【小物王のつぶやき】あの日の若者たちを惹きつけた。“東京の匂いがしない”コピーライター「糸井重里」が教えてくれたこと

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2017年04月18日 23:00  citrus

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■糸井重里とコピーライティング

糸井重里という名前を初めて知ったのは、1979年、ジュリーこと沢田研二の「TOKIO」という曲の作詞者としてだった。

当時、高校一年生だった私は、その名前さえ読めず、ジュリーだから重里なのかなとか、よく分からないことを考えていて、その少し後に、当時ベストセラーだった矢沢永吉の本「成り上がり」の構成を担当したコピーライターだということを知った。

知ったけれど九州の片田舎の高校生だった私には、コピーライターが何ナノかも分かっていなかった。ただ、これは当時の多くの人がそうだったはずで、その後でやってくるコピーライター・ブームで、人々は広告の文案を作る専門家がいるという事実を知る。

田舎に住んでいながらも、ムーンライダーズなんか聴いていた私は、コピーライター・ブームの少し前、「ヘンタイよいこ新聞」という雑誌の連載の人として、糸井重里を認識する。ムーンライダーズや矢野顕子などの、当時大好きだったミュージシャンたちが絡む企画だったから。そして、私もまた「ヘンタイよいこ」であるのかも知れないと思ったから。


■田舎くさい若者たちにとっての「ヒーロー」

多分、当時、そういう高校生、大学生はいっぱいいたのだ。決して時代の真ん中に興味があるわけでもなく、よく分からない音楽を聴いて、暗い格好をして、夜の街をウロウロするけど、特に何かをするわけでもなく、友達が多いわけでもない、本読んで、何か書いたり作ったり楽器弾いたりしてるだけの連中。そのヒーローだったのが糸井重里だった。

何といっても、糸井さんには、東京の匂いがしなかったのだ。「TOKIO」みたいな歌詞は東京生まれの人には書けない。はちみつぱいの「塀の上で」という、羽田を歌った名曲があるけれど、そこには濃厚に田舎生まれの人間にはない東京の匂いがあったけれど、糸井さんには、それが希薄で、しかも、ミュージシャンや作家ではない、コピーライターという、これも、何となく身近な場所にある仕事に思えたから。


■「不思議な安心感をくれる」糸井重里の世界

コピーライター・ブーム全盛時の糸井さんのコピーに「がんばった人にはNCAA」というのがあって、NCAAというスポーツドリンクのコピーだったのだけど、これは凄いと思った。既に「ポカリスエット」が売れた後の同ジャンルの飲料で、オシャレに宣伝していたポカリに対して、泥臭く、でも、とても優しいコピーを持ってくる。そして「がんばらなかった人にもどうぞ」と続くのだ。「ああ、がんばってからNCAA飲もう」と思った私は、大学時代、結構頻繁にNCAAを買った。まだ、お茶のペットボトルどころか、砂糖が入っていない缶ジュースさえ、伊藤園の黒いウーロン茶の缶しかなかった時代。コピーって、こういう事なんだと思うと同時に、広告自体が宿命的に持ってしまう野暮ったさのようなものに惹かれたのだと思う。後の糸井さんの代表作ともなる「おいしい生活」「不思議、大好き」なども、お洒落ではあるけれど、外から見た東京で、原宿どまりというか、西麻布まではたどり着かないような、不思議な安心感があった。

ファミコンが大好きで、それが高じて、RPG「MOTHER」を作ってしまったりするのも、元ヘンタイよいこの私たちをホッとさせる。僕たちはまだそこにいてもいいと、言ってくれる有名人として、糸井さんには表舞台にずっといて欲しいと思ったのだ。


■コピーライティングを「イマ」に繋ぐ

ただ、今となっては、コピーライターは憧れの職業ではないし、ヘンタイよいこなんて誰も知らない。よいこだった私たちは、とっくに50歳を過ぎている。糸井さん本人も68歳だ。今は、きっと「ほぼ日」の糸井さんとして、知られているだろうし、手帳とかを作って売ってる人というイメージなのだろう。でも、それは、糸井重里という人の仕事の流れから、それほど大きく離れたわけではない。そもそも1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」をインターネット上に立ち上げたというのが、物凄いのだ。あの当時、まだブログもない時代に、インターネットは更新頻度が命だと喝破して、本当に自分で毎日文章を書いた有名人というのは、ほぼ糸井さんくらいしか居なかった。で、そうやって、多分コピーライター時代にキツイ目にあって来ただろうクライアントとの関係性を変えるための場所を作り、そこで売る製品を探したり作ったりして、それを届ける言葉を書く。


■「大人になるお手本」としての、糸井重里

「これいいよ!」と、他の人があまり言ってないモノを褒めて勧める」というのは、そう簡単ではないのだ。私はお茶が好きで、色んなお茶を集めたお茶会をやっていたのだけど、そういう場で、何の説明もなく出された、違う銘柄の複数のお茶を飲んで「あ、これがおいしい」と、いきなり言える人はとても少ないのだ。

自分の趣味を、自分の好みを、自分が感じた気持ちを、正直に伝えるというのは、実は難しい。現在、糸井重里が「ほぼ日」でやってることは、この「俺は好きだけど、どう?」という、自分の存在を秤に乗せたコピーライティング。東京のメインストリームにいることがないまま、80年代を引き摺ったまま、糸井重里は、その自分を見せて、「これいいよ」と言える場所を作ってしまった。そして、その上で、そこで大人になる方法を模索しているのだ、きっと。


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  • マザーシリーズがいつできるかの不安感を教えてくれた人である(笑)
    • イイネ!1
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