巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。
第58回 さらば世界をときめかせた男前よ
「もう年を重ねた。人生の終わりではないが、キャリアの終わりだ」byアラン・ドロン
【センテンスの生い立ち】
「男前」「ハンサム」の代名詞だったフランスの俳優アラン・ドロン。81歳になった彼が、5月9日に報じられたAFP通信のインタビューで、俳優業からの引退を発表した。2018年に公開予定の映画と、その後の舞台作品への出演が最後になる予定。1960(昭和35)年の「太陽がいっぱい」でスターの仲間入りをした彼は、以後「さらば友よ」「ボルサリーノ」「レッド・サン」など数多くの作品に出演。本国以上に、日本で熱狂的な人気を集めた。
【3つの大人ポイント】
- 男前はいくつになっても男前だと教えてくれた
- 憧れを抱いていた頃の自分を思い出させてくれた
- 物事に「終わり」がある意味を考えさせてくれた
「キムタク」や「フクヤマ」どころの騒ぎではありません。1960年代から70年代にかけて、日本人のイメージの中で「男前」の頂点に君臨していたのは、アラン・ドロンでした。1960年に日本で公開された「太陽がいっぱい」は、映画も主題曲も大ヒット。日本の女性たちは彼の甘いマスクにメロメロになりました。男性たちもあまりの造作の違いに対抗意識を燃やす気にもなれず、素直にシャッポを脱いだとか。
1970年代半ば、お調子者の中学生だった私は、当時「ダーバン」のCMに出ていた彼のセリフを一生懸命に真似していました。後になってから知りましたが、あの「ダーバン、セレレレ、デルルルル……」というセリフは、フランス語で「ダーバン、それは現代を生きる男のエレガンスだ」という意味だったらしいですね。もちろんフランス本国でも十分に大スターだった彼ですが、それ以上に日本での人気や評価が高かったと言われています。
アラン・ドロンがどれだけすごかったかという実感がない若いみなさんのために、もう少し昔話を続けます。太田裕美が1976年に歌った「赤いハイヒール」というヒット曲では、少女が彼氏とアラン・ドロンを比べるというくだりがあるし、翌77年には榊原郁恵が「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」という歌をヒットさせました。同じころ「1・2のアッホ?」(コンタロウ)というギャグ漫画に、気が付くとすぐドロンしてしまう二枚目海外スターの「アラ・ドロン」というキャラクターが出てきたのも覚えています。出世作である「太陽がいっぱい」から15年以上たっても、なおそういう存在だったわけです。
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引退宣言について報じた記事。若かりし頃の写真がたっぷり見られます。
記事によると、アラン・ドロンは「もう年を重ねた。人生の終わりではないが、キャリアの終わりだ」と述べて、俳優業からの引退を表明。また、一時期は格闘技に深く関わっていた彼は「ボクシングの興行を手がけたとき、私はあまりにも長く戦って後悔している多くの男達を見た。自分自身のために、あまりにも長く戦うことはない」と付け加えたとか。
すでに「あまりにも長く」戦ってきた気はしますが、まあそこは本人の認識の問題だし、まだまだ続けることは可能なのに引退を決断するのは、かなりの勇気が必要だったでしょう。宣伝目的という見方もされそうですけど、今回の引退宣言をきっかけに世界中のファンが彼のことを思い出し、最後となる映画と舞台に注目が集まれば、それはお互いにとって幸せなことです。
物事には、必ず終わりがあります。若さが持つ輝きも、中年が醸し出す渋さも、老人ならではの円熟味も、期間限定でしか味わえません。それは魅力的な存在であることが仕事であるスターに限らず、どんな仕事も同じことです。日々の生活も遊びも、恋愛や結婚も含めた人とのつながりも然り。私たちは誰もが、いろんなことに対して、いつかは終わりが来るからこそ、一生懸命に向き合いながら一喜一憂しています。
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子どもの頃や若い頃に触れた映画やテレビ、小説、漫画、音楽、あるいは憧れた対象は、何十年後かにいろんな感情を抱くきっかけになってくれます。誰もが胸の中にしまっているたくさんの記憶は、何より貴重でありがたい財産。これからも大切にして、たくさんお世話になりたいものです。
じつはアラン・ドロンは、2000年にも一度「引退」をしたことがあります。そのときは8年後に「考えを変えないのは愚か者だけだ」と言いながら銀幕に復帰しました。今回の引退は本物だと言っているそうですが、もしまた何年後かに復帰してくれたら、それはそれですごいことです。翻意してくれる日が来ることも、ちょっと期待しましょう。
【今週の大人の教訓】
年齢を重ねていくのも、なかなかオツなものである