「打撃だけならプロでも通用する」 カリビアンシリーズで日本の4番を務めた現役営業マンの正体

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2025年02月15日 07:20  webスポルティーバ

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 メキシコのメヒカリで開催された第67回カリビアンシリーズは現地時間(以下同)2月7日、ドミニカ共和国代表として出場した「レオネス・デル・エスコーヒード」の優勝で幕を閉じた。

 ドミニカのロビンソン・カノ(元マリナーズなど)やジョニー・クエト(元ジャイアンツなど)という元メジャーリーガーや、メキシコのジャフェット・アマダー(元楽天など)やベネズエラのエドウィン・エスコバー(元DeNAなど)という元NPB組たちも出場したなか、大会で異色の存在だったのが日本から特別招待された「ジャパンブリーズ」の4番打者・佐藤竜彦だ。

【現役を引退し社業に専念】

「僕は正直、この大会に参加している皆さんとは目的が違っていて。現役はもう一度引退しているんです」

 熱心なドラフトファンや社会人野球ウォッチャーなら、佐藤の名前を聞いたことがあるかもしれない。ホンダが2020年に都市対抗野球で優勝した時の主力打者で、「打撃だけならNPBで通用する」と言われてきたからだ。

 現在30歳の佐藤は2023年限りでユニフォームを脱ぎ、社業に専念することに決めた。

「都市対抗で日本一を獲って、社会人日本代表でもずっと4番を打っていたので、もう高みがなくなってしまったからです。面白くなくなってしまって......。だから野球は早めにやめて、自分がやりたいことをやれるためにビジネスマンとしてのスキルを身につけたいと自ら引退しました」

 ホンダの営業マンとして働く佐藤は今回、有給休暇を取ってカリビアンシリーズに参加した。社会人野球を代表する元スラッガーが、世界的大会に導かれる道は運命的だった。

「カリビアンシリーズに出るから、長距離打者を探している。ぜひ来てくれ」

 2024年7月、フィリピンのマニラへ恵まれない子どもたちに野球を教えに行った際、同じ目的で来ていたジャパンブリーズのアレックス・ラミレス監督(元DeNA)からそう誘われたのだ。

 じつは、佐藤とラミレスは以前から面識があった。父の真一は1996年から2005年までヤクルトでプレーし、ラミレスとチームメイトだったからだ。

「お久しぶりです。でも僕、もう引退したんですよ」

 佐藤が断った翌日、ラミレスはネット上にある彼の打撃動画をチェックしたうえで、さらなる誘いをかけた。

「オレだったら、もっと君のバッティングを伸ばせるから、おいで。楽しいよ」

 1949年に始まったカリビアンシリーズは数々のメジャーリーガーも出場し、世界的に認められる権威ある大会だ。佐藤はその歴史を聞いたことがあり、「面白そう」とジャパンブリーズへの参加を決めた。

【MLB通算144勝投手からヒット】

 だが、すでに野球は引退しており、今は会社員の立場だ。月曜から金曜まで出社し、毎日帰宅は夜9時頃になる。10時からウエイトトレーニングをして体を鍛え直したが、バットを握るのはたまに近所の公園で素振りをするくらいだった。

 昨年12月、ジャパンブリーズの遠征でベネズエラを訪れ、現地ウインターリーグのオールスターチームと親善試合を行なうまで実戦練習は一度もできなかった。単純に、練習場所がなかったからだ。

「ベネズエラでは体が全然動きませんでした。その後は2回くらい(母校の國學院久我山)高校に行って、室内での置きティーとか、すごくスモールな練習をしました。あとはイメトレですね。映像で中南米のピッチャーを見て間合いをとれば、何となくこういう感じかとわかるので。あとは素振りをしながらイメージで練習している感じです」

 今年2月1日、そうして迎えたカリビアンシリーズでは、ジャパンブリーズで最も打棒を発揮する。佐藤はメキシコに行く前から、それなりに自信があったと語る。

「社会人の7年間で、自分のバッティングをかなり研究しました。理論がだいぶできてきたので、正直、体を鍛えたら戦えるかなと思っていたんです。実戦感覚がどうかというのは多少ありますけど、体が一番大事なので」

 カリビアンシリーズでは4試合ともに4番指名打者で先発し、16打数5安打で打率.313。初戦のドミニカ戦ではMLB通算144勝のジョニー・クエトからレフト前安打を放った。続くプエルトリコ戦では右中間を破る三塁打を含め、5打数2安打の活躍を見せた。

 2023年に西武でプレーし、プエルトリコ代表「インディオス・デ・マヤゲス」の一塁手として出場したデビッド・マキノンも称える打撃だった。

「ライトの頭上を超えたスリーベースはいい一打だったね。本当にすばらしいスイング軌道で、彼のバッティングには感心したよ」

 チーム打率.200に終わったジャパンブリーズのなかで、広角に打てる佐藤の打撃技術はひときわ光っていた。その裏には、ラミレス監督のアドバイスもあったという。

「ラミちゃんにバッティングを教えてもらって、今までとグリップの握り方が変わりました。よく日本人は『傘を持つように』と言われるけど、ラミちゃんは両指の第二関節を合わせるような持ち方で、『メジャーリーガーのいい選手はこう打つ』と教わったら、スムーズにボールまでバットを出せる感覚がわかりました」

 プエルトリコ戦で右中間に放った三塁打は、現役時代ならスタンドインしていたはずだと言う。当時から体重が約10キロ落ち、打球が飛ばなくなったからだ。

 それでも、ほとんど実戦練習せずにカリビアンシリーズでラテンの一流選手たちと遜色ない打撃をできるのだから、野球を続ければいいのにと思わずにはいられなかった。

 率直な感想を伝えると、佐藤は笑顔でかぶりを振った。

「NPBのスカウトにも『打撃だけならプロで通用する』と言われていたけど、結局、自信がなかったんですよね。父から『プロに入るのはたぶんできるけど、一軍で活躍できる自信や実力がなければ入ってはいけない』と言われていました。自分が相当苦労したからだと思います。父の周りの人たちが毎年退団になっていたように、厳しい世界です。長期的に見たら社会人野球に行って、毎年いい給料をもらったほうがいいのかなと思いました」

【いつか中南米で仕事をできるように】

 もともと野球は立教大学でやめるつもりだった。パイロットになろうと就職活動していた頃、ホンダ野球部への入社が決まった高校時代の友人から「竜彦、一緒にやろうよ」と誘われ、「勝手に運命を感じた」という。

 現役引退後、カリビアンシリーズにも赤い糸で結ばれているかのように導かれた。

 アメリカ、メキシコ、日本のスカウトらが熱視線を注ぐなか、ジャパンブリーズの独立リーガーやNPBを自由契約となった選手たちは契約につながるアピールをしようと緊張の面持ちを浮かべる一方、佐藤はまるで力みのない表情だった。公式戦のグラウンドに立つのはおそらくこれが最後だ。バハ・カリフォルニア州を照らす日光を全身で浴びながら、ラテンの名手たちと野球を満喫した。

「中南米には危ないという印象があったけど、来てみると全然違いました。危ないところはもちろんあると思いますが、人の温かみをすごく感じられて。大学で就職活動している頃に商社も考えたけど、危険な国に行くこともあると聞いて、無理と思ってやめたんです。でも大学生の時に中南米に来ていたら、また考え方が変わっていただろうなと。いつか中南米で仕事をできるように、僕も頑張りたいなと思いました」

 カリビアンシリーズは中南米最高峰の舞台であり、フリーエージェント(自由契約)の選手たちが野球人生を切り開くべく勇姿を見せる場という意味合いもある。

 一方、日本から有給休暇をとって参加した会社員の佐藤には、今後の人生につながる価値観を得られた大会だった。

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