Acid Black Cherryのライブに起こった“変化”ーー苦難と成長の2010〜2012年公演

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2017年03月27日 23:23  リアルサウンド

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Acid Black Cherry

 Acid Black Cherryが3月22日、ライブ映像作品『10th Anniversary Live History -BEST-』をリリースした。同作は、2017年7月18日よりソロデビュー10周年となるAcid Black Cherryの全19枚のシングルと、デビュー前に制作され、“0thシングル”としても配信されている「君がいるから」を含めた全20曲を、今まで行ってきた様々なライブの時間軸とともに振り返る内容だ。音楽ライターの武市尚子氏によるABCの10年の歴史を1年ずつ振り返る連載が3月22日よりオフィシャルFacebookで公開されており、今回リアルサウンドでは同連載を3回に分けて掲載する。(編集部)※2007〜2009年の連載記事はこちら


<【2010年】 Acid Black Cherry 2010 Live “Re:birth”>


 yasuは、ツアー『2009 tour “Q.E.D.”』が終了した2週間後に手術をし、治療に専念するために、Acid Black Cherryとしての活動を一時休止した。


 そこから約半年、yasuが唄う姿を見ることは出来なかった。


 そして。2010年、夏。yasuはシングルを引っさげてファンの前に復帰した。タイトルは「Re:birth」。その歌詞の内容は、yasuの想いが赤裸々に語られたものだった。


「「Re:birth」の歌詞を書いたのも、実はこのツアー中(tour “Q.E.D.”)やったからね」


 と、振り返って語るyasu。スタッフもサポートメンバーも含め、いつ中止してもいいという覚悟を持ったツアーの中、yasuは滞在中のホテルでこの「Re:birth」の歌詞を書いていた。


 「今のyasuのそのままの気持ちを書けばいいと思う」というスタッフの言葉もあり、その時のありのままの想いを書いたのだ。


「歌詞を書いていた時期の自分の気持ちに嘘が付けなかったというか。その時期、どうしてもポジティブな歌詞が書けなかったんだよね。書こうと思えば書けたと思うんだけど、凹んでるときに、“頑張ろう! 俺、やる! 無理なんてない!”みたいな歌詞書いても、ほんまじゃないなと思ったんで、すごく後ろ向きな内容ではあるんやけど、自分の気持ちに正直に、素直に書いてみたんだよね。そこに嘘がないならいいかなって。ほんまに、この頃は、この歌詞のままの心境やった。「Re:birth」って、生まれ変わるっていう意味なんやけど、ほんまに、そんな心境やったからこそ生まれた歌詞やったし、タイトルやったと思うんだよね」


 このシングルをリリースした直後、Acid Black Cherryはライヴツアー『LIVE Re:birth』を開催した。


 自身初の横浜アリーナ2公演を含む、3ヶ所4公演で行われた『Acid Black Cherry 2010 Live“Re:birth”』は、“yasuの唄が戻ってきた!”という喜びで客席が包まれ、いつも以上に温かな空間となった。


 yasuが透明な声を伸ばした「冬の幻」では、オーディエンスは、身動き一つせず、yasuのその声に聴き入った。あのときの曇りのない唄声を精一杯響かせたyasuと、その唄声に吸い込まれていったオーディエンスが向き合っていた光景は、美し過ぎて今でも忘れることが出来ない。


 みんなの“おかえり”の言葉に、素直に“ただいま”というのが照れくさかったと言っていたyasuの言葉もとても印象的に記憶に残っている。


 このときの照れくささを“学校を風邪で休んでて、久しぶりに学校に行ったときって、なんか恥ずかしいやん。それにちょっと近い感覚やった”と例えていたところでも、yasuという人間性が深く伝わってきた気がした。


 このツアーからHIRO(G)が加わったことで、彼の持ち味である憂いを含んだギタープレイが、ABCの激しいサウンドの中で、奥行きを宿したように感じた。


 また、yasuは、このツアーから、自分の中で少し変化が起こったと言った。


「このツアーから、いろいろと意見を細かく言うようになったのは、大きな変化かも。照明とかセットとか、舞台に関することすべてに対して」


 それは、昔からyasuが持っている、“ライヴはSHOWにしたくない”という根本的な考えを具現化するための「進化」だったように思う。


 また、このツアーは初のアリーナツアーでもあったことから、物理的に距離が遠くなってしまうことを補えるような、みんなが楽しめるツアーにしたいという想いも強く持っていた様にも見えた。


 “どんな派手な特効よりも、自分がみんなの近くに行ってあげられることが1番だと思う”


  yasuの中にはこの想いが常に1番強くある。


 このツアーでも、アンコールでステージから降り、客席を一周するという突飛な行動に出たyasu。


 この表現も、yasuの“ただいま”の形だった様に思う。


<【2011年】 Acid Black Cherry FREE LIVE 2011>


 2011年3月11日。大きな震災が東日本を襲った。


 yasuにとっても地震はショックなことであり、「自分が何をすべきかが見えなくなったときもあった」そうだが、彼は「自分が今出来ることを精一杯にやることを選んだ」のだという。


 Acid Black Cherryはこの年、日頃応援してくれているファンへの感謝の気持ちを還元するという企画【4年に1度の大感謝! ABC DreamCUP 2011】を立ち上げた。4周年の4にかけて、4つのプレゼントをするというこの企画。4つのプレゼントの中には、愛知・大阪・山梨の3カ所で、合計4万人を抽選で無料招待した野外ライヴ『Acid Black Cherry FREE LIVE 2011』も含まれていた。


 このツアーに挑むための準備段階のyasuの意気込みは、半端なく熱かった。ナント。初めて夏の野外でのフルライヴということで、リハーサル時には、エアコンを切ったスタジオで、サウナスーツを着て体を慣らすなど、待っているファンに、いつも通りの熱いライヴを届けようとする気持ちを強く感じるような準備をしていたというのだ。


「“いいか! 野外ライヴをなめんな! こんなもんちゃうぞ!”って、みんなでリハーサルスタジオの中で、サウナスーツ着て(笑)。あの心構えは良かったね(笑)。でもね、サウナスーツでのリハーサルはこの時が初めてじゃなくて。最初のフリーライヴも野外だからっていうので、そんときもサウナスーツ着てやって(笑)。“暑いのに慣れとかな!リハスタの空調止めようぜ!” って、過酷な状況を敢えて作ってやってたね。その過酷な状況に慣れてたら、実際、本番でステージ立ったときに、“あ、こっちのが楽や!”って思えるやん(笑)」


 そして、このフリーライヴでも、中央に花道を設けるなど、出来るだけオーディエンスとの距離を近くするようにしていたように感じた。


 “とにかく、みんなの近くで歌いたい。なるべく近い距離で歌いたい”


 そんなyasuの想いが真っ直ぐに伝わってきたライヴでもあった。


 また、この『Acid Black Cherry FREE LIVE 2011』には、サポートギタリストとして室姫深が参加。yasuが青春時代に聴いてきたアーティスト、DIE IN CRIESのギタリストでもあった室姫深が参加したことで、このツアーはまたひと味違ったサウンド感になっていた。


「俺ね、サポートメンバーに対して、完コピしてくれって言うタイプじゃなくて。曲を渡して、その人の個性でアレンジして弾いてくれたら、それがいいなと思うから。ある程度の決まり事とかフレーズは必要やけど、細かいとことか好きにしてくれって思うタイプやから、室姫さんにも、“室姫さんの好きに弾いて下さい”ってお願いして。ちょっとしたフレーズで、ちょっとテンション入れたりする、そこにセンスを感じるというか。ほんまに、室姫さんのギターも好きやわって思ったね」


 このフリーライヴでAcid Black Cherryに初めて触れた人も多かったと思うが、yasuの唄と想いは、触れてくれた人たちを確実にAcid Black Cherryの世界に引き込んだように思う。


<【2012年】Acid Black Cherry TOUR『2012』&Acid Black Cherry 5th Anniversary LIVE“Erect”>


 2012年は、Acid Black Cherryにとって大きな動きがあった年と言えるだろう。


 前年から続いた5カ月連続リリースの最後を飾るシングル「イエス」を1月にリリースし、3月には、ついに約2年半ぶりとなるオリジナルアルバム『2012』を発表した。


 このアルバムのテーマは「生きる」。物語の中には、天使や悪魔が登場し、一見ファンタジーな世界が広がっているように見えるが、実は現代社会に起きた問題点や事件性なども内包し、「終わりゆく世界の中でも、懸命に生きる人間の姿」を描いた、非常に奥深い作品である。


 yasuは、作品に込めた想をわざわざ語ることがないが、5月1日の福岡サンパレスを皮切りに全国21都市22公演をまわったツアー『Acid Black Cherry TOUR『2012』では、このアルバムに込めた意味を自らの言葉で話すことを選んだ。


「本当のことを言えば、コンセプトとかは、自分の口で説明するモノではないと思ってる。そこは口に出さずとも感じてくれたらいいことやから。俺的には、わざわざそこを口にして説明するのはナンセンスかなって思うねん。このツアーでも、出来れば自分の口から説明するのは避けたかったんだけど、このときばかりはテーマとしたところが、ことがことだっただけに、インタビューもそうやしMCも同じく、そういう大事でナイーブなところを言わずにやりすごすよりも、ちゃんと語った方がいいのかなと思ったんだよね」


 私は、このライヴを通して、彼がアルバムのコンセプトとして掲げた『生きる』という意味を強く感じることができた。


 そして。yasuは、このツアーにおいて、ライヴに向き合う自身の変化も語ってくれた。


「すごく前向きにやれた初めてのツアーだったんちゃうかな? って思うね。多分、それだけ自分が成長出来てたからかも。技術的な面でも、精神的な面でも。いろんなことに対してあった不安も、そこまでしんどく思わなくなってたし。昔はツアーファイナルまで走りきることしか頭になかったけどね。それがこのツアーやったと思う」


 このツアーは、その時点でのAcid Black Cherryを余すことなく届けられていたと感じた、とても充実したツアーだったことを今も覚えている。


 また、同年11月30日からは、Acid Black Cherryの5周年を祝う、特別なライヴツアー『Acid Black Cherry 5th Anniversary LIVE“Erect”』が5ヶ所6公演で行われた。


 アルバム『2012』リリース時に行われたファンとの握手会で、直接ファンと言葉を交わしたとき、“ライヴでこの曲が聴きたいです!”という声がたくさんあったことから、yasuはこの特別なツアーを、“ファンが聴きたい曲でセットリストを組もう”と思ったのだそうだ。


「普段からライヴでのみんなの反応を見て選曲してるから、あながち間違ってはいないと思うねんけど、このツアーでは、よりリアルに聴きたい曲をやってあげられるライヴに出来たらいいなって思うね。俺のやりたい曲を聴け! じゃなく、オマエたちの聴きたい曲で盛り上がろうぜ! みたいなね(笑)。このツアーは、昔、ガキの頃バンドに憧れているときに、“ツアーってめっちゃ楽しいんやろなぁ”って思って思い描いてたようなツアーが出来たって感じやったな」


 常に、何よりも聴き手を楽しませるライヴが出来る様にと願うyasu。このツアーでは、yasu本人も手放しでライヴを楽しんでいたのが伝わってきたのも印象的だった。


 オリコンチャート1位を獲得することとなったAcid Black Cherry通算3枚目のオリジナルアルバム『2012』への想い、そしてその想いを伝えたツアーを経て、5周年記念のライヴツアーを成功させたAcid Black Cherryは、この年さらに大きく成長したと言えるだろう。(武市尚子)


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