タワレコ、「推し活グッズ」に舵を切り早10年…変遷する渋谷文化と推し活への潮流を紐解く

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2025年02月06日 08:40  ORICON NEWS

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神南1丁目移転から今年30年目を迎えるタワーレコード渋谷店
 “推し活”市場が拡大する中、「推し活グッズ」の元祖ともいわれるタワーレコードの「銀テープフォルダ」(2015年)発売から10年目を迎える。これまで洋楽はもちろん、“渋谷系ムーブメント”などさまざまカルチャーを発信し続けてきたタワーレコード渋谷店は、いち早くK-POPにも注目し、“推し活の聖地”とも呼ばれるポジションを確立。同店の昔からの名物である“手書きポップのレコメンド”は、いまの推し活ブームへとつながっている。変遷する渋谷文化と推し活への潮流を、タワーレコード渋谷店を軸に振り返ってみる。

【写真】推し活グッズの元祖「銀テープフォルダ」!坂本龍一さんや桜井和寿の言葉がしみる「NO MUSIC NO LIFE.」ポスターも

◆推し活に馴染みのない10年前に、ファンのニーズに応えた社員考案の「銀テープフォルダ」がブームの始まり

 推し活がブームになり、いまや100円ショップを始めさまざまな企業で展開の「推し活グッズ」だが、もともとはタワーレコード店員のアイデアから生まれた2015年の「銀テープフォルダ」や「チケットファイル」、「うちわカバー」などから始まっている。タワーレコード店舗事業本部本部長の長谷川真人さんは、その経緯をこう振り返る。

「当時は“推し活”という言葉が浸透していなかったのですが、男性アイドルグループを始めとするファンベースに向けた取り組みを、店舗事業全体として、CD販売促進を目的に強化していました。その頃、ファンはコンサートの銀テープを保管するために100円ショップのアイテムなどを工夫して自分でホルダーを作っていました。その情報をキャッチしてすぐに商品開発をスタートしました。

 また、メンバーのカラーを意識した雑貨を販売する店舗もあり、それを上手く組み合わせたら、新たなニーズを掘り起こせると考え、グッズの種類を広げていきました。当時、弊社では『推し色グッズ』と呼んでいましたが、ファンが欲しいと思っているものの商品化を進めました」(長谷川さん)

 「推し活」という言葉が一般的に使用されるようになったのは2010年代後半以降。2021年に「新語・流行語大賞」にノミネートされ、急速に一般に浸透している。「銀テープフォルダ」が発売された当初は、推し活に対して一部の熱狂的なファン文化というイメージもあった。「推し活グッズ」の元祖ともいえるタワーレコードは、市場の変遷と現況をどのように捉えているのだろうか。

◆スタッフがファンと同じ目線でグッズ制作、熱量が伝わる“手書きポップ”で築いたファンとの信頼関係

 商品部の蓮田由希さんは「2018年くらいから推し活の裾野が一気に広がり、コロナ禍以降、市場はさらに拡大しています」とし、同時に推しの原動力となる感情にも、従来の「好き」だけではなく、「尊い」「愛でたい」などバリエーションの広がりがあるという。

「日常生活の中で推し活をする層が広がるのと同時に、熟成している印象があります。それに応えるように、市場の商品バリエーションやプロモーションが多様化し、同時に競合企業も増えてきている状況です。弊社では、商品ではなくファン目線を起点として、いかに共感し支持を得られるのか。それを継続していくことで、時代の変化に応えています」(蓮田さん)

 2010年代後半に、推し活が時代の流れを受けて市民権を得た背景について、蓮田さんは「SNSを通じて、自分の推しに関する情報を発信してファン同士でつながり、推しを通して自己表現することが、当たり前の文化になりました。それがひとつの大きな要因だと考えています」と分析する。

 推し活の対象も、かつてはアイドルがほとんどだったが、いまではキャラクターにも広がり、需要の拡大に即してグッズ開発が進んだ。現在タワーレコードの「推し活グッズ」は400種類を超え、ここ数年は毎年20品目ほどのペースで増え続けている。昨年売上は前年比150%。コロナ禍を除くこの10年で右肩上がりの成長を続け、発売当初から300%以上の伸びになっているという。

 商品開発で大切にしていることは、「推す人と同じ目線で『あるといい』が、アイデアの基本になります。既存の雑貨と比較して、使いやすく、ひとひねりある便利グッズなどのアイデア商品を開発することを心掛けています」と蓮田さんは語る。

 加えて、その商品開発には、店頭での「手書きポップのレコメンド」で知られるタワーレコードならではの“らしさ”がある。

「推しがいるスタッフが多いので、ファン目線に添った気の利いたものが、他社よりもあるのだと思います。一見、同じようなグッズでも、ファンやアーティストに対してフレンドリーな要素を盛り込み、クオリティを追求しているのがタワーレコードの強みです」(長谷川さん)

 スタッフは全員音楽好き、その気持ちが手書きポップに表れ、熱量がファンに伝わり信頼へとつながる。それがタワーレコードのブランド力にもなっている。

「ファン目線で、ファンが喜んでくれることを積極的に店頭で表現して、発信する。そんな社風があります。それが推し活と親和性が高く、良い方向に作用していると思います」(長谷川さん)

◆どんなトレンドにも対応した売り場づくりと時代のニーズを捉えたレコメンド施策が強み

 タワーレコード渋谷店は1981年に宇田川町で開店し、1995年3月に現在の神南1丁目に移転オープン。今年移転30年目を迎える。もともとは外資系レコードチェーンであり、80年代は洋楽がメインだったが、90年代以降はJインディーズや渋谷系カルチャーの受け皿も担った。その後、アイドルシーンの盛り上がりとともに、アイドルを応援するファンに向けてもさまざまなな取り組みを行うようになった。

 一方、ももいろクローバーZやでんぱ組.incといったコアなファン層を持つアイドルのほか、K-POPグループも、時代の流れの中でいち早く推していた。そこには、渋谷というカルチャーを発信する街で、タワーレコードが担ってきた役割がある。そんな話を振ると長谷川さんは「渋谷は昔から、最先端のトレンドとサブカルチャーが同居する街でした」と振り返る。

「もともと洋楽やJインディーズを中心に、それを好きなスタッフがレコメンドして、お客様がそれに応えてくれる。音楽ジャンルやカテゴライズが変わりながらも、変わらない芯としてやってきました。その中で、時代のトレンドやニーズを感じ取り、いわゆる推し活のような形の店頭の取り組みをしてきました。

 そうした中、ターニングポイントになったのは、K-POPだと思います。その時の取り組みが、世の中全体の推し活ブームとマッチして爆発的に支持されたと考えています。私たちはあらゆるジャンルの音楽ファンに向け、常にさまざまな取り組み行っていますが、時代の移り変わりに敏感に反応し続けたひとつの結果として嬉しく思っています」(長谷川さん)

 一方、音楽配信が一般的になりつつある時代の中、タワーレコード渋谷店の現在を、どう位置づけているのだろうか。

「モノ消費からコト消費にマーケットが変わっていく中、ライブやイベント、展示などを来店し、楽しんでいただく。推し活はそこに密接にリンクします。それがセットになり、結果としてパッケージが売れるという流れに変わっています。そのスタイルの変化を意識しています」(長谷川さん)

 渋谷はいまも昔も、世の中の最先端のトレンドとサブカルチャーが混じり合い、多様なコンテンツが集まる街であり、その移り変わりはとてつもなく速い。しかし、発信する文化は変わっても、街そのものの背景は変わらない。広報の谷河立朗さんは、タワーレコード渋谷店の文化についてこう語る。

「アイドルやK-POPだけでなく、クラシックなど、あらゆるジャンルを取り揃えた規模感のある店舗の特徴を活かした豊富な品揃えの中に、渋谷の街そのものや、お客様が求めるものがありました。そこに、音楽に精通したスタッフがいる。どんなトレンドにも対応して売り場を変え、時代のニーズを捉えたレコメンド店頭施策を実施する。それが強みになってきました。

 いま渋谷は“推し活の街”とも言われていますが、昔と変わらずファッションの街であり、サブカルチャーの街であり、ごった煮の街の文化でもあると思うんです。その中からさまざまなトレンドが生まれ、お客様のニーズに応えながら、半歩先を提案してきました。それが続いて、渋谷カルチャーの発信拠点のひとつになっていったと考えています」

 「推し活の街」として注目される一方、訪日外国人旅行客が増える中、渋谷の街は彼らの受け皿になっているが、タワーレコードもそのひとつを担っている。

「海外に目を向けると欧米では、パッケージ(CDやBlu-ray Disc)を販売する店舗は殆どありません。タワーレコード渋谷店は、世界最大数のパッケージがあふれる場所として海外の音楽ファンにもご注目いただけるようになりました」(長谷川さん)

(文/武井保之)

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  • タワレコが日本進出の話が面白い。80年代半ばに大阪でもなんば南街劇場地下に開店。しかしそれは日系米国人が札幌で始めた非公認の店舗。それで米本部のタワレコは彼らを抱き込む形で進出した。
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