されていく。もっぱら、エンの家のトイレを飛び出して、走り始める疾走感で、この映画は傑作になると確信せずにはいられなかったのである。


 これまでのエル・ファニングは、たとえばソフィア・コッポラ、フランシス・フォード・コッポラ、デヴィッド・フィンチャー、J.J.エイブラムスなど、巨匠から新進気鋭の作家まで、あらゆる作家の作品にこの上ない華を添えてきている。まだ19歳だなんて信じられないほどに、完成されている女優だ。このまま一線級を駆け抜け続け、女優という存在の歴史をすべて覆すことになっていくはずだ。


■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。


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