在日朝鮮人2世として生まれ、外国籍で初めて芥川賞を受賞した作家の李恢成(り・かいせい)さんが5日午後1時38分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。旧樺太(ロシア・サハリン)生まれ。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻許承貴(きょ・しょうき)さん。
戦後日本に引き揚げ、札幌市に移住。早稲田大を卒業後、朝鮮新報社の記者を経て、1969年に「またふたたびの道」で群像新人文学賞を受賞しデビュー。貧しくもしたたかに生きた母を描いた「砧(きぬた)をうつ女」で芥川賞(72年)、在日の人々の試練を捉えた「百年の旅人たち」で野間文芸賞(94年)を受けた。
在日文学の文芸誌「民涛」の発行などを通し、祖国統一の機運を高めようと努めた。98年、韓国で金大中政権が発足したのを機に韓国籍を取得した。