作詞家zoppが考える、近年の失恋ソングの傾向 「自分のことではなく“超他人事”を歌っている」

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2018年04月22日 13:31  リアルサウンド

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 修二と彰「青春アミーゴ」や、山下智久「抱いてセニョリータ」など、数々のヒット曲を手掛ける作詞家・zopp。彼は作詞家や小説家として活躍しながら、自ら『作詞クラブ』を主宰し、未来のヒットメイカーを育成している。これまでの本連載では、ヒット曲を生み出した名作詞家が紡いだ歌詞や、“比喩表現”、英詞と日本詞、歌詞の“物語性”、“ワードアドバイザー”としての役割などについて、同氏の作品や著名アーティストの代表曲をピックアップし、存分に語ってもらってきた。第16回目となる今回は、『関ジャム完全燃SHOW』(テレビ朝日系)出演時にzopp氏が話した失恋ソングをテーマにインタビュー。今と過去での失恋ソングに使われるワードやタイトルの違い、名曲に使われている手法に至るまでを聞いた。(編集部)


(関連:zoppが語る、これからの作詞家像「キャッチコピー的な歌詞も書ける人が台頭する」


■「今は“恋愛”の線引きも微妙に」
ーー『関ジャム』では、失恋ソングが減ってきたという話が印象的でした。


zopp:そうですね。世間のニーズがなくなってきているのもあります。そもそも今は“恋愛”の線引きも微妙になってきているじゃないですか。何をしたら恋をしているのか、何をしたら付き合っているのかが曖昧で、「付き合いましょう」とはっきり言わなかったり。そうやって何も事件が起きないと、恋愛を歌詞で表現するのがすごく難しいんです。YUIさんの「CHE.R.RY」くらいの時代はまだ分かりやすかったんですけど。特に失恋に関しては、雰囲気で付き合って雰囲気で別れる、自然消滅するとか、風化することも増えてきたので物語にしづらい。


――“恋愛”自体の変化が失恋ソングの減少につながっている。


zopp:あとは、SNSの影響も大きいと思います。以前ならフラれた方は仲の良い友達じゃないと失恋のことを話せませんでしたが、SNSなら匿名で「こんなことがあった」とつぶやけば、同じく匿名の人たちが「あるよね」と共感してくれるので、傷つくことや恥ずかしい思いをすることが減ったんでしょうね。だから無理に昔ながらの恋愛を描いても浮世離れして聴こえてしまって、リスナーもしっくりこない。


ーー最近の失恋ソングの傾向はどんなものなのでしょう。


zopp:今は個人主義という傾向があるかもしれません。そして、そういう楽曲がタイアップはじめテレビで大きく取り上げられたときにまた共感する人が増えていくんだと思います。例えば西野カナさんは、友だちの話を歌詞にしていると聞きました。それって、回り回って「M」(プリンセスプリンセス)と同じなんです。「M」も富田京子さん(Dr)の話を岸谷香(Vo)さんが曲にしたそうなので。そう考えると個人主義を通り越えて、超他人的なものに変わりつつあるのかもしれません。人の話を聞くと感情が湧く一方、自分が失恋したり、恋をしても感情が動かなくなってきている。だから周りの話を参考にしているというのもあるのではないでしょうか。


――最近印象的だった失恋ソングは何かありますか。


zopp:蔦谷(好位置)さんがあいみょんさんを褒めていたのもすごく分かる気がして。彼女はまず声が良いですし、自分のことを歌っているのかと思いきや、他人の恋愛を歌詞にしていて。俯瞰で見ているがゆえに、冷静に共感する人が多いんだと思います。主観が強過ぎると特定の人しか共感できなくなってしまうんですけど、客観的なので広い層にハマりやすくなる。米津玄師さんも「Lemon」をはじめ、喪失を感じさせる歌が多い。あとはRADWIMPSやback numberも失恋ソングが多いですよね。西野カナさんは現代女子の指南書だと思っていて。「トリセツ」ではファンの人たちのエピソードを聞いて、歌詞に取り入れたりしていましたが、やはり自分が前に出るのではなくて、周りのものを吸収して表現しなきゃっていうマインドに変化しつつあるのかな、と。西野さんはもちろん、back numberや米津さんもそうなんですけど、ドラマや映画の主題歌となると、原作や脚本をモチーフにすることになる。つまりある意味では、自分のことではなく“超他人事”を歌っているとも言えますよね。


――タイアップの失恋ソングを書くとき、シンガーソングライターの方とzoppさんのような専業作家の方で違いはありますか。


zopp:失恋ソングではないですが、以前、『ONE PIECE』の映画の主題歌としてNEWSの「サヤエンドウ」という曲の歌詞を書いたとき、過去の『ONE PIECE』の曲の歌詞をすごく研究して。なるべく被らないように、というのを意識しましたが、多分、シンガーソングライターの方はそこまで気にせずに、物語に自分の感情や体験を合わせて書いたりすると思います。


――失恋ソングに使うワードのバラエティは変化しているのでしょうか。


zopp:失恋ソングが減っているので、言葉のバリエーションも減っていると思いますね。以前は通信手段が一つの大きなキーワードだったんですよ。曲で言えば「ポケベルが鳴らなくて」(国武万里)もそうですが、公衆電話で電話をかけているけど繋がらない、受話器を置いたら10円玉が落ちてくるというような描写もその時代ならでは。その音に物悲しさを感じたりもするじゃないですか。それが携帯電話からスマホ、iPhoneに変わり、今はLINEに変わり……おそらくLINEやiPhoneって、固有名詞すぎて歌詞に出しづらいと思うんですよね。


――もしかしたら今後、「ブロックする」なども失恋ソングに重要なワードになるかもしれませんね。


zopp:既読無視恋愛とか(笑)。でも“スマホ”というのもまだしっくりこないというか、「スマホを忘れた」と言うよりはつい「携帯を忘れた」と言ってしまう。最近はスマホで電話せずにチャットやLINEで仕事も連絡も恋も済ませちゃう、みたいな感じになってきて、むしろ電話されるとちょっと引くという人もいる。電話がない時は会いに行かなきゃいけないし、電話がメインの時には長電話していた。メールやLINEはは少し前に書き溜めたものを一気に送ることもできますけど、すぐに終わってしまうので、便利なんですけど、そこにあまり感情はないなって。感情を表現するのが芸術やエンターテインメントだと思うので、それがなくなるとつまらなくなってしまう気がしますね。


――反対に、昔も今も使われ続けている失恋ワードはありますか。


zopp:昔から、天気は変わらない事象ですよね。悲しいと雨が降りますし、嬉しいと晴れますし、不安だと曇る。そういう決定的なイメージがあると思うので、今後も失恋の歌では欠かせないワードなのかな、と。感情をそのまま表現するとまっすぐすぎるので、季節や気候で自分の気持ちを代弁してもらうのが良さなんだろうなと思います。僕もテゴマスの「アイアイ傘」という曲の歌詞で、天気をモチーフに使ったことがあります。失恋というより意気地なしな男の子を描いた曲でしたけど。相合傘ってすごく密接な空気感じゃないですか。すごく近くで会話できますし、音がうるさいからこそ聞き耳を立てたり、口元を近づけて話さないといけない。そういうシチュエーションの歌詞だと雨が降っている意味もありますが、『関ジャム』でも言ったように何となく物悲しさを演出したくてとりあえず雨を降らせる曲も多いんですよね。ただ事実を書いているだけというか。


■「RADWIMPS『me me she』はもはや発明」
――天気を上手く使っている楽曲にはどういうものがあるんでしょう。


zopp:竹内まりやさんの「駅」ですかね。タイトル通り、まさに駅が舞台なんですけど雨をモチーフにしていて。やはり失恋の歌で少し暗い曲。<見覚えがある レインコート>から始まるんです。“雨”というワードを使っていなくとも、レインコートを着ているので雨が降っていることを間接的に伝えています。その後も“雨”は出てこなくて、最後が<雨もやみかけた この街に ありふれた夜が やって来る>。始まりと終わりに雨にまつわる歌詞があるのが非常に上手いと思います。


――駅という場所も良いですね。


zopp:たしかに、昔の友達と道端で会うことはなかなかないですが、駅で会うことは結構ある。東京は電車社会なので、電車の方が物語がありますし、説得力が増しますよね。<一つ隣の車輌に乗り>という歌詞もそうですが、場所を本当に上手く生かしているな、と。<二年の時が 変えたものは 彼のまなざしと 私のこの髪>とか、多くを語っていなくて、短くなったのか、茶髪になったのか、と想像させますよね。<うつむく横顔 見ていたら 思わず涙 あふれてきそう>とか、悲しい時に聴くと、辛いことがあってうつむいているんだろうなと思いますが、自分がハッピーな時だと、うつむいていたのは眠かっただけじゃないか、みたいに思えますし(笑)。聴く人の気持ちに寄り添ってくれて、カメレオンみたいに色が変わる歌詞ってすごく魅力的で、いつ聴いても色々な表情を見せてくれる感じがします。


――余白が良い具合にあるというか。


zopp:いしわたりさんも『関ジャム』で言っていましたが、“行間を読ませる”というのがすごく大事で。プロの作詞家たちは意図して行間を作って読ませる一方で、シンガーソングライターやバンドマンはもっと感覚的なんですよね。あとは小説の影響もあるのかなと思います。竹内まりやさんの時代の小説って純文学的な、行間を読ませる小説が多かった。今はどちらかと言うと自己啓発本などが多いので、行間を読ませるよりむしろ120%くらい表現してあげないといけない。


――たしかに今はミステリーなどでも、密度の濃いものが多い。


zopp:そういうものを読んで育っている人が歌詞を書くと、自然と密度が濃くなるんでしょうね。小説と歌詞の世界は密接な関係があるし、小説を読まない人は漫画やドラマ、映画をモチーフにした歌詞になる。純文学って失恋のイメージが強いし、アンハッピーエンドも多かった。最近はそういう結末の映画や小説が減って、ちゃんと回収して読み手に寄り添ってくれることが増えているので、そこも作詞に関係しているんだろうなと思いますね。


――米津さんは純文学と漫画を並行して読んでいたそうです。


zopp:だから歌詞にも不思議なフレーズが多いというか、新人類ですよね。そこがキュンとくるんでしょう。昔は漫画を読んでいるとすごく怒られましたけど、今は親も漫画を読んでいるので、漫画を読むことが悪ではなくなっている気がして。だから漫画の与える影響も大きくなってきたんでしょうね。僕は姉が少女漫画大好きだったので、少女漫画を読む機会は多かった。歌詞にちょっと乙女チックな要素があるのも、その影響かもしれないですね。


――『関ジャム』では、zoppさんは“タイトルを顔”と捉えているという話もありましたが、最近の失恋ソングで印象に残っているタイトルはありますか。


zopp:昔はインパクトのあるタイトルが多かったですが、最近は文章のように長いタイトルや、文章の途中で終わっているような、続きが気になるタイトルが多い。例えばゴールデンボンバーさんの「女々しくて」も、「女々しい」だったら分かるんですけど「女々しくて」。SEKAI NO OWARIとか、神様、僕は気づいてしまったとか、少し前に名前が長いバンドが出てきた時に、タイトルにも変化が生まれ始めたように思います。


――昔の楽曲でインパクトがあったタイトルにはどんなものがありますか。


zopp:先ほども話した「M」とか。大人になって「M」が好きな人の頭文字だと知りましたけど、ちゃんと歌を聴いていないと「Mって何?」ってなりますよね。「駅」もそうですが、昔は絵画的な短いタイトルが多かった。その後、「青春アミーゴ」のような外国語と日本語を組み合わせたりするいびつさがキャッチーになっていきました。最近はHYさんの「366日」のように名詞1個に回帰したり、先ほど言ったフレーズの途中で切るというのが増えてきた。最近の曲だと、RADWIMPSさんの「me me she」も、純文学的で、“僕、僕、彼女”と“女々しい”という2つの意味を持たせられるのがすごい。しかも“僕”の要素が強すぎるから「me」は2つで「she」は1個と聞いて、鳥肌が立ちました。もはや発明に近いというか。


――米津さんや、川谷絵音さんなど、言葉選びが得意なアーティストは他のアーティストにも楽曲提供したり、タイアップを手がけることも多いように思います。


zopp:星野源さんも上手いですよね。「ドラえもん」なんかは本当にバランス感覚が絶妙。「恋」もそうですが、星野さんはシンプルなタイトルが多くて、きっとそういう作品に多くふれてきたんだろうなと思います。彼は楽曲の芸術的な要素と、親しみやすいキャラクターという大衆的な要素、二つのギャップが魅力的なんでしょう。実は歌詞も明るさと暗さのギャップが大事で。例えば「打上花火」(DAOKO × 米津玄師)もそうですが、「花火」なんかは暗かったところが急にバッと明るくなる。


――『関ジャム』では「もう恋なんてしない」(槇原敬之)の、主人公から半径0m、5m、100m以上という距離、つまり視点を行き来した歌詞が秀逸だという話もありました。これは失恋ソングによく使われる技法なのでしょうか。


zopp:失恋ソングだけではなく、全ての歌詞、そして小説に共通することだと思います。まずパーソナルな話をして、それを俯瞰で見て、最終的に多くの人が見たらどう思うのかがサビにある、というのは王道の歌詞のパターン。だから、サビをキャッチーにするにはパーソナルな要素を入れないで誰もが抱くような感情を書かないといけないんです。「青春アミーゴ」はずっと主観なので、むしろそこが新鮮に感じられたんでしょうね。米津さんも主観が多いと思いますが、いきものがかりの水野良樹さんの場合、主観はあまり書かないですよね。でもずっと俯瞰で見ると共感しづらくなってしまうので、そのバランスが難しいところです。そこに個性や価値観が表れるんだと思います。


 そのバランスに絶対的な方程式はなくて、その時代のリスナーがどの距離感を求めているのかが大事。すごくいい歌詞を書いても時代に受け入れられない人を僕はゴッホって呼ぶんですけど(笑)、ヒット曲を生むにはピカソになる必要があって。ゴッホは自分の好きなものさえ描いていれば良いというスタンスで死後に評価されましたが、ピカソはマーケティングが上手かった。ヒット曲を生むならピカソみたいに色々な絵を描いたり、恋愛や人間関係、生活模様を見ないと。時代を意識した距離感と、実験的に色々試すことが大切ですね。


ーーこれからの失恋、恋愛ソングの歌詞はどう変化していくと思われますか。


zopp:沢田研二さんの「勝手にしやがれ」みたいに、昔は失恋の歌って大抵女の子がフラれて、男の子が後悔するみたいなものが多くて。それでもかっこつけ続けることが男の美学、という風潮だったんですけど、それが今変わってきていて。男性が女性にフラれる歌詞も増えたように思いますね。僕はこれまで男性アイドルを多く手がけていましたが、最近女性アイドルとの仕事も始めて。女性アイドルの最近の歌詞も恋愛を歌ったものが減っている印象があります。今はアイドルも、女性ファンをいかに増やせるかが焦点になりつつある。今後は“女性が女性に愛される”時代になっていく気がします。


 SNSや二次元との関わりも見逃せないところで、バーチャルユーチューバーなどもさらに市民権を得ていくのではないでしょうか。今後、BUMP OF CHICKENの藤原基央さんが綾波レイのことを思って書いた「アルエ」のような楽曲がもっと増えてもいいはず。多くのアーティストが未だに“昔ながらの恋愛像”を書こうとしているので、もっと多様性のある歌詞もアリなんじゃないかな、と思っています。


(取材=中村拓海、村上夏菜/構成=村上夏菜)


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