『電波少年』の松本明子、松村邦洋、出川哲朗 「悲惨自慢」で盛り上がる

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2016年06月14日 17:32  Techinsight Japan

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出川哲朗、松本明子、松村邦洋(出典:http://ameblo.jp/akiko-m-we)
バラエティ番組『進め!電波少年』と言えば、有吉弘行と森脇和成によるお笑いコンビ・猿岩石が“ユーラシア大陸横断ヒッチハイク”に挑戦して大ブレイクした人気番組だった。その司会を務めていた松本明子と松村邦洋、それに海外ロケで大活躍した出川哲朗の3人にスタッフが集まって当時を懐かしんだ。

松本明子と松村邦洋は自宅が近く、6月12日の『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)ではゲスト・松村の“お宅訪問”を松本が行ったほど仲が良い。そんな2人が司会やアポなしロケで活躍した『進め!電波少年』は1992年7月5日から1998年1月4日まで放送された。その後は『進ぬ!電波少年』などシリーズ化するがレギュラーとして残ったのは松本明子だけである。

14日、その松本が『松本明子オフィシャルブログ「〜♂×♀×Kiss〜」』にて松村邦洋、出川哲朗とのスリーショットとともに「当時のスタッフと、お祝いを兼ねて集まる事になりました!」と綴っている。皆の思い出話はいかに困難で悲惨な目に遭ったかで盛り上がり、松本明子も「みんながむしゃらだったあの頃! 今こうやって笑い合えるなんて、想像もしなかった!」という。

松村邦洋が中心となった“アポなし”企画は今でこそよく見かけるが、当時は斬新だった。しかもやることが放送コードギリギリで「フリーメイソンの日本本部に押しかけ、玄関のインターホンで会員にして欲しいと懇願」、「スターダンサーズ・バレエ団によるバレエ『ドラゴン・クエスト』の初演にスライム姿での出演を依頼する」など怒られても仕方がないような企画に挑んでいる。松本明子も「パレスチナの当時の指導者でノーベル平和賞を受賞した頃のアラファト議長に、携帯カラオケマイクを持って突撃して“てんとう虫のサンバ”の替え歌を披露」、カラオケは歌ってもらえなかったが国際問題にならず良かった。

出川哲朗は特に海外企画で大活躍していた。なかでも“STOPエイズキャンペーン”では英ロンドン、米サンフランシスコ、そして豪シドニーのゲイバーやゲイクラブに突撃して番組オリジナルのコンドームを配布するという際どいロケに臨んだ。シドニーのゲイクラブで屈強な男性数人にパンツを脱がされて襲われたのは語り草となっている。

松本明子は「今やオトナ女子から大人気の出川さん」、「電波少年でアポなしを確立した同志の松村さん」と2人を尊敬しており、今ではこうして笑い話に出来て「幸せな事です!」と感慨深げに喜んでいた。

出典:http://ameblo.jp/akiko-m-we
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

このニュースに関するつぶやき

  • 今のひな壇で笑ったり、体張ってる若手の映像見て笑ってるだけの単調な番組よりも数倍は面白かったですね!
    • イイネ!26
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