DARTHREIDERが日本語ラップに抱くアンビバレンツな感情 「マイノリティだと自覚している」

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2017年07月25日 17:02  リアルサウンド

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 ラッパーやHIPHOP MCとして活躍するDARTHREIDERが、書著『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』を上梓した。さらに同時期、自身が属するファンクロックバンド・THE BASSONSの新しいアルバム『5YEARS』をリリースするなど精力的な活動が続いている。今回リアルサウンドではDARTHREIDERにインタビューを行い、主戦場である“日本語ラップ”ではないフィールドでのバンド活動や書籍の刊行といった最近の動向について話を聞いた。そこで語られたのは、「いつなんどき旅立っても大丈夫なようにしていこう」という、ヒップホップシーンに“何か”を残そうとする彼の意思だったーー。聞き手は荏開津広氏。(編集部)


(関連:DARTHREIDER × STUTSが語り合う、KREVAのスキルと功績「ヒップホップを広げる役割を担ってきた」


■僕のなかで大きかったのは、D.L.さんが亡くなったこと


ーー僕は今も大学の講師などと同時に物書きもやっていますが、その昔、90年代にはDJで生計をたてていて、わりと現場からシーンを見ていたと思います。2000年以前の日本語ラップ・シーンとそれ以後のラップ・シーンを分けるとするなら、その違いのひとつは、それまで日本語になってなかった光景をラップした、例えばMSCのような存在の登場です。僕はそういう意味で、マイカデリックが出て来たのを見ていました。マイカデリックのやっていた、ラップやヒップホップのファンクへの繋がりを、日本の、ジャンクな日常感覚みたいなものを通して表現するっていうのは、ありそうでなかった。世界的にも新しい、日本だからこその方法論だったと思います。だから、2014年ですか、ダースさんと漢さんが一緒に何かやる! というニュースを聞いたときは、興奮しました。そして、今、2017年7月ですが、ダースさんは、まずご自身のバンドTHE BASSONSの新しいアルバム『5YEARS』をリリース、『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』というダースさん以外には書けないだろう本を出し、そのうえ9SARIグループを円満退社、というニュースも飛び込んできました。


ダースレイダー(以下D):僕のなかで大きかったのは、(ブッダ・ブランドの)D.L.さんが2015年に亡くなったことです。個人的にお茶とかするようになったのはここ10年ですけど、高円寺や渋谷に「美味しいところあるんだよ」って呼びだされて行くと、電動自転車でD.L.さんが来る風景は今でも目に浮かびます。D.L.さんはいろいろなマンガやレコード、「こんなのあるんだよ、面白いんだよ」って見せたり聞かせてくれたりして、もう知識の宝庫でした。ホントに、いろいろ教えてくれるんです。あの人は“教えたがり”で、ブッダ・ブランドっていうグループの成り立ちもあの人なりに「NIPPSとCQっていうすごいMCがいるんだよ」っていうことを人に教えたい、というのが動機だと思います。ほんとうに、会う度に新しいこと教えてくれてたんです。でも、亡くなっちゃうと全然あの人が持ってた知識ーーレコードでも、“B面のこの曲のここにこういうブレイクがあるんだよ”っていう知識は全然パスされない。まったく継承されてないとは言わない。でも、D.L.さんの集めた膨大なモノはモノで、もう何も言わないんです。


ーーご自身の体調のこともあり、そういう風に考えるのは理解できます。それに、日本語ラップが英語のラップと特に異なるのは、これだけの大きいフリースタイル・バトル・シーンが存在していることですよね。アメリカでは、もちろん、賞金がかかったコンテストもありますが、まぁ、フリースタイル・バトルはいい意味で余興、といいますか、ラッパーが自身のスキルを見せながら、遊び感覚でやるものだというのが基本的な感覚だと思います。ダースさんは、当初のマイカデリックでは、いわゆる“音源派”で、そこから日本の、真剣勝負のバトル・シーンへ果敢にも移っていった印象があります。


D:『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』は、192頁なんで、よき思い出っていうのは、しようもないエピソードだったりもするんで(笑)、けっこう削ることが多かった。内容的には、世間的にいうと名も無きMCたちの話だったりもする。“入門”と書いてありますが、『フリースタイルダンジョン』で入ってきた人たちにも判る、でも、そういう人たちにも知っておいてほしい、幾つかの大事なこと、というような本です。例えば、以前もリアルサウンドで話したクレさん(KREVA)のことを、ヒップホップじゃないと言ってる若い人がいる、と。一周も二周もして、クレさんのファン層も変わったし、見方も変わったんだな、と思いました。だったら、この本で僕はKREVAのヒップホップ要素、もしくはバトルMCとしてどこが優れているか、を書いてみようと思ったんです。


ーーこの本は、これからもずっと残る素晴らしいものだと思います。アメリカのシーンと日本のシーンの違い、ということは、バトルのシーンは日本語ラップ独自の特徴ということですから、日本語ラップについて知りたい人は読むべき、マストな1冊です。それに、勉強だけじゃなくて、面白いです。出てくるMCの名前を検索しながらいろいろな音源を聞いたりするとほんとうに楽しい。意外な人がバトルに参加していたり……。


D:僕はヘッズというか、出会った瞬間から恋に落ちたじゃないけど、面白いシーンだと思って取り込まれて、ずっとそこにいて、気がついたら長いこといて、未だにいて、それは自分で選んだ距離感ですが……。


■BASSONS的な何か、である方が損得感情なしでできる


ーーでも、ほぼ同時にリリースされたTHE BASSONSは、日本語ラップではありませんね。以前、ダースさんに少年時代のお話を伺ったことがありますが、THE BASSONSというのは、小さい頃にビートルズから始まって、中学生、高校生とサイケデリックな音楽へと傾倒していきながら、ファンカデリックやプリンスを発見していった少年のダースさんをやはり思い起こさせる音楽だと思います。


D:そういうところはありますね。それまではロックから始まっていろいろなジャンルのものを聞いていて、そうしたものを「あ、これ全部ヒップホップって名前をつければ大丈夫だな」と思って、ラップというものを通していったのは19歳、20歳なんですが、40歳になって音楽表現として、当時の10代の僕がなんとなく聞いていた、プログレだったり、ロックンロールだったり、ファンカデリック、マイルス・デイヴィス、リー・ペリー、ボブ・マーリィー……それが何だったんだ? と(総括)できるようになったのがTHE BASSONSです。それは、僕はヒップホップだと思ってやってます。本来の僕の考えているヒップホップというのは、すごく大雑把にいうと、なんでもかっこいいモノや美味しいモノがあったら、その上でかっこつけてふんぞりかえるもの、「これ、オレの」というもの、それがヒップホップ的なことだと思うんです。それを僕が自分のバックグラウンドに即してやるとしたら、それはTHE BASSONSなんです。


ーーそれは判ります。僕はTHE BASSONSはすごくかっこいいと思います。でも、ダースさんの日本語ラップのファンだったので、日本語でラップしていなかったのは大変ショックでした。


D:日本語ラップと日本語ラップ史の文脈では僕は自分をマイノリティだと自覚していています。人によっては僕のことを“中心”だとか、若い子からしたら“権力側”とか“フィクサー”だとか思っている人もいると思うんですが、僕からしたら、僕はプラス・ワン・モアだと。つまり、僕は日本語ラップのマイノリティで(日本語ラップ・シーンに)席に余裕があるときには、僕が座るところがあるんですが、席に余裕がなくなったら、最初に僕が外に出される、という存在だと僕は自分のこと思っています。こういうときには呼ばれないんだな、とか思うときがけっこうあって。実際にもそうだし、感覚としてもあるわけです。


ーーそれはないでしょう……と僕が言っても仕方がないと思いますが。


D:でも、ヒップホップにとってそういう存在は大切だと思ってるし、ほっとかれたら席から蹴り出されるような人が「いや、オレはこういう人間なんだ」、「オレたちはこういう人間なんだ」ってアピールしなきゃいけないのがヒップホップっていう意味で、だからこそヒップホップは世界的な文化でワールドワイドなものになってきた。また、ヒップホップ性を保つのは、メインストリームにいては出来ない、というところもある。「5years」ではないけど「オレはこう思ったよ」、「オレはこの曲いいと思ったよ」とは死んでからでは教えられないし……モノだけ残っていても、それがなんなのか、って判らないし。『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』を書いたのも、僕が見てきたものを手渡していこう、と。日本語ラップへの決別宣言ではなくて、いつなんどき旅立っても大丈夫なようにしていこうというのは基本的にはある。そのうえで、日本語ラップに対してのアンビバレンツな感情っていうのもあって、それはTHE BASSONSの作品にもあります。日本語ラップの仲間意識に対して、ある種の諦め感があります。今、10代の子がサイファーとかに行って、仲間を作るのはいいと思う。それは損得感情なしにやっているから。誰が仲間で誰が仲間じゃないか、という話もあります。利他的な行動を取れる相手は仲間ですよね。本で語っている1990年代初期のラップ・シーンっていうのは、みんなある種の仲間意識があった。ラッパーからDJから、雑誌の編集者まで、同じものを相手に戦っているという意識があった。ヒット曲が出たらみんなで喜ぶ。でも、僕が今そういう気持ちで何かをやるのなら、日本語ラップ的な何かではなく、BASSONS的な何か、である方が損得感情なしでできる。すごくピュアにやっているんです。バンドというのは仲間ですから。


ーー9SARIを円満退社されましたが……。


D:個人でいえば漢のためになにかやるかっていえば、ためになると思ったら今でも全然やります。仲間だと思うし。


ーー日本語ラップのシーンで起きていることと、ヒップホップ的な原理から考える表現が、ダースさんの中で今、乖離してきているということなんでしょうか。


D:以前、いとうせいこうさんと対談して思ったことでもあるんですが、いわゆるヒップホップではなく、日本語の新しい可能性としての日本語ラップ、日本語論として、日本語が進化しているという証左としてのフリースタイルが果たしている役割というのは、ヒップホップではないですが、面白いところだと思っています。それはオバちゃんだろうが、小学生だろうが、ラップしてみて、っていうと、いわゆる5-7-5のリズムではなく、日本語ラップのリズムでラップします。これって日本語が進化しているのではないか、と。これはヒップホップとは別に、日本語が言語としてまた生き生きとしてきているというのは、素晴らしいことではないか、と思います。そこにヒップホップ・マインドを持ち込んで、(盛り上がっている現状を)叩いたりするのも僕は嫌です。「(ヒップホップを知らない奴が)語るんじゃない」とか「もっと勉強してこい」とか、そういうんじゃない。今、せっかくシーンが面白いんだから、「好き勝手にやっていいから」というのは、この本も含めて伝えたかったことでもありますね。
(取材・文=荏開津広)


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