みのもんた、光と影の半世紀―名司会者の生涯を振り返る

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2025年03月17日 01:00  サイゾーオンライン

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みのもんた(写真:サイゾー)

「日本で一番忙しい司会者」とも称され、最盛期には16本のレギュラー番組を抱えていた人気司会者・みのもんたさん(享年80男)が、3月1日に逝去したことがわかった。

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 立教大学卒業後の1967年、文化放送に入社し、『セイ!ヤング』の初代DJとして人気を集めたみのさん。1979年に同社を退社すると、父親が経営する水道メーター製造・販売会社「ニッコク」に入社し、フリーアナウンサーと会社員の“二刀流”で活躍した。『午後は〇〇おもいッきりテレビ』『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)、『みのもんたの朝ズバッ!』『どうぶつ奇想天外!』『学校へ行こう!』(TBS系)、『プロ野球珍プレー好プレー』『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)など、多くの人気番組を担当し、最盛期には16本のレギュラー番組を抱えていた。2006年には「1週間で最も多くの生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録にも認定されている。

 それでも、月曜から金曜日まで、番組の収録後には銀座のクラブ通いを欠かしていなかったという。

 “銀座の夜の帝王”とも呼ばれたみのさんの酒豪伝説は有名だ。筆者も夜の銀座を情報源としており、みのさんとクラブで何度も遭遇している。彼の遊びぶりを目の当たりにしたほか、ホステスや従業員からも数々の話を聞いてきた。

「マスコミでは、クラッシュアイスに高級ブランデーを注いで一気飲みしていたと言われていますが、うちではクラブ価格で1本30万円ほどのバランタイン30年をよく飲んでいましたね。店にとっては最高のお客様でした」(銀座7丁目『B』の元男性スタッフ)

 一方で、店側から必ずしも歓迎されていたわけではない。

「みのさんはホステスとの同伴時、一気飲みをさせることが多く、店に戻るころには酔いつぶれて控室でダウンしてしまうホステスが続出。接客にならず、迷惑していました。それに加えて、ホステスの体に触るなどのセクハラ行為もあったため、うちでは正直、歓迎されていませんでした」(銀座のクラブ関係者)

 “みのさん伝説”として語られる酒豪ぶりや豪遊ぶりだが――。

「銀座通いは、主に番組関係者や『ニッコク』の仕事関係者との付き合いが中心でしたが、マスコミ関係者を集めた『赤坂もんた会』という宴席も定期的に開いていました。これは、いわば“夜の営業”の場でもありました。豪華な酒席に招かれた記者たちは、みのさんに不利な情報を報じにくくなっていたのではないでしょうか」(前出のクラブ関係者)

 みのさんのスキャンダルといえば、2013年、『朝ズバッ!』の生放送中に女性アナウンサーのお尻を触ったとされるセクハラ疑惑が浮上したが、メディアの追及は厳しくはなかった。しかし、同年、日本テレビ社員だった次男が窃盗事件で逮捕されると、みのさんは『朝ズバッ!』の降板を余儀なくされた。

 その後、当時日本テレビの次期社長候補とされていた専務の還暦パーティーにアポなしで現れ、土下座して謝罪したという話が囁かれたこともあり、銀座でのクラブ遊びも、この頃から控えるようになったという。

「次男が不祥事を起こす前年、みのさんは妻の靖子さんを亡くしています。靖子さんは立教大学の後輩で、結婚後、二男一女をもうけました。しかし、みのさんはほとんど家に帰らず、ホステスと浮名を流すことも少なくありませんでした。それに耐え続けた靖子さんが66歳の若さで亡くなると、みのさんは喪に服し、銀座遊びを絶ちました。あのときほど憔悴しきったみのさんを見たことはありませんでした」(前出の『B』の男性スタッフ)

 その後、銀座通いを再開したみのさんは、2020年に写真週刊誌「FRIDAY」で、40歳年下のホステスとの熱愛を報じられた。筆者も報道前、日本橋の隠れ家的な高級ステーキハウスで、みのさんとその女性が食事をしている現場に居合わせたことがある。

 その女性は一見すると学生風だったが、実際には昼間は介護の学校に通い、学費のために夜はクラブで働いていたという。そこでみのさんと出会い、手作り弁当を振る舞うなどして親密になったとされる。その後、クラブを辞めてみのさんの身の回りの世話をするようになったが、2019年、みのさんがパーキンソン病と診断されたことを機に関係は解消された。

 別れる際、みのさんは彼女に1億5000万円の高級マンションを贈与したという。後にそのことを尋ねられると、「7年間お世話になったので、僕にとっては手ごろなプレゼントのひとつ」と語ったというから、なんとも太っ腹だ。

 パーキンソン病と診断されて以降、仕事量を大幅にセーブしていたみのさん。2020年に『秘密のケンミンSHOW』の司会を退き、事実上の引退状態に入った。その後は闘病生活を送っていたが、今年1月16日、都内の焼き肉店で牛タンを喉に詰まらせ、病院に緊急搬送されたという。

 「日本で一番忙しい司会者」だったみのさん――毀誉褒貶(きよほうへん)あったが、今はゆっくりと休んでほしい。

(文=本多 圭)

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