星野源、尾崎世界観、amazarashi……音楽と文学の“重なり”表現するミュージシャンたち

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2016年11月07日 14:01  リアルサウンド

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星野源『働く男』

 先日、ボブ・ディランがミュージシャンとして初めてノーベル文学賞を受賞した。「偉大な米国の歌の伝統に新たな詩的表現を作り出した」ためだという。(参考:http://www.asahi.com/articles/ASJBF72DHJBFUCLV02B.html 朝日新聞デジタル 授与理由「伝統に新たな詩的表現」 ボブ・ディラン氏)ここでは、次なるノーベル文学賞受賞者になるかもしれない、音楽だけでなく、文学の世界でも活躍する若きアーティストたちを紹介していきたい。


(関連:星野源が語る“イエローミュージック”の新展開「自分が突き動かされる曲をつくりたい」


 まずは、現在放送中のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)で、主演を務めている星野源。自身が歌う主題歌「恋」のMVや、同ドラマのエンディングで披露する「恋ダンス」も話題であり、彼が歌って踊れて演技もできるポップスターなのは間違いない。それだけにとどまらず、『蘇える変態』『そして生活はつづく』といったエッセイ集を発売し、文筆家としてのセンスも発揮している。<僕たちはいつか終わるから 踊るいま>という彼の代表曲「SUN」の歌詞はポップかつキュートだが、明るいだけではなく、影があるようにも見える。同様に、彼の書く文章も読みやすいが、どこか心に引っかかる…例えば、星野の著書『働く男』に収録のエッセイ「ひざの上の映画館」は、<「つながる」ということに、日々興味を失いつつあります。>という一節から始まる。彼の文章を読み終えた後は、胸のどこかに刺さって抜けない棘があるような、そんな気分になる。


 続いて紹介するのは、ロックバンド・クリープハイプの尾崎世界観(Vo./Gt.)。尾崎が書いた歌詞を見てみると、「鬼」では<あぁもう疲れ切って玄関開けたら 束の間の休息 津田沼の六畳間で>と目の前にその情景が広がるような歌詞から始まったり、「社会の窓」では<だってあたしのこの気持ちは絶対シングルカット出来ないし>とリスナーの心をざくざくと突き刺すような歌詞を入れ込んだり、と、文学への才能が見え隠れするようなものを作り続けてきている。そんな彼が書いた半自伝的小説『祐介』は、まるで目の前で演劇が繰り広げられているかのように、読者の五感を刺激する。アルコールの臭い、血の味、煙草混じりの唾の味、殴られた時の痛み、食パンに爪を食い込ませた感触……。きちんとしたストーリー展開があるわけではないが、男の行く末が気になり、ページをめくる手が止まらなくなる。読者の多くはいつしか、男の姿に尾崎を重ねているはずだ。


 そして、若手の中でも突出したセンスを持つのがamazarashiの秋田ひろむだ。これまで、『あまざらし プレミアムライブ 千分の一夜物語「スターライト」』に合わせて小説『スターライト』を公開したり、2016年3月号『別冊文藝春秋』に詩とエッセイを寄稿、さらに10月12日にリリースのアルバム『虚無病』に同名小説を付属し、小説とリンクしたライブも行なったりと、音楽と小説を密接に結びつけた活動をしている。ファンタジーとリアルの間を行き来する設定、ライトノベルの要素もありつつ、幼い頃に読んだ童話を思い出すような文体は、amazarashiが音楽で表現する世界そのもの。amazarashiというバンドと彼らのライブは、小説があってこそ成り立つのだ。


 音楽と文学は決して相反するものではなく、重なり合うものだ。メロディに乗せたくなる言葉もあれば、言葉にできない思いを音に託すこともある。しかし、どちらのセンスにも長けた作者はあまり多くない。「ミュージシャンが書いた小説」という色眼鏡で見ることなく、一作品として正当な評価をするとともに、彼らが書く歌詞も文学作品のひとつとして見られるようになっていくことを願うばかりだ。(村上夏菜)


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