いま撮る意味、観る意味がある作品に 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』に込められたメッセージ

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2018年07月21日 12:02  リアルサウンド

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 漫画『エースをねらえ!』に登場する有名なキャラクター「お蝶夫人」は、高校生にも関わらず、なぜ「夫人」と呼ばれているのか。その答えは、日本では雲の上の存在だと思われていた、一流の海外女子選手にある。この作品が描かれた70年代、女子テニス選手ビリー・ジーン・キングや、マーガレット・コートのことを、日本では「キング夫人」や「コート夫人」という尊称で呼んでいたという事情があるのだ。「お蝶夫人」には、彼女たちへの尊敬が込められている。


参考:「観客をいきなり1973年に連れて行きたかった」 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』監督インタビュー


 『エースをねらえ!』の主人公「岡ひろみ」は、作中で世界の大会に進出した際に、女子テニス界を代表する選手であり、長きにわたりテニス界で活躍したビリー・ジーン・キングをモデルにした「キング夫人」と対戦し、彼女からテニスの精神を伝えられる場面がある。こんなことからも、ビリー・ジーンという選手が、どれだけ偉大だったかという事実の一端が伝わってくる。本作『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は、そんなビリー・ジーンが挑んだ、世紀の一戦を映画化した作品である。


 29歳の女子テニス世界チャンピオン vs. 55歳の元男子テニス世界チャンピオン。ビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスのエキシビション・マッチは、1973年に9000万人の観客・視聴者が観戦したという伝説の試合である。この実際に行われた試合を映画化した『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は、その裏に存在していた“性差別との戦い”や、人間の生き方について考えさせる深みを持っている。そしてなにより本作は、現代の視点が活かされた、いま撮る意味があり、観る意味がある作品である。ここでは、本作の内容を追いながら、そこに込められたメッセージを明らかにしていきたい。


 ビリー・ジーンは当時、女性で初めて獲得賞金10万ドル超えを達成したチャンピオンとして、それまでに最も成功した女子選手となっていた。そんな彼女は、テニス協会の取り決めによって設定された、8倍ものひらきがある男子と女子の賞金格差について問題提起することになる。既存の協会から独立し、自らがスポンサーを獲得し試合をプロモートできるようにと、ジャーナリストのグラディス・ヘルドマンらとともに、彼女はWTA(女子テニス協会)を立ち上げる。それは70年代に盛り上がりを見せていた、男女同権を目指す女性解放運動「ウーマンリブ」とも呼応する動きだった。


 そのためビリー・ジーンは、女子テニス選手のアイコンになったのと同時に、“前進する女性”の象徴的存在ともなった。そこに目を付けたのが、かつてのウィンブルドンの覇者ボビー・リッグスだ。ギャンブル依存症でもある彼は、「テニスコートのハスラー」とも呼ばれた、持ち前の山師のような嗅覚によって、ウーマンリブの急先鋒と思われていたビリー・ジーンと男女対決を行うというアイディアを考えつく。その企画は彼が思った以上の反響を呼び、世界から熱視線を浴びるイベントとなっていく。


 面白いのは、この一連の流れの知られざる内幕を描いているところだ。自ら「男性至上主義のブタ」を名乗って、男女差別を煽るボビー・リッグスを、本作では単純な差別主義者や悪者ではなく、そういった自己演出を試みる人物として、好意的に表現している。家庭に帰れば妻に頭が上がらず、いつもご機嫌を取っているボビーの姿が何度も描かれるのだ。コメディアンとしても知られ、複雑な役柄を演じられるスティーヴ・カレルが、このような二面性のあるボビー・リッグスを演じているというのは効果的である。ここでは、そんなボビーを免罪することで、いったん単純な「男対女」の構図と、そこから生まれるカタルシスを放棄していることになる。


 だが、消えたかのように思われたその構図は、このイベントに期待する観衆や社会の反応によって復活することになる。もともとは陳腐なアイディアに過ぎなかった試合は、本物の男性至上主義者たちによって利用されようとしていたのだ。ビル・プルマンが演じる、元選手のジャック・クレイマーは、協会の代表者として実質的に男女の賞金格差を生み出していた人物であり、さらに彼は試合の結果を「女が男に劣っている」ことの根拠にして、格差の固定化を狙っていたというように描かれている。それだけではない。もしもボビー・リッグスが勝てば、各家庭や職場、学校などで、「女は能力が低いので、格差があるのは仕方ない」という言説が飛び交い、女性の権利向上を妨げる力を強化しかねない。この試合は、もはや社会の陰謀や行方を左右する、巨大な戦いになっていたのだ。


 対戦相手として指名を受けたビリー・ジーンは、この戦いから逃げることも負けることもできなくなってしまう。そんなことは、少女時代から燃える闘志を持って戦い続けてきた彼女自身が許さないのだ。『ラ・ラ・ランド』でアカデミー主演女優賞に輝いたエマ・ストーンは、本作のために7キロ増量し筋肉をつけ、説得力のある体型を作っている。世界の女性の運命を背中に背負うビリー・ジーンの頼もしい後ろ姿が印象的だ。対するボビー・リッグスも、再起をかけた負けられない一戦であるため、両者の闘志は火花を散らす。どちらの気持ちが強いのかが勝敗の結果を決める演出がアツい。


 男女同権を目指す女性たちによる多くの運動は、現代においてですら偏見にさらされることがある。女性であるということで不当に低い待遇を受ける事案が多いことは歴史的な事実であり、改善を求めることは当然の主張であるにも関わらず、男性至上主義者によって、“男嫌いの女”だったり、“逆差別”というようなレッテルを貼られることが少なくない。ビリー・ジーンは、本作において男性を攻撃したり、自分たちが男性よりも優れていると指摘しようとするのでなく、同じように尊敬を受けたいだけだという主張をする。それは「ウーマンリブ」や「フェミニズム」の根本的な理念である。本作は、より自由に生きようとする多くの女性たちが突き当たる、抑圧や偏見という障壁を描く。その壁は、声をあげ戦うこと無しには打ち破れないものなのだ。


 同性婚をしている俳優アラン・カミングが本作で演じている、おそらく同性愛者であろうスタイリストは、本作のビリー・ジーンに「これは手始めだ。いつか我々が自由に愛せる日が来る」と声をかける。ビリー・ジーンもまた、後に同性のパートナーを持つことになる同性愛者だった。もちろん現在も続いている女性の権利向上という戦いとともに、本作は多様な性的指向への社会的理解を勝ち取ろうとする、これからの戦いをも暗示させているのだ。


 ビリー・ジーンが美容師の女性マリリンと恋におちる、サンディエゴの夜の場面は素晴らしい。ナイトクラブで、トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズの「クリムズンとクローヴァー」(”Crimson and Clover”)がかかるなか、媚態を示しながら踊るマリリンを見つめるビリー・ジーン。それぞれの体には、赤と青の照明が当てられている。そして、ついにネオンサインの赤と、青い照明が交じり、紫色に照らされるふたり。そのエロティックな色合いは、空に映る日没後の薄明かりの色と重なっていく。『ラ・ラ・ランド』や『アメリカン・ハッスル』のカメラマン、リヌス・サンドグレンの撮影が見事だ。


 このように観客に我を忘れさせ、没入させるようなシーンこそが、映画に力を与える。同じく同性愛を美しく表現した『ムーンライト』がそうであるように、この優れた描写があることで、本作の価値は何倍にも高まっているといえよう。それが不倫の愛であり、パートナーを裏切っているということは別問題として、本作に与えられた美しさは、社会における多様的な愛への偏見を取り去る一助となっているように思われる。(小野寺系)


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