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2018/06/07 12:38 配信のニュース

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2018年06月07日 12:38

  • ベトナム反戦運動や安保闘争をはじめ、平和や人権、公害問題などの幅広い分野で論陣を張り、戦後の市民運動をリードしてきた>ここでもう読むのを止めた。まあ成仏しろやジジイ
    • 2018年06月07日 14:39
    • イイネ!27
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  • どうしてネトウヨというのは死者に敬意を払えないのかね?自分と考え方を異にする相手であっても、死者の冥福を祈れないというのは人として欠陥を抱えているとしかいえない。人間性の問題だよ。
    • 2018年06月07日 15:20
    • イイネ!24
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  • ベ平連?この連中こそ、身近にいる恐怖であったと思う。私が朝日新聞に投書して連れて行かれた先がまさに、ベ平連だった。ベトナム戦争がとっくに終わっても行き続け、今も存在するのではなかろうか
    • 2018年06月07日 16:15
    • イイネ!22
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  • 北海道では先日 日高晤朗さんがおなくなりになりました。
    • 2018年06月07日 13:18
    • イイネ!16
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  • あらままだ生きてたんだ。とっくに毛沢東とかスターリンのいる魔女の婆さんの大釜に移住されたと思ってたんだが、こりゃまた失礼。結局最期まで反省せずでしょ。まあ、ご冥福を。
    • 2018年06月07日 13:10
    • イイネ!15
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  • 「反戦運動」から「何でも反米」に変遷したべ平連から、開高健は距離をとった。それを小田実は「裏切り者」と批判。開高と小田は絶縁する。小田は開高の死後も、批判し続けた。
    • 2018年06月07日 14:56
    • イイネ!12
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  • 生きていたのか!
    • 2018年06月07日 13:00
    • イイネ!12
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  • 昔は戦う学者さんがいたもんな。。 天国では平穏に。合掌
    • 2018年06月07日 13:01
    • イイネ!10
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  • 「民主主義は自分が探し求める平等に出会ったとたん,自由を軽視し始めたのであった」(フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン「墓の彼方からの回想」)
    • 2018年06月07日 20:44
    • イイネ!9
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  • 「その行きつく先は世界解放思想であり,国境をなくし,国家をなくせば虐げられた人たちは解放されるという幻想です」( 「日本の敵・グローバリズムの正体」飛鳥新社)
    • 2018年06月07日 17:26
    • イイネ!9
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  • 「戦後思想を考える」を著した日高先生であれば、平和や人権が大嫌いなmixiの有象無象にも諦めず丁寧に平和の大切さを諭したことだろう。今の日本に最も必要な知性が失われてしまった。
    • 2018年06月07日 15:40
    • イイネ!9
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  • 「自由からの逃走」というが、あの時代のドイツは混乱し、共産主義者の暴力が横行していた。所謂『ナチズム』の抬頭にはソ連への恐怖と旧戦勝国、そしてユダヤ・コネクションへの憎悪が働いていた。
    • 2018年06月07日 22:32
    • イイネ!8
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  • 胡散臭い職業だことwww
    • 2018年06月07日 20:01
    • イイネ!8
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