「動く油絵」を駆使してゴッホの死に迫る異色作

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2017年11月17日 16:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<天才画家の人生と最期の日々を解き明かす、長編アニメ『ゴッホ〜最期の手紙〜』>


フィンセント・ファン・ゴッホは37歳で死去するまでに、革新的な名作を含む2000点以上の絵を残した。彼の死の謎に迫る映画『ゴッホ〜最期の手紙〜』も革新的な作品。油絵をアニメ化した世界初の試みで、そのために125人の画家が6万2450枚の絵を描いた。それもゴッホの作風に似せて。


このとっぴなアイデアを思い付いたのはポーランドの監督ドロタ・コビエラ。古典絵画を習得し、修士論文のテーマはゴッホで、その後アニメーターになった人物だ。彼女は『ゴッホ』を短編にするつもりだったが、プロデューサー兼共同監督のヒュー・ウェルチマンが長編にすべきだと主張した。


製作会社ブレークスルー・フィルムズの創設者であるウェルチマンは、プロデューサーを務めた『ピーターと狼』で08年にアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞するなどアニメの実績はある。でも「ゴッホについてはほんのわずかしか知らなかった」と言う。「自分の耳を切ったこと、ヒマワリの絵や『星月夜』を描いたこと、あとは精神を病んでいたことくらい」


それがゴッホについて調べるにつれ、「彼の人生、大胆さ、情熱を知って驚いた」。ロンドンの美術館でゴッホの手紙が展示されたときに3時間待ちの行列ができたのを見て、「彼はロックスターだ」と思ったという。


世界の画家が集結して


アニメの製作は気の遠くなるような作業だったが、「最も大変だったのは物語だ」とウェルチマン。「ゴッホの絵と歴史的事実、手紙や手記をつなぎ合わせ、見る人の心をつかむ物語にしなくてはならなかった」


物語は南仏アルルの郵便配達人ジョゼフ・ルーラン(ゴッホの絵のモデルで有名)が息子のアルマンに、ゴッホの残した手紙を託すところから始まる。パリにいるはずのゴッホの弟テオに届けてくれという。なぜゴッホは成功を目前にして自死したのか。アルマンはその真相を探ろうとする。


この映画ではゴッホの絵画94点を使い、35点以上を参考にしている。設定を昼から夜に変えたり、人物を加えたものもある。


ブレークスルーのショーン・ボビットCEOによると、『ジャガイモを食べる人々』など初期の作品は作風が違うので使えなかった。ゴッホが療養していたサン・レミの風景の絵も、この物語でアルマンが訪れるのには無理があるので諦めた。


当初、製作はなかなか進まず、画家を40人増やした。彼らを訓練する資金が足りなかったが、出資を募るには画家が描いたものを見せる必要がある。このジレンマの末に行き着いた戦略が、クラウドファンディングだった。


参加した画家はポーランドやギリシャの出身者が多く、ウクライナ、ルーマニア、ブルガリア、日本の画家もいる。「画家はエゴイストが多いと聞いていたので少し心配していたが、あんなにうまくやれたことはない」と、ウェルチマンは言う。


「初めは私が一番仕事が遅かった」と、ポーランドの画家アナ・ビドリクは言う。スピードと想像力の両方を要求されて、うんざりしたこともあったが、ゴッホの技術の一端を学べたことは収穫だったと、彼女は思う。


ボビットによれば、週末は自分の作品に専念すると画家たちが言うことも。「ゴッホから離れる必要があったんだろう」


そんな彼らの努力のおかげで、観客はゴッホの世界にたっぷり浸ることができる。


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[2017.11.14号掲載]


スチュアート・ミラー


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