高岩遼が語る、ソロ作『10』の音楽的挑戦と男の生き様 「無理してでもかっこつけた方が良い」

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2018年10月17日 17:32  リアルサウンド

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 SANABAGUN.、THE THROTTLEという2つのバンドのフロントマンにして、表現者集団・SWINGERZの座長も務める高岩遼が、待望のソロアルバム『10(テン)』を10月17日にリリースした。Tokyo Recordings所属の小島裕規ことYaffleをプロデューサーに迎え、ビッグバンド編成で最新のビートミュージックからジャズスタンダードにまで挑戦し、まさに高岩遼の集大成にして新境地と呼べる仕上がりとなった同作。468日に渡って制作されたというこのアルバムに、高岩遼はその歌声でどんな“男の生き様”を刻み込んだのか。ユニバーサル ミュージックの新社屋に悠々と現れた高岩遼は、自信に満ちた眼差しでその手応えを語り始めた。(リアルサウンド編集部)


参考:SANABAGUN. 高岩遼×KANDYTOWN 呂布、ユニット「ストリート兄弟」で俳優デビュー


■ソロデビューを飾って、故郷に錦を飾る


ーー待望のソロアルバム『10』について、まずはタイトルに込められた意味を教えてください。


高岩:僕は岩手県の宮古市から上京してきて音楽活動を本格的に開始したのですが、ちょうど上京して10年が経過したタイミングで、アルバムのリリースも10月になったので、その意味を込めて『10』というアルバム名にしました。


ーー高岩さんにとっては、音楽活動10周年という記念碑的な意味合いもあると。高岩さんは、SANABAGUN.をはじめ、THE THROTTLEやSWINGERZのメンバーとしても活動しています。改めて、ソロ活動の位置付けを教えてください。


高岩:僕はもともと、ジャズのボーカリストとして天下を取ってやろうと思って上京してきたのですが、東京の音楽シーンに触れて、その状況を知れば知るほど、ジャズのスタンダードだけでスターになるのは難しいかもしれないと考えるようになりました。ジャズが生まれたアメリカとは、お国柄も違えば言語も違うし、いまジャズのスタンダードを歌っても、それは焼き直しにすぎなくて、いまの日本の音楽シーンにインパクトを与えるような表現にはなりにくいと。ではどうしようかと考えて、僕の才能をフルに発揮するための器を作ることにしたんです。


 その一つが、2013年にスタートしたSANABAGUN.で、僕がもともと好きだったスケートやダンス、ヒップホップの要素と、ジャズの要素を掛け合わせた表現でした。そしてもう一つ、ロックのショービジネスへの憧れもあったので、ジャズとロックを掛け合わせた表現ーーより体育会的で身体的な表現として、同年の5月からTHE THROTTLEをスタートさせました。さらに、2015年7月には13人の表現者集団としてSWINGERZを始めました。SWINGERZは「浪漫維新」というコンセプトのもと、いまの時代にかっこよく、粋に生きていくにはどうすれば良いのかを提示する集団で、現代版の桃太郎みたいな劇をやってみたり、ジャズを爆音で流しながら原宿や表参道を歩いたりしました。


 そうしたグループの活動が軌道に乗るのと並行して、水面下ではジャズのスタンダードを歌い続けてきました。僕は故郷を出るときに、宮古の仲間たちに「いつか必ず、ビッグバンドのフル編成でソロデビューを飾って、故郷に錦を飾る」と約束してきたので、今回のソロ作のお話をいただいたときに、いよいよだと思いました。


ーー念願のビッグバンドでのソロデビュー作ということですね。


高岩:SANABAGUN.、THE THROTTLE、SWINGERZでも本当にやりたいことはできているので、それぞれ大事なんですけれど、ソロではより個人的な音楽性を全面に出して、ずっと寝かせていた夢を形にしたという感じです。上京当時とは違って、今は一緒にやろうって協力してくれるバンドメンバーというか、兄弟たちもいますし。高岩遼というアーティストの最前線がこの作品であることには間違いありませんが、今後はソロだけに注力するということではなく、この作品を通じて、各バンドもまた勢いに乗せることを目指しています。各バンドのフロントマンとして、ソロでもバリっとかっこつけてみせたいんですよ、男としてね。


ーーRed Bullのホームページで公開されているショートドキュメンタリー「高岩遼、おまえは誰だ?」では、高岩さんと関係性の深いアーティストや著名人が、その印象などについて語っていました。例えばデザイナーのミハラヤスヒロさんは、今回のソロデビューについて「パズルがハマった感じ」と表現していて、今のお話を聞くと、すごくしっくりくる言葉だと思いました。


高岩:あのドキュメンタリーは、自分からRed Bullに企画を出させていただいたところ、多くの方々が快く協力してくださって形になったんです。僕みたいなペーペーのために時間と手間をかけて、あんなに素敵な映像を撮ってくれたことに対しては、本当に感謝しかないですし、改めて皆さんが高岩遼という男に期待してくれているんだと実感しました。いつかスターになってやるって、これまでビッグマウスでやってきたんですが、いよいよこれはマジでやらなきゃいけないなって、良い意味でプレッシャーにもなりましたね。


ーー皆さん、口を揃えて高岩さんのことを「待ち合わせに便利な男」とも称していましたね。


高岩:誰かが言わせたとしか思えないですけれど、まあ、この顔ですからね(笑)。


■Yaffleのプロデュースで化学反応を


ーー今回の作品は、Yaffleさんがプロデュースを手がけていますが、なぜYaffleさんを起用したのでしょうか?


高岩:Yaffleは今作『10』のディレクターが連れてきてくれました。Yaffleとそのディレクターはビッグバンドの現場で知り合ったそうで、今回のソロ作に化学反応を起こして欲しくて、依頼することになりました。前述した通り、今回の作品にはアメリカのビッグバンドジャズへの憧れが詰まっているのですが、それをそのまま表現するのではなく、何かしらの新しい要素を取り入れる必要があると考えました。Yaffleはジャズに対するリスペクトを持ちつつも、それを既成概念にとらわれないやり方で革新していこうという気概もある男で、しかも僕とディレクターとも同い年なんです。これまでにあったことのないタイプの音楽家で、プロデュースを依頼することで新しい何かが生まれるのではないかとの期待がありました。


ーーたしかに、本作はただスタンダードに挑戦しただけではなく、Yaffleさんならではの尖ったアプローチもあって、そこが高岩さんの新たな一面を引き出していると感じました。共同作業をする中で、何か気づいたことは?


高岩:本作の制作は468日という、過去最長のロングスパンになったのですが、一番苦戦したのは実は歌詞でした。ずっと突っ張って生きてきて、SANABAGUN.やTHE THROTTLEではそういう姿勢のもとにそれぞれのバンドのメッセージを伝えてきたんですけれど、Yaffleたちと話していて、ソロでは高岩遼の弱い部分や人間らしい部分も見せていったら良いのではないかということになって、今回初めて自分自身のストーリーを歌詞に落とし込んでいきました。かなりパーソナルな部分も歌詞にしていて、それがめちゃくちゃ難しかったです。


ーー各楽曲についても掘り下げて聞かせてください。まず1曲目、「Black Eyes」はいわゆるLAビートと呼ばれるヨレたビートに挑戦した作品で、とても新鮮な印象です。


高岩:ヒップホップのイメージがかなり強い作品で、制作の初期の頃に手がけた楽曲ですね。高岩遼の登場を印象付ける楽曲として、キング感というか、ファラオっぽい感じの曲調になっているのがポイントです。一方で歌詞では、アルバム『10』を象徴するように、先ほど言っていたような個人的な話をする内容で、僕が僕自身に語りかけるものになっています。ビートはYaffleが手がけているんですけれど、ビッグバンドのサウンドをサンプリング的に使っていて、すごくセンスが良いですよね。ビートはヨレているんだけれど、スムーズに歌を乗せることができました。


ーー2曲目の「Strangers In The Night feat. Sho Okamoto (OKAMOTO’S)」では、OKAMOTO’Sのオカモトショウさんを迎えて、ジャズのスタンダードナンバーに挑戦しています。


高岩:僕にとってフランク・シナトラはフェイバリットアーティストなので、「Strangers In The Night」は19歳くらいの頃に歌ったことがあるんですが、その時はまだ歌える曲じゃないなという感じでした。でも、ショウくんの親父さんが1930年〜1950年代の黄金期のジャズが大好きで、ショウくん自身もシナトラファンだということがわかり、じゃあ一緒にやろうということになって、改めて挑戦してみることにしたんです。アレンジは、今回のビッグバンドでピアノを弾いている千葉岳洋という男で、彼は東大元相撲部主将です。ネオソウル感もありつつ、若々しいフレッシュな雰囲気もあって、これまでにない「Strangers In The Night」になったんじゃないかな。


ーー同曲の後にはインタールードが挟み込まれています。本作ではところどころでインタールードが入っていて、独特の味わいをもたらしていると感じるのですが、この試みにはどんな狙いが?


高岩:今作にはYaffleによるオリジナル曲と、千葉によるスタンダードのアレンジが混在していて、それらを一枚のアルバムとして形にしようと考えたときに、間を繋ぐ何かが必要だということになり、ヒップホップのスキットみたいなイメージでインタールードを挟み込むというアイデアが生まれました。僕がリスナーに向けてショーを披露しているようなイメージで、間には実の母親の声も入っています(笑)。


ーーなるほど、それで次の「Blame Me」から、作風がまたガラリと変わると。


高岩:「Blame Me」はYaffleが以前、スウェーデン人のニコラスというボーカリストとのセッションで作った曲で、「遼くんに合うんじゃない」と提供してもらった楽曲です。英語詞であることも含めて、良い感じでアクセントになっている楽曲だと思います。そしてインタールードを挟んで、次の「ROMANTIC」に行くわけですけれど、これはアルバムリード曲として作ったものでした。最高にキャッチーな作品にしようと、Yaffleが提案してくれたいくつかの楽曲から選んだトラックで、高岩遼流のラブソングに挑戦しました。ファンキーな仕上がりで、気に入っていますね。


ーー次の「Ol’ Man River」は、またしてもスタンダードナンバーに挑戦した楽曲ですが、これは比較的、原曲のイメージを大事にしている印象です。


高岩:フランク・シナトラがメトロ・ゴールドウィン・メイヤーのミュージカルで歌ったアレンジをもとにしていますね。この曲はもともと、『ショーボート(Show Boat)』というミュージカルの挿入歌で、ミシシッピ川の周辺で働かされていた黒人たちが「もう生きるのも嫌だけど、ミシシッピ川みたいにおおらかな存在になりたい」と歌うブルージーな楽曲なんです。当時まだ若かったフランク・シナトラはイタリア系アメリカ人ですが、同曲を歌うときには少なからず、彼らにシンパシーを抱いていたはず。そこに深い意味を感じて、今回歌わせていただくことにしました。僕は28歳の日本人で、もちろんまだこの曲を歌いこなせる実力はないと思いましたが、それでも挑戦してみたかった。「Ol’ Man River」は、一生かけて歌い続けていきたいですね。


ーー脈々と受け継がれているブルースの感覚を、日本人として表現していきたいと。“死ぬまで生きる”と歌う「I’m Gonna Live Till I Die」はどうでしょう?


高岩:これはまさに僕がやりたかった、スウィングのビッグバンドという感じのアレンジです。僕が銀座でボウイをやっていたときに、店にとある占い師がやってきて、「35歳くらいで死ぬ」と言われたんですよ。しかも、それが一回ならまだしも、少し間をあけて3人の占い師に同じことを言われたんです。くだらねえと思って、その時に僕はフランク・シナトラが「死ぬまで生きる」と歌っていたこの曲に、気持ちを重ねて生きることにしました。今回、ソロで作品を仕上げるにあたって、ぜひ歌いたかったんですよね。


ーー「Someday Looking Back Today (Space Neon)」はソウルフルでありながら、スペーシーな雰囲気もあって、ユニークな一曲です。


高岩:まさにビッグバンドみたいなイメージの一曲も入れたかったんですけれど、Yaffleはそのまんまじゃダサいというので、お互いに意見を擦り合わせて作り上げていったのがこの曲です。トラップビートを入れたり、偏屈だけどユーモアがある歌詞にすることで、ユニークな楽曲に仕上がったと思います。踊りやすい楽曲だから、クラブとかでもかけてほしいですね。


ーーそこから一転して、メランコリックなイメージの「Sofa」へ。


高岩:これは僕が22歳ぐらいの時に、育ての親となってくれた宮古のおじいちゃんとおばあちゃんに向けて作詞作曲した楽曲です。彼らの愛情があったからこそ、僕は今ここにいるようなものなので、その感謝の気持ちを込めたラブソングになっています。昔は居間のソファに二人で仲睦まじく座っていたんですけれど、先におばあちゃんが亡くなって、その後はおじいちゃんが一人でポツンと座っていた。無口な人だったけれど、きっと心の中ではおばあちゃんのことを考えていたんだろうなと、その気持ちを歌で表現してみたんです。短いけれど、僕にとっては大事な曲です。


ーー「Try Again」ではポエトリー系のラップを披露しています。


高岩:これは一番最初に仮歌とトラックができていた曲で、最初はもっと歌モノにする予定だったんですけれど、音楽で出会った仲間へ向けたアンサーソングということで、いっそのことラップにしてしまおうと。これも全体の中ではアクセントになっているのかなと。次の「TROUBLE」は、踊れる感じの楽曲だけど、歌詞はブルースで、新しいリズムやグルーヴの中で高岩遼らしさを表現する一曲になっています。足しすぎもしないし、引きすぎもしない、絶妙な仕上がりのバランスになりました。


ーー最後の「My Blue Heaven」はスタンダード中のスタンダードで、日本でも高田渡さんをはじめとした様々なアーティストがカバーしています。


高岩:SWINGERZの一員に、橋詰大智というジャズドラマーがいるんですけど、彼は大学の同期で、僕の中での“キング・オブ・ジャズ”なんです。素晴らしいドラマーで、ジャズに愛されると同時に、呪われてる男というか。彼とはおたがいにライフワークとして、ジャズスタンダードのライブをやり続けてきたので、今回の作品でもぜひ一緒にやりたかった。そこでトラディショナルなアメリカのスタンダードであり、同時にこれまで多くの日本人アーティストがその魂を歌ってきた同曲に挑戦することになりました。一曲目の「Black Eyes」が陰だったら、「My Blue Heaven」は陽というイメージで、最後の締めとなる遊びの一曲にもなっています。


■永ちゃんは男の憧れ


ーー国内外の音楽シーンで、最近気になった作品やアーティストは ?


高岩:その辺りは自分の課題でもあるのですが、あまり最近の人の作品を聴かないんですよね。もちろん、良いものは良いと思うし、耳を傾けるべき作品はあると思いますが。最近だと、永ちゃん(矢沢永吉)のライブに行けなかったのが悔しかったかな。あと、星野源さんの活躍ぶりに嫉妬を禁じ得ないところはあります(笑)。音楽シーンについて、思うところがあるとしたら、僕らの世代でバリバリのロックンロールをやっているミュージシャンは少ないのかなと。今はアーバンなサウンドの洒落たミュージシャンが多いけれど、もっと男臭くて無骨な音楽をやるロックバンドが、またハマる瞬間も訪れるのではないかと思います。


ーー今の時代は確かに、矢沢さんみたいに野心的でギラギラしたアーティストは少ないですね。


高岩:永ちゃんはやはり男の憧れですよね。歌がうまいのはもちろん、その背景にある人生も含めて、訴えかけてくるものがあります。永ちゃんのようにかっこよく生きて、高岩遼が死ぬときには「あいつは本当に良い男だった。どんなに金があっても驕らず、気配りのできる男だった」と、たくさんの人々に惜しまれながら死んでいきたいですね。そして、学校の卒業アルバムの最後にある近年の主な出来事をまとめているページに「高岩遼死去」と書かれるーーそれが夢ですね。


ーーロケット打ち上げ成功とか、たまごっち大流行みたいなことが書いてある欄ですね。


高岩:そうそう、そういうノリで「高岩遼死去」と載っていたらかっこいいですよね(笑)。そういうレベルの偉人になるには、富とか名声だけを追い求めるだけではなく、もっと内面も磨いていかないといけないなと思います。もっと苦労して、挑戦して、サバイブしていかないと。とりあえず、今年は無理をしてでも車を買おうかなと。まずは三菱のデボネアという、ビシッと決めたセダンを手に入れたいですね。永ちゃんの生き様を見ている限り、やっぱり男は無理してでもかっこつけた方が良いと思うし、ましてやミュージシャンなんだから、突っ張って生きていかないと。12月12日、フランク・シナトラの誕生日にライブをするんですけれど、これも無理してビッグバンドの編成でやります。スタンディングのライブハウスで、ビッグバンドを楽しめる機会なんてそうそうないと思うので、ぜひ高岩遼の晴れ姿を観にきてやってください。(取材・文=松田広宣/写真=林直幸)


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